【禍福はあざなえる縄の如し】入試の季節に思うのはまさにこの言葉のみ

ノート

禍福

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

いよいよ試験の季節になりました。

昨日から大学入学共通テストが始まりました。

毎年、問題の方向性が論議されていますね。

考えさせるテーマを主にして、その場でどれくらい深掘りできるのかという内容に傾いているようです。

もう暗記中心の時代ではなくなったんでしょう。

AIの時代です。

記憶作業は機械にまかせ、人間はひたすら考えて創造する方向へシフトチェンジをしていくに違いありません。

それ以外に生き残る道はありませんからね。

人間は生まれたら、ずっと試験を受け続けなくてはなりません。

1度も受けずに生涯を過ごすということはできないのです。

なかでも入学試験は厳しいです

大学の数が増えたとはいえ、志願者が集中する大学というのは、やはりあります。

激烈な試験が毎年繰り返されるワケです。

入試は昔からあり、結果が出るたびに一喜一憂する風景があちこちで繰り広げられてきました。

ぼくもずっと入試には関わってきたのです。

採点もし、面接官もやりました。

大変に神経の疲れる仕事でしたね。

都立高校では推薦入試もあります。

例年、3~4倍くらいの倍率です。

いわゆるペーパーテストはしません。

面接と小論文、内申書だけで判断するのです。

合格発表

ずっと入試の発表も見てきました。

特に推薦入試は合格者数が決まっています。

それ以上でも以下でもいけないのです。

合格者は必ず入学するのが原則です。

それだけに落ちる人の数も多い。

これは厳しい現実です。

受験生と目をあわさないように、2階の窓の角からそっと発表の風景を見ることもありました。

合格した生徒はすぐに事務室へ向かいます。

書類をもらうためです。

ダメだった人は、すぐにその場から去っていきます。

なかにはじっと掲示板を眺めている人もいます。

1番下にある「以上」の文字が冷酷にうつったことでしょうね。

再び、一般入試を受けなくてはなりません。

中学校に戻り、先生に報告して再挑戦への準備をするのです。

大学でも事情はおなじです。

最近はネットでの発表がほとんどなので、掲示板を見に行くということがなくなりました。

それだけに発表の瞬間は緊張の連続だろうと思います。

大袈裟にいえば、入試で人生が変わるかもしれません。

しかし冷静に考えてみると、それだけで変わってしまうほどヤワなものではないようにも思えるのです。

たかが入試だとは思いません。

重大な岐路であることは間違いがないからです。

あの時うまくいったから、今の自分があると考えるのか。

あの時ダメだったから、今の自分になれたという考え方もあります。

科挙

試験といえば、やはり科挙のことがすぐに思い浮かびます。

科挙の行われた中国の話はぼくもサイトにまとめたことがあります。

最後にリンクを貼っておきます。

覗いてみてください。

科挙は6世紀の隋の時代に導入され、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続いた制度なのです。

気が遠くなりますね。

日本で行われている国家公務員上級試験のイメージを浮かべてみてください。

あのレベルをとんでもなく高くしたものだと考えればわかりやすいです。

最初の関門は県試(童試)、府試、さらに院試です。

これに合格して、はじめて科挙の本試験に進む資格が与えられるのです。

ここで不逮捕特権まで手に入れられます。

院試の合格は捷報という劇的な方法で行われます。

府城の早馬が2通の捷報を携えてその家を訪れ、合格を告げるのです。

ここまではまだ序の口です。

ここからがいよいよ科挙の本番となります。

さらに郷試、順天会試、最後に皇帝の前で行われる殿試へと続くのです。

気が遠くなりますね。

殿試に合格した人の中から、最も権威のある役人が決まります。

総理大臣の役割を担います。

大変名誉なことなのです。

勉強するのはひたすら四書五経です。

全部覚えるのです。

人間業じゃありません。

この試験には年齢制限もありませんでした。

学校で教える手間をカットし、全て試験で判断してきたのです。

当然、悲劇もたくさん生まれました。

中島敦の『山月記』などはその代表でしょうね。

あざなえる縄の如し

あざなえるという表現を知っていますか。

簡単にいえば、縒るということです。

2本の束をよじって太い縄にしていきます。

つまりいいことと悪いことは縒った縄のようだというのがこの言葉の意味なのです。

同じような表現に「人間万事塞翁が馬」というのもあります。

人間にはいい時と、悪い時とがついてまわるもののようです。

男時、女時とも言います。

おどき、めどきと読むのです。

能の言葉です。

一生運が悪かったという人もいるでしょう。

あるいはなんとなくいつも悪い方向へ向かってしまうという人もいます。

その反対に、いつも運が強く、なにをしてもうまくいくという人もいます。

しかしその人の内面にまで踏み込んでみれば、そう単純なものではありません。

試験に落ちてしまうと、もう駄目かと思うことがあるのも事実です。

しかし人間の真価はその時、問われるもののようです。

マイナスの渦中にいる時は、周囲の人に何を言われても、なんの慰めにもなりません。

泣く以外に方法はないのでしょうね。

しかしそれこそが雌伏の時なのです。

災いは誰の上にも起こることです。

断言します。

悪いことばかりが続くことはけっしてありません。

入試の季節にちょっとだけ自分の人生をふりかえってみてください。

そしてこれからのことも考えましょう。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

【官吏登用試験・科挙】合格することだけが出世のための手段だった
中国や韓国において1000年以上も行われてきた科挙の試験は、人々の考え方に今も強い影響を与えています。試験だけで出身階級をかえることも可能でした。上級官吏になる道も開かれたのです。全てが科挙と呼ばれる試験の結果にまつわるものでした。

タイトルとURLをコピーしました