【幸せのものさし】家計簿からみえる格差社会の暮らしで気づいたこと

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みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

週刊誌なんかを時々本屋さんで立ち読みしていると、家計簿の欄があったりします。

他人の家の収支決算を覗き見るのは、あんまりいい趣味じゃありません。

しかしそこそこに興味深いものではあります。

月収はいくらで、そのうち食費や交際費がどれくらいかなどと詮索するのは、どうかと思いますけどね。

完全な覗き趣味といわれても仕方がないでしょう。

しかし交際費にたくさんお金を使って、食費が自分の家より少なかったりすると、どういう暮らし方をしているのかなとつい疑問に思ってしまいます。

最近はネットにもよく載っていますね。

ファイナンシャルプランナーヘの相談です。

今の収入のままで早期リタイアは可能ですかなどというのをみていると、こんなに若くて仕事を辞めちゃう人がいるんだと不思議な気持ちになります₀

昨今は年収300万円でいかに豊かに生きるかという話が主流です。

以前なら考えられない数字です。

経済評論家の森永卓郎が言い出した時にはまさかと思いましたが、あながち間違ってはいないようです。

以前に比べて手取り額がかなり減っているのです。

婚活アプリなどで女性が望む結婚相手の給料の額ではないでしょう。

しかし現実はそう甘くはありません。

今や夫婦共稼ぎがアタリマエの時代なのです。

夫の収入だけでやっていくにはあまりに現実が厳しすぎます。

専業主婦で一生を過ごすなんて、もう考えられません。

右肩上がりは過去の夢

右肩上がりの時代はとうに過ぎましたからね。

将来に備えて貯金をしなくてはならない。

学資保険はやめた方がいい。

生命保険も掛け捨てのものに見直して。

できれば住宅ローンの借り換えをして支払期間を短縮するのが有利です。

他にもあれやこれやと金利ゼロの時代を生き抜くための知恵を聞いていると、子育てをしながら、家を買うなどということが、神業に見えてきます。

以前なら郊外に家をたてて、子供たちと楽しく暮らしていた家族もたくさんあったのです。

高度経済成長がそれを下支えしました。

しかし今はそんな悠長なことを言ってられません。

一生同じ企業に身を捧げるなどということすら夢のようになってきました。

企業30年説と言われ、そんなこともあるのかと考えていたら、現実に大手の会社が次々と倒産しています。

コロナ禍の中で運輸、観光業などは巨額の赤字に呻いています。

航空産業をはじめとして、リストラも行われつつあります。

少し前までは予想もしませんでした。

首にならないまでも、全く関係のない仕事に出向しなくてはならない人もたくさんいます。

せっかく手に入れたマイホームを手放すことになったという話も聞きます。

仕事があればまだいい方です。

パートなどの非正規社員は雇止めになるケースも多いです。

飲食店関係は生きていくのがやっとという状態になりつつあります。

年金不安

将来の年金不安に備えて、夫の小遣いは減らされ、息抜きにとっておいた外食も月1度になるなどいうことになりかねません。

現在の水準を維持することは無理です。

年金がなくなることはないと思いますが、おそらく支給年齢を現在の水準から遅くすることが考えられます。

それとあわせて、勤労者の定年を伸ばす。

同時に賃金体系を見直して、総額は増やさず、少しづつ支給することになるでしょう。

退職年齢を先に伸ばすとなれば、当然給料の伸びを下げていくしかありません。

以前なら60歳までにもらえていた額を65歳にまで引き伸ばします。

もらえる総額は結局同じことなのです。

生涯賃金が次第に減っているという報道に触れるにつけ、いったい生きていく喜びはどこにあるのかと
叫びたくもなります。

子供の塾代や家計の足しにと、妻がパートにでます。

それでやっと収支がとんとんというところでしょうか。

退職金が出る人はまだいいです。

それも次第に減らされつつあります。

これではいくら晩酌をひかえても追いつかないと愚痴の一つも言いたくなりますね。

いったいなにが豊かな生活なのか。

だから子供を産みたくないのだとは言いたくありません。

しかし少子化になる必然性は誰が見ても明らかです。

子供を産んで育てるにはとんでもない費用がかかります。

教育費を無視して子育てはできません。

今までの価値観を全部ばらばらにときほぐしてみるしかないですね。

やっとのことで手に入れたマイホームも完済時が70才、75才ということになると、また手を入れなければなりません。

何をすれば豊かな人生になるのか。

最初は面白半分に家計簿を眺めているうち、なんだか他人事ではなくなってくるというのが、怖ろしい話です。

やっぱり生涯独身で暢気に生きていくのが正解なのかもしれません。

寂しい話ですが、ふっとそんな気もしてきました。

お茶は高い

『年収300万円時代を生き抜く経済学』を読んでいて1番気になったのは、お茶の値段でした。

本当に2リットル200円のお茶は高いと実感したのです。

昨年も夏の間、なんとなくお茶を買ってしまいました。

冷えているとなかなかおいしいのです。

自動販売機で買うお茶が高いせいか、つい2リットルも入っていて200円しかしないと思いこんでしまったようです。

何本飲みましたかね。

たくさんのペットボトルを捨てる羽目になりました。

森永卓郎の説によれば、移動するのにどの車に乗ってもそれほど違いはないということです。

確かにベンツとカローラでは乗り心地が違うかもしれません。

あるいは自尊心とか見栄を大いにくすぐるということはあるでしょう。

しかしある地点からある地点へ移動するという基本の構造は何もかわらないのです。

それと同様に2リットルのお茶をつくるにはわずか5円か10円分の茶葉があればすみます。

お湯を何度も急須に入れ、後は冷やしておけばいいのです。

200円のお茶も5円か10円のお茶も、それほどの違いはないのです。

ぼくたちは一生着ても余るくらいの衣服を持っています。

それでも新しいものに買い換えていきます。

しかしなかなか満足などはしません。

何が本当の幸せなのでしょうか

高給をとることで、他人との競争に打ち勝つことばかりを考えてきた日本は、今や格差社会に突入してしまいました。

少数の勝ち組と大多数の負け組に分かれつつあるのです。

これからの時代、どう生きていけばいいのか。

自分を必要としてくれる人間のために生きていくことを、どうしても考えなければならないところにきているような気がしてなりません。

生き方の根本をもう1度じっくりと検証してみる必要があります。

幸せはそんなに遠いところにあるものではないような気がするからです。

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みなさんはどう思いますか。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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