小説5本
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は今年の9月にまとめたブログの記事について書きます。
タイトルはズバリ「某社だけ小説5本がOKの怪」です。
読んでみてください。
このページの最後にリンクを貼っておきます。
その内容の後日談が昨日の朝日新聞に載っていました。
文科省を批判する教科書会社の立場を強調しています。
高校の教科書検定にまつわるドタバタ騒ぎです。
発端はある1社の教科書が検定に合格したことです。
なんの教科書か。
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第一学習社の「現代の国語」がそれです。
新1年生用の国語教科書は「言語文化」と「現代の国語」です。
そのうち、「現代の国語」には実用的な文章と評論、法令、企画書などを扱うこととありました。
つまりノンフィクションだけで、小説を入れる余地はないということだったのです。
もう1つの「言語文化」には何を所収するのか。
現代文、古文、漢文などです。
どちらも2単位なので週に2時間ずつ。
となると「言語文化」で小説を教えているゆとりはありません。
古文と漢文だけで週2時間は使ってしまいます。
つまり小説はどうしても「現代の国語」で扱わなければならないのです。
それなのに載せてはいけませんというのが文科省の通達でした。
ところがフタを開けてビックリ。
第一学習社の「現代の国語」だけには小説が5本も入っていたのです。
教えたい小説の入る余地
現場のニーズは圧倒的に必要というものでした。
1年生では必ず芥川龍之介の『羅生門』を扱っています。
その他にも教えたい小説が何本かあります。
それを全部やらずに2年生になってしまう可能性があることを危惧したのです。
第一学習社は不合格を覚悟で検定に出したとか。
ところが大方の予想に反して、パスしてしまいました。
これには他社が黙っていません。
文科省がダメだというから、きちんと約束を守ったのにこの仕打ちはないだろうというワケです。
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来年度の教科書採択で1番多かったのが、第一学習社でした。
教科書は1度選ばれると3年間はそのまま継続されるケースが多いです。
つまりきちんと文科省の言いつけを守った会社がバカをみたのです。
これに怒らないワケがありません。
検定そのものが間違っていたと認めろという声が、文科省主催の説明会でも飛びかいました。
その時の説明がなんとも不思議です。
文科省はこの教科書を検定で合格させた理由を述べています。
「現代の国語」で小説を扱うことは本来想定されていないが、文学作品を掲載することが一切禁じられているわけではない、というのです。
苦しい弁明ですね。
各社が疑義を抱く事態になったことをおわびする。
今後は一層厳正な審査を行うというのです。
これは何を意味しているのでしょうか。
間違ったとはいわないものの、今度から注意しますと語っています。
詭弁に近いと言わざるをえません。
作品の持つ力
現場で授業をしていればわかります。
小説のみならず、文学の持つ力は絶大です。
多感な時期に何を読ませるのかというのは、文化のあり方そのものです。
確かに論理性のある文章も大切です。
多くの高校では2年次以降、「論理国語」(4単位)を学習することになるでしょう。
同じ4単位の「文学国語」を学習する高校はそれほど多くはないものと思われます。
入試を頭に浮かべているからです。
今まで高校2年生で教えていた夏目漱石『こころ』、中島敦『山月記』。
さらに高校3年次に教えた『舞姫』などは全てカットされてしまう可能性もあります。
それでなくても近頃は読書をする習慣が非常に少なくなっています。
大切なこれらの小説を一生読むことはないかもしれません。
小説は心の襞に入り込み、情操を豊かにするものです。
人間に対する観察力をより深くする上でも重要です。
それらを全て捨て去ってしまって、これからの国語教育が成り立つのかどうか。
大変不安になります。
グローバル時代を迎え、論理的な構築力をつけさせたいとする考えもよくわかります。
しかし他者の感情に対する理解ができなければ、論理性をいくら身につけたところで、不十分なままに終わるでしょう。
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来年度以降の検定はどのように行われるのか。
注視していかなければなりません。
今年の「現代の国語」採用冊数は既に発表されています。
第一学習社が19万7千冊、東京書籍が18万4千冊、大修館書店が8万8千冊です。
羅生門を「言語文化」に
シラバスを見ていると、各社の苦労のあとがよくわかります。
どうしても1年生でカットしたくない、芥川龍之介の『羅生門』はほとんどの会社が「言語文化」の教科書に入れています。
しかしこの2単位の授業は古文と漢文も一緒に入っているのです。
それでなくても行事などで実授業数は少なくなる一方です。
古文は文法も教えなくてはなりません。
これにはかなりの時間がとられます。
その間をぬって漢文の書下し文の練習もしなくてはならないのです。
つまり非常にきついスケジュールの中で、授業をすすめなくてはならなくなりました。
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その分を「現代の国語」の時間を使ってと考えるのは、ごく自然なことではないでしょうか。
それさえも禁じられるとなると、現場は途方に暮れてしまいます。
今後、この窮屈さをどう解消していくのか。
現場の裁量だけで全てうまくいくとはとても思えません。
第一学習社は同業他社に恨まれていることでしょうね。
すぐに他社も後追いをして、所収作品の検討に入るものと思われます。
教科書会社は文科省からみれば弱者です。
検定合格というお墨付きをもらえなければ、教科書を出版することができません。
それでも反発をしたところに、この問題の根の深さがあります。
今回の件は検定システムの持つ欠陥が如実に表れた事件そのものです。
今後の成り行きに注目していきたいです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうこざいました。
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