【香炉峰の雪・枕草子】学問があり機転のきく女房と中宮定子の日常

香炉峰の雪

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は誰もが必ず高校で習う『枕草子』の中でも、もっとも有名な段を扱います。

この章段を扱わない古文の授業はありません。

それくらいによく知られているのです。

なぜか。

それは清少納言とお仕えしていた中宮定子との関係が、実によくみえるからです。

機知といえば、それまでですが、その背後には漢文への並々ならぬ造詣がみてとれます。

一条天皇の中宮であった定子も白楽天のこの漢詩をよく知っていました。

清少納言もお手の物です。

歌人であった父親から、薫陶を受けました。

女性が漢字を学ぶというのは、よほどの階級にいないと無理だったのです。

漢字は男の文字です。

出世のための学問だったのです。

そこへ女性が単身で乗り込んでいくというワケですから、今からでは想像もできません。

幕末から明治の時代へかけて、英語を学ぶためにアメリカへ渡った女性たちが何人かいましたね。

津田塾大学を創設した津田梅子などもその一人でしょう。

まさにああいう感じに近かったと思われます。

先端の学問を手に入れたことが、清少納言の人生をかえました。

中宮のサロンに女房として入り、家庭教師役と話し相手を仰せつかったのです。

似たような境遇の女性が当時、もう1人いました。

紫式部がその人です。

彼女も漢字が読めました。

そこから数奇な人生が始まったのです。

同じ時代に同じ帝の中宮2人にそれぞれ仕えたというだけでも、興味をそそられる話です。

2人の女性の考え方や生き方の違いを調べてみるのも、面白いでしょうね。

今回はとりあえず、「香炉峰の段」を読みましょう。

声に出してみてください。

覚えてしまってもいいくらいです。

原文

雪のいと高う降りたるを例ならず御格子(みこうし)まゐりて、炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、「少納言よ、香炉峰(こうろほう)の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ。

人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。

なほ、この官の人にはさべきなめり。」と言ふ。

これだけの大変短い文章です。

—————————-

意味がわかりますか。

古文の難しさは主語が書いてないところにあります。

誰がどのような発言をしたのか、なかなか理解できないのです。

それを助けるのが助動詞や補助動詞です。

尊敬、謙譲、丁寧という3つの敬語を識別するためには、かなりの知識が必要です。

この表現は帝か中宮にしか使わないなどといったものまであるのです。

敬語は受験勉強の要です。

現在、その習得に苦労している人もいるでしょうね。

ここではとりあえず、現代語訳を読んでみてください。

それで十分です。

現代語訳

雪がたいそう高く降り積もっているのに、いつもと違って、御格子をお下ろしして、角火鉢に火を起こして、私たち女房が話をしながら、中宮様のもとに集まりお使えしているときのことでした。

中宮様が私に呼びかけ、「少納言よ、香炉峰の雪は、どうなっていますか。」とおっしゃったのです。

そこで私は、御格子をほかの女房に上げさせて、御簾を高く巻き上げたところ、中宮様は大変にお笑いになったのです。

いかにもという表情がそこには見て取れました。

他の女房が言うには「私たちも白居易の詩のことは知っており、歌などにまでも詠むけれど、とっさには思いつきませんでした」

「あなたはやはり、中宮様にお仕えする人として、本当にふさわしい方のようです」と言いあったのです。

——————————-

この短い話の意味が理解できましたか。

まさに、清少納言の面目躍如といったところです。

この段の面白さは清少納言が定子様のお考えを読み取り、機転を利かせて答えたことにあります。

どんな機転なのでしょうか。

現代語訳のところでも触れたように、漢詩の一節を知らなければ、何も面白くはありません。

中国の白居易(白楽天)という人物が詠んだ漢詩の一節を知っているという、背景が必要なのです。

白居易はエリート官僚でした。

しかし、あることから左遷され、香炉峰のふもとに新居を構えたのです。

そのときに詠んだ詩の中に、これがあります。

この詩も同時に授業で必ず扱います。

日高く眠り足りて猶(なお)起くるにもの慵(う)し
小閣に衾(しとね)を重ねて寒さを怕(おそ)れず
遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き
香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る
匡蘆(きょうろ)は便(すなわ)ち是れ名を逃るるの地
司馬は仍(な)お老いを送るの官為り
心泰(やす)く身寧(やす)きは是れ帰する処
故郷何ぞ独り長安にあるのみ在らんや

「遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き、香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る」

この一節を中宮定子は清少納言に問いかけました。

目の前に香炉峰の雪があったわけではありません。

たまたま、簾がそこにあったので、つい訊ねたのでしよう。

清少納言の学識と知恵

中宮定子はこの漢詩を知っているだろう。

清少納言にちょっと悪戯をしかけたのです。

ウイットに富んだ彼女のことです。

どんなアクションがあるのか、楽しみだったのでしょうね。

すると、彼女は近くにいた別の女房に簾を巻き上げるように言いました。

『香炉峰の雪は簾をかかげて看る』という白居易の漢詩を再現してみせたのです。

他の女房達も、白楽天のこの有名な詩は知っていました。

しかしそれを瞬間的にある動作まで持っていく機知は、持ちあわせていなかったのです。

これを清少納言の自慢話ととるのか。

それともこの定子のいるサロンの雰囲気を多くの人に知ってほしいという主人思いの気持ちが先行したものなのか。

理解の形がそれぞれあることでしょう。

特に定子一族の凋落が始まってから、清少納言にもつらい日々が訪れていたことだろうと感じます。

少しでも明るい話題をつくって、サロンに楽しい雰囲気を醸し出したいと念じていた彼女の痛いくらいな思いも伝わってきます。

中宮定子は才色兼備の人でした。

年齢が10歳も年上の清少納言は、定子が18歳のときから23歳で亡くなるまで仕えたのです。

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没落していく一族を見ながら、お慕いする中宮が喜んでくれることなら、どのようなことでもしようという気持ちでいっぱいだったと思われます。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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