【馬ぶねの人・大和物語】男が結局元の妻のもとに帰ったワケ【歌徳】

馬ぶね

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は久しぶりに『大和物語』を取り上げます。

『伊勢物語』と並ぶ、我が国を代表する歌物語です。

文章中に必ず和歌が入っているのです。

歌物語は歌によって事件が展開したり解決したりと歌が話の中で重要な役割を果たします。

学校ではどうしても在原業平の出てくる『伊勢物語』の方に、学習が集中してしまいますね。

しかし『大和物語』にも味わいのある文章がたくさんあります。

作者はわかっていません。

10世紀中頃から後半にかけて成立しました。

前半は宇多天皇周辺の歌人を中心とした歌語りが多く、後半は難波の蘆刈伝説や信濃の姨捨山伝説など、地方を舞台にした古い伝承や歌語りが多く取られています。

今回のような話は「歌徳説話的歌物語」と呼ばれています。

つまり歌の徳で、男の愛情が蘇ったという話です。

よその女に心を奪われた男が、もとの妻の歌によって心を戻す話は、いくつもあります。

『伊勢物語』でも勉強します。

ポイントは女性の純情ですね。

さらに巧みな修辞技巧も取り上げることができます。。

男の心を取り戻すだけの力が歌にあったということなのです。

「言霊」という言葉は、もしかすると歌のためにあるのかもしれません。

今回はそのキーワードがなんと「馬ぶね」です。

ご存知ですか。

馬ぶねとは馬の飼料を入れる容器のことです。

「飼い葉桶」とか「まぐさ入れ」などとも呼びます。

なぜそのようなものが、男の愛情を呼び起こしたのでしょうか。

本文

下野の国に男女住みわたりけり。

年ごろ住みけるほどに、男、妻まうけて心変はり果てて、この家にありけるものどもを、今の妻のがりかきはらひ持て運び行く。

心憂しと思へど、なほまかせてみけり。

塵ばかりのものも残さずみな持て往ぬ。

ただのこりたるものは、馬ぶねのみなむありける。

それを、この男の従者、真楫といひける童を使ひけるして、このふねをさへ取りにおこせたり。

この童に女のいひける、「きむぢも今はここに見えじかし」など言ひければ、「などてか候はざらむ。

主おはせずとも候ひなむ」など言い、立てり。

女、「主に消息聞こえむは申てむや。文はよに見給はじ。

ただ、言葉にて申せよ」と言ひければ、「いとよく申してむ」と言ひければ、かく言ひける、

ふねも往ぬまかぢも見えじ今日よりはうき世の中をいかで渡らむ

と申せ」と言ひければ、男に言ひければ、ものかきふるひ去にし男なむ、しかながら運び返して、もとのごとくあからめもせで添ひゐにける。

現代語訳

むかし、下野の国に男女がずっと一緒に暮らしていました。

長年一緒に暮らしているうちに、男が新しい妻をこしらえて、すっかり心変わりして、この元の妻の家にあった家財道具を、今の妻の元へ一切合切運んでしまったのです。

元の妻は「情けないことだ」と思いましたが、それでもやはり夫のなすがままにまかせて見ていたそうです。

男は塵ほどの家財も残さず全部持って行ってしまいました。

ただ残っているものといえば、飼い葉桶だけだったのです。

mohamed_hassan / Pixabay

ところが、この夫の家来が、真楫(まかじ)という少年を使いとして、この飼い葉桶までも取りによこしました。

この少年に元の妻が向かって「おまえも、もうこの家には顔を見せないのだろうね」などと言ったところ、

真楫は「どうして伺わないということがございましょう。ご主人さまがおいでにならなくても、きっとお伺いいたします」などと言って立っていました。

元の妻が真楫に向かって「旦那様に伝言を申し上げてくれますか。手紙で書いても決してお読みにはならないでしょうし。

ただ言葉で申し上げておくれ」と言ったところ、真楫が「きっと申し上げましょう」と言ったので、こんなふうに告げました。

『船もどこかに行ってしまいました、橋渡し役の召使の真楫も見あたりません(うまぶねもよそへ行ってしまった。真楫も姿を見せないでしょう)

今日からはつらいこの世をどうやって過ごしていったらいいのやら、途方に暮れています。』

と申し上げよ」と言ったので、その伝言を真楫が主人に言ったところ、

家財道具をなにもかも持って行ってしまった夫が、そっくり元通りに運び返して、

かつてのように、仲むつまじく浮気心もおこさずに寄り添って暮らしたということです。

歌の力

この類の話は古文に多いですね。

本当に驚くほどたくさんあります。

というより、人間の持っている本性なのかもしれません。

1人の伴侶だけを一生大切にするという人の方が、もしかしたら少ないのかと考えてしまいます。

この話にも長年の間ともに暮らした男女が登場します。

しかし男はいつの間にか心変わりをして、新しい妻のもとへ家財道具を持ち去ってしまうのです。

古文はいちいち、その理由を書いたりはしません。

現実を淡々と綴っていくのです。

その方がむしろ迫力がありますね。

驚くのは、男がただひとつ残った飼葉桶まで取りに使いをよこすということです。

なぜそこまでするのか。

よほど愛情が薄れたと考えるのが自然です。

使いにやってきた真楫(まかじ)という童に、女は心を託した歌を男に伝えるように言います。

女の歌に深く感動した男は、家財道具を送り返し、終生浮気をしないでこの女に連れ添ったというのです。

風雅の情がある人には、こういうことがあるのだなと感じます。

いかかですか。

この話の持つ意味が理解できるでしょうか。

いかにもそんなことがありそうだと感じる人は、古文の感性を今も持っていると言えます。

しかしそんなことがあるワケはないと断定する人は、残念ながら、すでに現代の時間感覚の中に取り込まれているのです。

ある意味、悠長な話ですからね。

これが古典の世界だと理解すべきなのです。

歌物語の世界にしっかりと没入して、味わってみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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