顔之推(がんしすい)
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は中国南北朝の文人で学者である、顔之推(がんしすい)の著作について考えてみます。
諸子百家として知られている人です。
彼は学問を家業とした名門貴族の家に生まれました。
6世紀末、王朝の興亡が繰り返された中国六朝時代に、粱、北斉、北周、隋と4代の王朝に仕えたのです。
子孫のために書き残した『顔氏家訓』(がんしかくん)は、人生のあらゆる局面に役立つ知恵に満ちています。
そこには家族の在り方から子供の教育法、文章論、養生の方法、仕事に臨む姿勢、死をめぐる態度に至るまでが記されているのです。
この本は子々孫々に対する訓戒の書として捉えることができます。
彼はこの書物の中で、中国伝統の家族道徳を重視しています。
具体的な体験談や事例を挙げているのが、非常にユニークですね。
基本的な考え方は調和と保守を重視した、生活態度そのものです。
多くの中国人に受け入れられた背景が、その点にあったことは間違いありません。
この章では「読書」の技を身につけることの大切さを論じています。
広く読書をすることは一芸を身につけることと同じだというのです。
困難に立ち向かう時、身内の人だからといって、すぐに頼れるとは限りません。
いざという時に役立つのは、巨万の富でもありません。
それよりも大切なことは、読書の技なのです。
多くの知識を得たいと思っているのに、本を読まないことぐらい、勿体ないことはないではないかと彼は教え諭しています。
本文
夫(そ)れ六経(りくけい)の指(むね)を明らかにし、百家の書に涉(わた)れば、縦(たと)い徳行を増益し,風俗を敦厲(とんこう)にする能(あた)はざるも、猶(な)ほ一芸を為(おさ)めて、以て自ら資(たす)くるを得(う)。
父兄も常に依(よ)るべからず。
郷国も常には保つべからず。
一旦流離すれば、人の庇廕(ひいん)なし。
当(まさ)に自ら諸(これ)を身に求むべきのみ。
諺(ことわざ)に曰く「財を積むこと千万なるは、薄伎の身に在るにしかず。
伎の習い易くして貴(たつと)ぶべき者は、書を読むに過ぎたるはなし。
世人愚智を問わず、皆人の多きを識り、事の広きを見んと欲するも、肯(あへ)て書を読まず、
是れ猶ほ飽くを求めて饌(きん)を営むを惰(おこた)り、暖かなるを欲して衣を裁つを惰(おこた)るがごとし。
現代語訳
そもそも六経(詩経、易経、書経、礼、楽、春秋)の教えに精通し,諸子百家の思想書を研究したとしましょう。
それによって、人としての德を増すことや,多くの風俗をよくすることにすぐには役立たないかもしれません。
それでも学問を修めることで,自分自身の生き方の方向性が得られるようになるのです。
全てのことを親に依存するなどということは、到底できません。
郷土も国も、常に存続しているとは限らないのです。
一旦、流浪の身となり国を離れたならば、庇護してくれる人は皆無となり、自分自身で生きていく糧を求めなくてはなりません。
諺の1つに「千万の財物を積んでも,身に着けた僅かの技が助けになる。」というのがあります。
技芸をどうすれば身につけることができるのでしょうか。
誰もが容易に習えて価値が高い点で、読書に匹敵するものはありません。
世の人は愚人も才智のある人も、皆、過去の人の生き方を知りたい、歴史の事件を深く知りたいと考えてきました。
それなのに読書をすることを好まないのは、ちょうどおいしいものを食べたいのに御馳走を作ることをいやがり、暖かい服を着たいのに衣服の裁縫を怠るようなものと同じです。
そもそも古人の考えをそのまま知ることができるということは、この地上にどれほどの人が輩出し、どれほどの事績をなしとげたかを知るのと同じなのです。
人々の成功や失敗、好悪の要因などを身につけるためにも大いに役立ちます。
このことは、あらためて論じるまでもないでしょう。
天地も真実を隠し切れません。
もちろん、鬼神にも隱すことができないのです。
どんなことも、書に書き残され後世に伝えられてしまうものです。
だからこそ、天地も鬼神も隠し切れないというわけなのです。
学問の本質
筆者はどのような書物を読むことをイメージしていたのでしょうか。
当時は儒家の本が最有力でした。
四書五経がその基本でしょう。
学問の根本的な意味を知るためには、儒学の書物に頼るのが最も最短の道だったのです。
たとえすぐれた教育者について学んだとしても、その背後にはたくさんの思想家がいました。
かれらの英知を自らのものとするという基本的なスタンスがなければ、学問が身につくことはなかったでしょう。
おいしいものを食べたい気持ちだけが先行して、料理を作ろうとしないのでは意味がありません。
あたたかい着物が欲しくても、裁縫をしないことには、自らのものにはならないのです。
彼は人と別れる時のことも論じています。
顔之推は『顔氏家訓』の中にさまざまなことを書き残しました。
例えば離別の時は泣きなさいというのがあります。
昔は一度別れると、再び会うことはなかなか難しいものでした。
それだけ交通も発達していなかったのです。
それだけに古人は別れを重んじました。
顔之推は人に餞(はなむけ)をして送別するときは,涙を流して別れの言葉をいうものだと述べています。
それくらい、真心が大切だということを訴えたかったのでしょう。
また子供の頃の教育についても語っています。
幼い時は精神が柔軟で、教育には最適であるというのです。
成長してしまった後は、どうしても思考が散漫になり気が散り易いといいます。
それだけに早いうちから教育を行い、機会を逃してはいけないのです。
しかし人生には落とし穴があるので、若い時に学ぶ機会を失ってしまった人も晩年にまた学びなおせばいいのだとも書いています。
ポイントはけっして自暴自棄になってはいけないということです。
孔子は五十歳で易学を学びました。
そのおかげで大きな過ちはなくなったと本人も言っています。
幼いときから学び、老年になるまで飽きることがなかった人達は、みな立派な儒者になりました。
曾子は七十歳で学び、荀卿は五十歳で遊学し、そこから著名な儒者となったのです。
公孫弘も四十歳から『春秋』を読みました。
朱雲も四十歳で、易学や論語を学んだのです。
彼らは人生の若い頃には迷ったにせよ、晚年に知識を蓄え、それを十分に活用しました。
人生はたくさんの障害に満ちています。
しかし幼い頃に学んだことは,いずれ日の出の光に照らされるようなものです。
老年になっても学ぶ者は,夜道を行くのに灯火を握って足元を照らすようなものなのです。
『顔氏家訓』には何も目新しいことは書いてありません。
しかし人生の真実はまさにここに示されているのではないでしょうか。
チャンスがあったら、是非手にとってみてください。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。