【寿限無】誰もが知ってる前座噺の珠玉【ビューティフル・ネーム】

落語

人物の了見になる

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

新型コロナウィルスの影響で、落語会が次々と飛んじゃいました。

プロの噺家さんたちは生活がかかってますから、もっと大変。

アマチュアだってつらいです。

せっかくお稽古しても、高座にかけるチャンスがどんどん減っていきます。

板数が勝負の世界です。

理屈じゃありません。

前の日のミスを次の日にリカバリーする。

その積み重ねなんです。

特に入門したばかりの前座さんにとって、お客様の前で大きな声で話すというのが、なによりの稽古です。

その繰り返しで度胸もつきます。

大きな声でやっているうちに、だんだん抑揚のつけ方や話の間を覚えていくのです。

ただ覚えた噺を喋っていてもダメなんです。

登場人物の了見になる必要があるのです。

亡くなった五代目柳家小さんはいつもその人物の了見になれと言い続けました。

極端な話、狸になったら狸の了見になるのです。

いい言葉ですね。

今回は前座さんのよくやる定番落語の珠玉「寿限無」です。

小学校の教科書にも載ってます。

ぼくも1度も落語を聞いたことのない子供さんの前でやるときは、この噺をします。

みんなよく知ってます。

だから最初にプリントを渡して、大きな声で読みます。

その後、高座にあがって肝心のところだけやってもらったりもします。

すごく楽しそうですよ。

子供の名前

「寿限無」という文字を見ただけで、なんとなくおめでたい噺だなと思いますね。

寿に限り無しです。

縁起がいいじゃありませんか。

ちょっとメインの台詞だけひらがなで書きましょう。

覚えている人もたくさんいるでしょうね。

早口言葉みたいなもんかな。

じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ
かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ
うんらいまつ ふうらいまつ
くうねるところに すむところ
やぶらこうじの ぶらこうじ
ぱいぽぱいぽ ぱいぽの しゅうりんがん
しゅうりんがんの ぐうりんだい
ぐうりんだいの ぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの
ちょうきゅうめいの ちょうすけ

実はこれは人の名前なんです。

子供が生まれたので、お寺の和尚さんに名前をつけてもらうことになりました。

和尚さんというのはよくものを知っている人の代表だったのです。

元々、「凶は吉にかえるといい、死者を葬るお寺は縁起のいい場所でもありました。

そこで和尚さんはめでたい言葉を次々と選び出します。

geralt / Pixabay

最後に気にいったのを選べと言われて、悩んだあげく、全部つなげちゃいました。

それが「寿限無」という落語の背景なのです

だからさっきの長い文句はすべて1人の男の子の名前というワケです。

言葉の意味

「寿限無」は寿に限り無し、つまりやたらとめでたいことが続いて死が訪れないということです。

「五劫のすりきれ」というのはちょっと難しいですね。

「一劫」は、3000年に1度、天人が下りてきて、下界の岩を衣でなでます。

その岩がすりきれてなくなってしまうのを一劫というのです。

それが五劫なのです。

これは気の遠くなるような時間の長さです。

いったい何万年か何億年か。

「海砂利水魚」は海の砂利も、水にすむ魚もとりつくすことが出来ないということの喩えです。

「水行末、雲来末、風来末」は水の行く末、雲の行く末、風の行く末、いずれも果てしがない。

「食う寝るところに住むところ」は人間にとっては衣食住が最も大切だという教えです。

「やぶらこうじのぶらこうじ」はやぶこうじという丈夫な木があって、春は若葉を生じ、夏は花咲き、秋は実を結び、冬は赤い色をそえて霜をしのぐというのです。

geralt / Pixabay

「パイポパイポ」は昔、パイポという国があって、シューリンガンという王様とグーリンダイという王后がいました。

その2人のあいだに生まれたのが、ポンポコピーとポンポコナーというふたりのお姫様です。

この2人は大変長生きをしたのです。

縁起がいいじゃありませんか。

「長久命の長助」は長くて久しいという名前の通り大変にめでたいという意味です。

長久命の後には長く助けるという意味で長助もつけておこうというところですかね。

どうでしょう。

これだけめでたい名前ばかりだと全部つけたくなりますね。

世の中には大変に長い名前の人物がいます。

ぼくが知っているのでは、かつて北杜夫の書いた『さびしい王様』のなかに出てきた王の名前かな。

なんとなくかわいいので、今でも覚えてます。

シャハジポンポンババサヒブ・アリストクラシー・アル・アッシドジョージ・ストンコロリーン28世王というのです。

なんでこんな名前をつけたんでしょうね。

楽しくも悲しい小説でした。

今でも文庫本で読めますよ。

お試しあれ。

難しい落語

実際にやってみるとわかりますが、この落語は結構厄介です。

何度もこの寿限無の言い立てをやりますので、どうしてもダレます。

そこをリズムや表情をかえて、うまく運ぶのが難しいのです。

名人と呼ばれるような噺家が独特の間でやると面白いですが、そうでない場合は、くたびれます。

一生懸命やっているのがわかると、かえって聞いている方が緊張してしまうのです。

一般的に前座の時しかやりませんが、これが真打クラスの寿限無となると、まだぐっと味わいがかわります。

落語の難しさはまさにここにあります。

つまり噺の内容がわかっているから面白いというものではないのです。

その噺家の持っている独特の間の取り方が、つい笑いを誘うのです。

これは真似してできるものではありません。

みんな1人1人違うのです。

それを長い間に体得して、きちんと自分のものにしないと、結局付け焼刃で終わってしまいます。

「間は悪魔の魔に通じる」という言葉があります。

「芸人に上手も下手もなかりけり行く先々の水にあわねば」。

世阿弥の『風姿花伝』には「上手は下手の手本、下手は上手の手本」という言葉もあります。

六代目三遊亭圓生は「芸は砂の山」とよく言いました。

どんなにすばらしい芸でも砂の山のようにもろいものです。

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お客様にあわせて芸をすることができなければ、それは本当の芸じゃありません。

下手な人のを見ても、それを手本にするくらいでなければ、ホンモノにはなれないのです。

本当に厳しい世界ですね。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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