本というもの
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『桃尻娘』で一躍その名を轟かせた作家の橋本治にせまります。
1968年(昭和43年)東京大学在学中にとんでもないポスターでその名を知られるようになりました。
コピーがすごいのです。
ご存知ですか。
有名です。
きっと1度くらいは見たことがあるかもしれません。
とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く
という東京大学駒場祭のポスターなのです。
その後イラストレーターを経て、1977年、小説『桃尻娘』を発表しました。
タイトルがあまりに衝撃的なので、勘違いした人もいるようです。
その後は独特な文体で随筆などを多く書きました。
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今回の評論は過去に入試問題として出された文章です。
ポイントは何か。
最初の部分を紹介します。
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「本」というものは、その中核に「ねばならない」がある。
だから、厄介だ。
早い話、本というものはどこかで「お勉強しなさい」と言っている。
本が苦手な人は、この壁が突破できない。
私自身の根っこにも、この「本であることの壁」がある。
「本」というものは、自分の世界観とは違う相手の世界観を、自分とは違う質の言語によって受け入れるようなものでもある。
つまり、すべての本は、「自分が苦手な外国語で書かれたもの」という一面を持つ。
ネットは楽
本が売れない時代です。
出版社も青息吐息だそうです。
みんなネットに流れてしまいました。
朝の通勤電車をみればよくわかります。
本を読んでいる人を探すのは一苦労なのです。
みんなスマホを見てます。
いったいどういうことなんでしょう。
冷静な目になって見ると、ちょっと怖ろしい気もします。
何をしていてもスマホが気になって仕方がない。
ネットはとにかくすごいのです。
1度読んだ記事をちゃんと覚えています。
アマゾンだってそうです。
似たような商品をこれでもかといって目の前に突き付けてきます。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2021/11/student-849826__480.webp)
案外嫌いじゃないので、つい見ちゃう。
記事だってそうです。
1度読むと、似たようなのがこれでもかと出てきます。
興味や関心があったからつい覗いたのです。
するとまた次にも似てるのがでてくる。
いつもお気に入りの商品とニュースが目白押しになるのです。
これは大変に気分がいい。
しかしよく考えてみると、ちょっと怖いですね。
異質なものに触れるチャンスが自動的に減っているワケです。
しかし普段そんなことはあまり考えません。
読書の意味
本を読む人間はさっぱり増えなくなりました。
読書は楽しいですよと各出版社は毎日猛烈な売り込みをかけています。
新聞にもたくさん広告が載っていますね。
しかしその新聞さえも売れないのです。
反対に本を読むことが苦にならない人もいます。
しかしそういう人は苦になる本を読もうとはしません。
ライトノベルならそればっかり。
コミックスならば、そればっかり。
本を苦労して読んで勉強なんかするのはご免なんです。
そんなことしなくたって生きていられる有難い時代です。
「本を読んで勉強していた過去」にまで遡ろうとは思いません。
苦しいことは学校時代に終えました。
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もう出来上がってしまったのです。
いまさら振り出しに戻るのは面倒です。
わざわざ異質な世界に出会って驚く必要もありません。
楽しいのなら、それでもいい。
しかし苦労してまで小難しい本を読むのはご免なのです。
いくら夏目漱石が有名だからといって、それが何になるんでしょう。
『吾輩は猫である』などという本はタイトルだけ知っていればよろしい。
だいたいの人はこのパターンです。
ちゃんと最後まで読んだ人がどれくらいいるのか。
かなり疑問ですね。
現代の問題
そうなると、問題は山積するばかりです。
誰も考えない。
とにかく面倒なことは誰かに任せておく。
自分は日和見主義者を決め込んで楽に生きていきましょうということになるのです。
ネットは快適です。
いつも好きなことが目の前にでてくる。
異質なものに対する想像力が猛烈な勢いで消滅していきます。
「他人」はつねに自分にとって不可解なものです。
それを理解するには、その言語世界の中にまず浸からなければいけません。
生きていくためには日々自分の世界観を修正しなくてはならないのです。
確かに面倒くさい。
しかしそれをしないと自分はどんどん内側から干からびていきます。
気がつかないうちに、毎日、浸食されていくのです。
そしてやがて崩れ去る。
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新たな世界観をつくるためにはどうしたらいいのか。
簡単です。
異質なものに触れる以外にありません。
つまり驚き、おののく。
そのたびごとに衝撃をうける覚悟を身につけなくてはなりません。
人生は学び続けなければならないのです。
まさにシジフォスの神話と同じです。
崖の上に岩を運んでもまた坂を転がって石は落ちるかもしれません。
それでも再び運び上げる。
本を読むのは楽しいことばかりではありません。
とにかく異質なものを身体の中に埋めこむのです。
ワクチンの接種と同じです。
副反応に苦しむ覚悟が必要でしょう。
桃尻娘の作者は大真面目でした。
今回はちょっとだけ彼の書いた文章のエッセンスを紹介しました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。