源氏に最も愛された女性
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は日本を代表する古典文学、『源氏物語』を取り上げます。
この作品にはたくさんの女性が登場しますね。
その中で光源氏に最も愛されたのは誰でしょうか。
それはまぎれもなく紫の上その人です。
北山での初めての出会いは、最も印象に残る場面です。
古文の教科書にも必ず載っています。
誰もが紫の上のかわいらしさに魅了されてしまう「若紫」の巻がそれです。
雀の子を童の女の子が逃がしてしまったといってべそをかいているシーンを、偶然源氏が垣間見てしまうのです。

その時の様子を紫式部はこう表現しています。
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頬つきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。
ねびゆかむさまゆかしき人かなと、目とまりたまふ。
さるは、限りなう心を尽くし聞こゆる人にいとよう似奉れるがまもらるるなりけりと思ふにも、涙ぞ落つる。
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少女は、顔つきはたいそう可愛らしく、眉のあたりに美しさがただよい、子供っぽく髪の毛を脇へかきやった額のようすも、髪の生え方も、とても可愛らしい。
将来のさまが楽しみな人だなと、源氏の君はじっと見つめていらっしゃる。
それは、限りなく心を尽くし申し上げている人(藤壺宮)に、この少女がとてもよく似ているので、目を離すことができないのだと、思うにつけても涙が落ちてくる。
紫の上というのはどういう女性だったのでしょうか。
彼女は藤壺の姪にあたります。
北山での出会い
早くに亡くなった母、桐壷の更衣に似た女性を桐壷帝は後添えに迎えます。
それが藤壺宮でした。
光源氏は18歳の年、熱病平癒の祈祷のため北山の聖のもとを訪れます。
その時、偶然、あどけない少女を見かけました。
小柴垣をめぐらした僧房にいたのが、藤壺によく似た、後の紫の上だったのです。
源氏は以前から、藤壺の宮に対して母を恋うのに似たほのかな愛情を抱いていました。
その結果、大きな過ちを犯し、彼女を懐妊させてしまうこととなります。
だれにも言えない、大罪を犯してしまったのです。
紫の上が藤壺の姪にあたると知ったのはしばらく後のことです。
この時彼女はわずかに10歳でした。
彼女を拉致するような形で、ついに自分の屋敷、二条院へ引き取ってしまいます。
もしそのままにしていたら、いずれ父親の元にもどるしかありませんでした。
しかし彼女の実母はもうとうに亡くなっていなかったのです。

いわば継子として育てられる可能性に満ちていました。
あらゆる事情をみてとった源氏は、それならば自分が教育をして、好みの女性に仕立てようと考えます。
それからの日々の様子は物語を読んでいただければと思います。
まさに愛情と嫉妬が錯綜する日々を、彼女はくぐり抜けていくのです。
源氏はなにも知らない幼い女の子を、どのように育て上げたのか。
幸い、彼女は知性に恵まれた類ないほど可憐な女性でした。
しかし光源氏にはさんざんつらい目にあわされます。
須磨に流された後も、源氏はそこで明石の君に懸想をします。
その結果、生まれたのが明石の姫宮でした。
その子供までも、紫の上は自分の娘として、養育させられることになります。
その結果、彼女を帝の中宮にまでのぼらせたのです。
源氏の女性関係
源氏は何人の女性と関係をもったのか。
それは作品を読めばよくわかります。
正確な数はわかりません。
なぜかといえば、それぞれの屋敷にいた女房達の名前は記されていないからです。
しかし、最後に戻って来たのは、やはり紫の上のところでした。
女三の宮などという、身分だけは高いものの、世間知らずな姫君を正室に迎えたりするという波乱もありました。
柏木という男と密通をした女三の宮には薫という子供まで生まれるのです。
かつて源氏は義理の母、藤壺との間に子までなしました。
それと同じことを、源氏は柏木にされてしまいます。
そうした全てのことがらを紫の上は、黙って見続けてきたのです。
人生の裏も表もみな経験したといってもいいかもしれません。
いよいよ死が近くなったことを実感したあたりから、源氏物語の世界はますます深みを増していきます。
最愛の妻との別れがせまってきたことを、源氏はひしひしと感じ始めるのです。
紫の上は数年前に一度大病をし、病気がちの日々を送ったことがありました。
その時、彼女は出家を強く願いました。
しかし源氏はそれを許さなかったのです。
その後、なんとか過ごしてきたものの、夏になると、暑さのために紫の上はすっかり衰弱してしまいます。
帝の中宮になった明石の姫宮は、病人のそばに寄ることは許されません。

穢れとして忌み嫌われるからです。
特に死の穢れは、神に仕える天皇家の一員として、近づいてはならない領域でした。
しかし中宮にとって、紫の上は大切な養母です。
明石の君と源氏との間にできた子どもを幼い頃から、自分の姫として育て上げてくれたのが紫の上だったからです。
源氏と最愛の妻である紫の上との間には、子供が生まれませんでした。
明石の君が生んだ子供を自分の子として育て上げれば、さらに将来が明るくなるかもしれないという望みを持って、源氏は紫の上に子どもの養育を託します。
その姫がついに帝の中宮にまでのぼりつめたのです。
本来なら、紫の上の方から中宮のところへ伺うのが自然です。
しかしそれも体調の悪化でままなりませんでした。
病気で苦しんでいる養母のそばへなど、本来は神に仕える天皇家の一員としては許されないことなのです。
それでも母の最期を見てあげたいとする娘の気持ちがよくわかります。
この時、光源氏は51歳、紫の上、43歳、明石の中宮、23歳でした。
本文
秋待ちつけて、世の中少し涼しくなりては、御心地もいささかさはやぐやうなれど、なほともすれば、かごとがまし。さるは、身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けき折がちにて過ぐし給ふ。
中宮は、参り給ひなむとするを、
「今しばしは御覧ぜよ。」

とも、聞こえまほしう思せども、さかしきやうにもあり、内裏の御使ひの隙なきもわづらはしければ、さも聞こえ給はぬに、あなたにもえ渡り給はねば、宮ぞ渡り給ひける。
かたはらいたけれど、げに見奉らぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせ給ふ。
「こよなう痩せ細り給へれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれ。」
と、来し方あまりにほひ多く、あざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花の香にもよそへられ給ひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに世を思ひ給へるけしき、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。
現代語訳
ようやく秋がきて、世の中が少し涼しくなってからは、紫の上はご気分は少しは回復しているようではありますが、ややもすれば、病状が繰り返されるので恨めしい気持ちです。
秋がきたとはいっても、まだ身にしみるほどの秋風がふくわけではないのですが、涙でしめりがちな日々をお過ごしになります。
見舞いにいらしていた中宮(明石の姫君)が、宮中に参内なさろうとするのを、
「もうしばらくご滞在なさって私を御覧になっていてください。」
とも申し上げたくお思いになるのですが、出すぎたことを言うようでもあり、帝の使いが中宮のもとへひっきりなしにやってくるのに気をつかわせられるます。
紫の上はもうしばらくご滞在になってくださいとは申し上げることはなさいませんが、宮中にも体調が悪くお渡りになることができずにいらっしゃるので、中宮がお渡りになってきてくださったのです。
紫の上はきまりが悪いものの、中宮のお顔を御覧にならないのも心苦しいので、紫の上がいる西の対に御座所を特別に設けさせます。
中宮がおっしゃるには、

「すっかりやせ細っていらっしゃいますが、かえって今のほうが、高貴で優美でいらっしゃることの限りなさがいっそうまさってすばらしいですね。」と、
これまではあまりにも気品に満ちて、きわだっていらっしゃった女盛りの頃は、紫の上はなまじこの世の花の香りにも例えられていらっしゃいました。
ところが、やせ細った今のご様子は他のものに例えようもなく、この上なく可憐で可愛らしいご様子で、本当に一時的なものだとこの世のことお思いになられている様子は、他に似るものもなく、やりきれなく、むやみやたらに物悲しくてなりません。
紫の上の一生
紫の上の最期は、明石の中宮が看取りました。
彼女の一生は幸せだったのか。
あるいは苦労の連続だったのか。
どの視点から見ていくかによって、その結論は変わります。

いろいろなことがあったにせよ、光源氏が頼りにしたのは、彼女一人だけでした。
それだけに並々でない苦労があったのです。
また別の機会にその話をしたいです。
女性の幸せを考えるときには、ぜひ紫の上を想起してみてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。