【子産・春秋左氏伝】大国との均衡を保ち平和を実現した名宰相【仁人】

子産の政治

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は孔子の『春秋』に登場した名宰相、子産について考えましょう。

『春秋』という本の存在を御存知ですか。

よく四書五経と言いますね。

儒教の経書の中で特に重要とされる本の総称です。

どのようなものがあるか、聞いたことがありますか。

必ず覚えておいてください。

四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』です。

この枠組みをまず頭に入れましょう。

『春秋左氏伝』は魯国の歴史記録を整理した孔子の『春秋』を解説した書物のことです。

「伝」は注釈の意味なのです。

魯の左丘明の著作とされています。

前722年から前495年まで約250年間の、魯国を中心とした春秋諸国の記録です。

文章は非常に素朴で簡潔です。

いかにもその場にいたような場面の描写が優れています。

会話をうまく応用し、大変に読みやすいのです。

今回学ぶのは春秋時代、鄭の宰相だった子産の政治方針を説明した文章です。

孔子は彼を「仁人」と讃えています。

子産が生まれた鄭という国は、ちょうど中国全土の中央にあります。

交通の便もよく大変便利な土地なのです。

しかしそれだけにこどこからも狙われる対象になりました。

子産の時代には北の晋と南の楚のいずれからも攻められたのです。

そこで子産は生き残るためにあらゆる方策を考えました。

北に攻められれば南を頼り、南に攻められれば北を頼ったのです。

仕える国が次々と変わり、鄭は苦しみました。

周囲からも節度や信義のない国として軽んじられることもあったのです。

貴族の息子として生まれた子産は、鄭を信義ある国にしたかったのでしょう。

そのために彼は何をしたのか。

書き下し文

鄭人(ていひと)郷校に游び、以つて執政を論ず。

然明、子産に謂(い)ひて曰く、郷校を毀(こぼ)たば何如(いかん)、と。

子産曰く、何ぞ為さん。夫(そ)れ人の朝夕より退きて焉(ここ)に游び、以つて執政の善否を議す。

其の善しとする所の者は、吾れ則ち之を行はん。

其の悪しとする所の者は、吾れ則ち之を改めん。

是れ吾が師なり。

之を若何(いかん)ぞ之を毀(こぼ)たん。

我聞く、善に忠なれば以つて怨みを損(へ)らす、と。

聞かず、威を為(な)して以つて怨みを防ぐと。

豈(あ)に遽(には)かに止めざらんや。

然(しか)れども猶(な)ほ川を防ぐがごとし。

大いに決して犯す所は、人を傷つくること必ず多からん。

吾、克(よ)く救はざるなり。

小さく決して道(みちび)かしむるには如(し)かず。

吾、聞きて之を薬とせんには如かざるなり、と。

然明曰く、蔑(べつ)や、今にして而(しか)る後、吾子(ごし)の信(まこと)に事(つか)ふべきを知るなり。

小人、実に不才なり。

若し果たして此れを行はば、其れ鄭国(ていこく)は実に之に頼らん。

豈(あ)に唯だ二三の臣のみならんや」と。

「注」

郷校: 主になる地域にある学校(公共の集会所として使用された)

現代語訳

鄭の国の人々に郷校に集まり、子産の政治の方法について議論していました。

然明が子産に向かって言うには「郷校を廃止したらどうですか」と言ったのです。

子産は答えました。

どうして廃止したりするでしょうか。

そのようなことは絶対にありません。

人々は朝夕、勤めから退いては郷校にあつまり,政治の善し悪しをとり上げて議論しています

人々が善いとすることは,すぐにこれを行いましょう。

悪いと言われる政策は,これを改めます。

これは私の先生そのものなのです。

それなのにどうして郷校を壊したりするでしょうか。

とんでもありません。

私は「真心のこもったことをすれば、恨みを受けることはない」と聞いています。

しかし「権力の威光によって人々の怨みを封じ込められる」とは聞いていません。

人の批判を中止させることができないということはありません。

だがそれは川の流れを無理に堰き止めるようなものです。

大きく決壊すれば、その後には必ず人々に甚大な被害を与えます。

そうなったら私には、これを防ぐことはできません。

それより少しずつ水を流してやった方がいいのです。

人々の批判を聞いて、これを薬として用いる方がいいのです。

そこで然明は言いました。

私は今初めて、あなたが信頼に足るお仕えすべき方だと知りました。

私は実にあさはかな人間でした。

もしあなたがその通りに実行されるならば、鄭国の人々はあなたを頼りにするでしょう。

唯だ二三の家臣だけが付き従うのではないのです。

批判を師とする

子産のすごいところは、耳に痛いこともそれを「師」として受け入れた点にあります。

政治に対する人々の不満があふれることを怖れたのです。

むしろ不満をつねに聞くことで、暴走するのを防ごうとしています。

孔子はそこに本当の「仁」の姿を見たのかもしれません。

彼は内紛を治め、田地の区画や農村の再編などの改革を続けました。

迷信の多かった中国の農村の中に入り、法治主義を貫いたのです。

大国の間に挟まり、難局続きでした。

鄭の国の宰相として30年以上も難しい外交を続け、中国最初の成文法をつくった人としても知られています。

作家の宮城谷昌光は彼の生き方を丁寧に描写しています。

興味のある人はぜひ読んでみてください。

『子産』という上下2巻本が刊行されています。

政治はいつの時代も妥協の産物です。

しかしそこに「仁道」がなければ、ただ紆余曲折しただけの時間が横たわってしまいます。

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1本の道を愚鈍なまでに続けることの難しさを、読み取ってください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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