仕方噺って何?
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家、すい喬です。
久しぶりに落語のネタで失礼いたします。
なんといっても落語の話をしているだけでご機嫌なのです。
今回のテーマは仕方噺(ジェスチャーでオチをとる噺)として、最も有名な「蒟蒻問答」です。
「オチ」はわかりますよね。
またの名前を「サゲ」ともいいます。
落語の最後に飛び出すシャレですかね。
といった具合にたくさんあります。
今回のは「しぐさ落ち」です。
落語ではしぐさのことを別名「仕方」と呼びますので、仕草落ちの噺というところから「仕方噺」と呼んでいます。
ところで突然ですが「蒟蒻」っていう漢字読めますか。
最近では、この漢字を使った食品がありますのでね。
知ってますよね。
ズバリ「こんにゃく」です。
ぼくは都会っ子なので、コンニャクというのは子供の頃から四角いものだと思ってました。
実物をみた時はさすがに驚きましたね。
あらすじはそれほど複雑ではありません。
しかし覚えるのが厄介な噺の1つです。
ぼくは好きで、年に2度くらいは高座にかけます。
最初に簡単なあらすじをご紹介しましょう。
あらすじ
主人公の八五郎、上州の安中にある蒟蒻屋の六兵衛に世話になっています。
村にいたけりゃ空き寺、木蓮寺の和尚になってみないかと誘われにわか坊主になります。
しかし八五郎はすぐに本性をあらわし、朝から茶碗酒ばかり。
そこへ永平寺の雲水、沙弥托善が問答にやってきます。
問答に負けると寺から追い出されるとか。
八五郎は大和尚はずっと留守だと断るものの、雲水は明日もまた訪ねて来るという始末です。
仕方なく寺男の権助と一緒に夜逃げをしようと決めます。
道具屋を呼んで値段をつけてもらっていると、そこへ蒟蒻屋の六兵衛がやって来ました。
六兵衛は事情を聞き、自分が大和尚になって問答の相手をすると言い出します。
翌朝、和尚姿になった六兵衛は、何を聞かれても無言の行で通すと言うのでした。
やがて雲水の僧がやって来て本堂へ導かれます。
いよいよ問答が始まりますが、六兵衛は何も答えません。
雲水は無言の行中と勘違いして、両手の親指と人差し指で自分の胸の前に輪を作って前へ突き出しました。
すると六兵衛は両手で大きな輪を作って見せます。
僧は、次に10本の指を前に突き出します。
六兵衛はそれを見ると5本の指をぐっと前へ突き出しました。
またまた相手の僧は頭を下げて感心するばかり。
最後に雲水は3本の指を立て前に突き出します。
六兵衛は目の下に指を置き「あかんべえ」のしぐさ。
すると相手の僧は恐れ入るばかりで逃げるように立ち去ろうとするのです。
八五郎が理由を聞くと、雲水は自分の負けだと告げます。
「十方世界は」と問えば、「五戒で保つ」とのこと。
「三尊の弥陀は」と問えば、「目の前を見よ」という答えだといいます。
本堂へ行くと、六兵衛はかんかんになって怒っています。
俺がこんにゃく屋のおやじだとわかったもんだから、てめえの所のこんにゃくはこれっぽっちだと小さい丸をこしらえて、手でけちをつけやがった。
だから俺の所のこんにゃくは、こんなに大きいと手を広げてやったんだ。
すると今度は、10丁でいくらかと値を聞いてきやがった。
500じゃ少し高いかと思ったけど、しみったれ坊主め、300に負けろってえから、あかんべえをしたんだ
本番前はいつもかなり緊張します。
何度か稽古をしてミスしないようにと心がけますが、なんと言っても面倒臭いのが寺の紹介の部分の言い立てです。
言い立てというのは長い説明文です。
ここで言い間違えたり、言いよどんだりすると、リズムが狂いますからね。
難しい言葉が多いので、何度も稽古をしているうちに、最近はなんとなく台詞が出て来るようになりました。
プロの噺家でもこの言い立てに入る直前を見ていると、一度息をのんで、絶対にミスしないで話し終えようという意志を感じます。
自分で稽古をしてみると、そういう時の感覚というのが実に面白いのです。
ちょっとご紹介しますね。
もしよかったら、声に出していってみてください。
落語には「金明竹」とか「大工調べ」とかいろんな言い立てがあります。
そういったのだけをチェックしてみるのも案外面白いかもしれません。
いまだにどうしても出来ないのは、「黄金餅」の道中付けです。
これは難しい。
意味がなくて、通りの名前だけが続くのですごく覚えにくいのです。
それに比べれば、この噺の中の言い立てはまだ楽な方です。
幅広の障子を左右に押し開く。寺は古いが曠々としたもので、高麗縁の薄畳は雨漏りのために茶色と変じ、狩野法眼元信の描きしかと怪しまるる格天井の一匹龍は鼠の小便のために胡粉地のみとあいなり、欄間の天人蜘蛛の巣に綴じられ、金泥の巻柱は剥げ渡り、幡天蓋は裂かれて見るかげもなく朝風のために翩翻と翻る。
正面に釈迦牟尼仏、傍らに曹洞宗禅師、箔を剥がし煤を浴び、一段前に法壇を設け一人の老僧。
頭に帽子をいただき、手には払子をたずさえ、まなこ半眼に閉じ、座禅観法寂寞として控えしは、当山の大和尚とは、真っ赤な偽り。
なんにも知らない蒟蒻屋の六兵衛さん。
どうでしょうか。
読むだけでも結構難しいですね。
寺独特の表現がいくつもあります。1つ1つ解説していると終わってしまいますので、落語を聞きながら確認してみてください。
狩野法眼元信(かのうほうげんもとのぶ)がどんな人かを調べるだけでも、結構楽しいですよ。
禅問答
さてここまでくると、いよいよ最後のオチに近づくため、どうしても禅問答をしなくてはなりません。
ぼくは実際の禅問答を見たことがないので、全て落語からの受け売りです。
いつかチャンスがあったらとは思ってますがね。
かなり大きな声を出します。
腹から問答をするという気分を前面に出すのです。
普通、3つあるうちの2つを最初に続けて言い、最後に何も答えがないので、もう1つ付け足すという形になることが多いようです。
内容はご自身で調べてみてください。
ちょっとなぞなぞに似ています。
ぼくの別のサイトがありましたので、それもリンクしておきます。
内容が少しダブりますが、ここにも問答部分だけ再録します。
有無の二道は禅家悟道にして、いずれが理なるやいずれが非なるや。
法界に魚あり、尾も無く頭もなく、中の支骨を断つ。
この儀いかに、説破。
この3つの問答をそれまでの雰囲気とは違うムードの中で披露します。
いずれもよく考えると、なかなかに深い内容です。
とても落語に出てくる与太郎にはわかりません。
この噺はかなり禅宗に詳しい人が書いたんでしょう。
あるいは寺に古くから残された話の中にあったのかしれません。
なんとなくここの部分をやると、自分が雲水になった気分になります。
不許葷酒入山門
最初に禅寺であるとみなす方法の1つがこの石碑のようです。
この落語を覚えてから、随分とあちこちのお寺でみかけるようになりました。
それまでは全く知りませんでした。
「くんしゅさんもんにいるをゆるさず」と読みます。
葷は匂いのきつい草のことのようです。
イメージはにんにくとかニラとか。
つまり匂いのきついものを食べ、酒を飲むような者は、この寺に入ってはならぬということです。
逆にいえば、身を清め、真面目に学業に励んだものであれば、いつでも問答の用意があるということなのでしょう。
オチにも使われている「五戒」はあまりにも有名です。
在家の信者の守るべき五つの禁戒のことです。
殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語・飲酒(おんじゅ)の五つをしてはならないとしています。
こうしていろいろと読み込んでみると、「蒟蒻問答」という噺は笑いの中に人の生きる道を教え諭した落語であるということがよくわかります。
元々高座というのはお寺から出た言葉だそうです。
本堂で話される法話が発展して、このような落語になったのかもしれません。
これからも大切にして忘れないよう、時々は落語会でやらせてもらおうと思っています。
落語は楽しいですよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。