【人生は縁の賜物】いつまでもいじけてると運が逃げていきますよ

ノート

人生は縁

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今日は縁の話をさせてください。

ぼくは人生、すべからく縁の賜物だと思ってます。

ひょんなことで勤め始めた会社に、偶然いた人と結婚したりすることもあります。

あるいはそこの仲間と、新しい仕事を始めるとか。

とにかくいろんなことがありますよ。

縁は異なものです。

囃されたら踊れという言葉もあるじゃないですか。

1人でいじけていても、なんにもいいことはありません。

リンボウ先生をご存知ですか。

書誌学者の林望さんのことです。

彼の本を読んでみました。

今までどれほどついていない人生を送ってきたのか。

そんなことが綿々と書いてある文章に遭遇したのです。

イギリスについて書かれた彼のエッセイや、能の本などが大変好きなので、意外でしたね。

もっとカラッとした性格の人なのかと思ってました。

彼が母校の慶応大学に戻れず、たまたま東横女子短期大学に職を得た時の話です。

本当なら短大の仕事なんて蹴ってもいいやと自棄気味になっていたそうです。

それでも、いやいやせっかくの就職の口をそう無碍に断るものでもあるまい、と思いとどまったんですね。

その時の縁で偶然イギリスへ留学できたのです。

さらに現地での生活ぶりを描いたエッセイ『イギリスはおいしい』でエッセイスト賞をもらうことができました。

それから講演や、雑誌の取材、原稿などの仕事が急に増えたのです。

東京芸術大学

さらにはそれが縁で東京芸術大学の准教授のポストが舞い込んできました。

そのあたりの様子をありのままに綴っています。

あの時、そんな短大にいく気はないと断ってしまえば、今の自分はなかったとしみじみ述懐しているのです。

人間の出会いというのはどこにあるかわかりません。

最初はイヤでもそこでしばらく過ごしているうちに、新しい生活が生まれるということはよくあることです。

出版社に勤めてはみたものの、営業に回されて腐っていた友人もいました。

しかしこんな仕事はいやだと辞めてしまったら、それだけのことです。

そこでの活躍がやがて編集部に移ってから大きな芽をふきました。

あの森鴎外も小倉に左遷され、苦しい生活を余儀なくされたことがありましたね。

有名な話です。

彼を疎んじる人が、想像以上に多かったのでしょう。

明治の時代です。

ドイツへ行って医学を学んできた男が、いつまでも小説を書き続けるなどということは許されなかったのです。

しかし彼はそこでアンデルセンの『即興詩人』の翻訳にいそしみました

後に名訳といわれ、今日でも多くの人々に読まれています。

やっぱり人間はいじけちゃいけないもののようです。

「どうせ」と「だって」からは何も生まれないという言葉を聞いたことがあります。

不遇の時代をどのように過ごすかで、本当の人間の真価が問われるんですね

発端になる

ぼくは縁をすごく大事にしています。

そこが何かの発端になることが多いような気がするんです。

知らない人に出会い、そこから人の輪が膨らみます。

学生時代にたまたま信州へ旅行したことがありました。

その時汽車の中で知り合った女性と、新宿に着くまで話し込んでしまいました。

その後、結婚式の仲人までお願いすることになるとは思ってもみませんでした。

学生時代はよく家へ遊びにいきました。

その人の夫君とも親しくなり、彼が亡くなるまで遊んでもらいました。

ぼくの友達も一緒に何度も食事に呼んでもらったのです。

そのうち、夫君の実家がある信州のちかくにある峠まで出かけようということになり、取材旅行に出かけたこともあります。

たまたま雑誌の編集長をしていたので、記事の連載までしてもらいました。

いい縁は長く続くもの

今になっていろいろ考えてみると、本当に不思議なことがたくさんあります。

切れてしまう縁もありますね。

そういう時は無理に追いかけないことです。

本当の良縁は細く長く続きます。

そういう出会いを大切にしないといけませんね。

だからこその一期一会なのです。

今の仕事も不思議な縁でまだ続いています。

なんとなくから始めたんですけどね。

けっしていじけちゃダメ。

愚痴を言っても誰も助けてくれません。

そんな暇があったら部屋の掃除でもしましょう。

その方がずっと建設的だよ。

今日はここまで。

See You Again。

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