【真贋・小林秀雄】本物を見抜く目を養うために虚心で生きる覚悟を

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評論家、小林秀雄

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は真贋を見抜く目について考えてみましょう。

小林秀雄という人の名前をご存知ですか。

もう随分以前になくなりました。

ぼくが都立高校の教員試験を受験した時、最初に出た問題が小林秀雄でした。

有名な「ボヴァリー夫人は私だ」という一節が出てくる作家スタンダールに関する評論です。

Activedia / Pixabay

かつて、大学入試の問題は小林秀雄の独壇場でした。

とにかく理解しにくい。

論理が飛ぶのです。

その間をなんとか想像力で埋めなくてはならない。

いわゆる直感型の評論だけに難解でした。

感性が豊かな人なので、わかる人にはわかります。

その反対の立場の人からみると、難しいことこの上ない。

誠に厄介な文章を書く人でした。

小説家、大岡昇平の家庭教師としてもよく知られています。

『レイテ戦記』『野火』『事件』などで有名な作家です。

大岡は難しいフランス語の評論ぱかりを読まされたらしいですね。

小林秀雄は詩人の中原中也と1人の女性を巡って火花を散らしたこともありました。

長谷川泰子です。

このあたりの話は今も読むことができます。

このブログにも記事を書いた記憶があります。

リンクを貼っておきましょう。

富岡鉄斎

小林秀雄の評論を読んでいると、思わず快哉を叫びたくなる瞬間があります。

ことに美術品について書かれたものは大変面白いです。

その中でも富岡鉄斎に関する部分は秀逸です。

ご存知ですか。

日本画の本をちょっと読み始めると、すぐに出てくる画家の名前です。

明治、大正期の文人画家ですね。

鉄斎は、あくまでも絵画は余技であると考えていたようです。

博学な知識に裏打ちされ、中国古典を題材にしてものが多いです。

AdinaVoicu / Pixabay

自由で奔放な画風は梅原龍三郎に強い影響を与えました。

小林秀雄も高い評価を惜しまなかった人なのです。

誰でも1度は彼の絵をみているはずです。

ああ、これかと思わず叫びたくなるような絵です。

しかしそれだけに偽物が実に多いのです。

ちょっと絵心のある人なら描けるような線です。

機会があったら展覧会などで触れてみるといいでしょう。

富岡鉄斎といえば、とにかく大半が贋作です。

それだけ多くの人が所有したいと思っているということの証しなのでしょう。

彼の独特な絵の雰囲気を一度味わうと、確かに欲しくなるのかもしれません。

エピソードには事欠かないのです。

小林秀雄の評論の中にも出てきます。

虚心坦懐

終戦直後、小林秀雄が『創元』という雑誌を編纂している頃、その口絵に鉄斎を入れようと思い、随分見たそうです。

彼は鑑定家の友人、青山二郎が持ち込んだ絵をずっと座敷に掛けて眺めました。

しかし少しも気分がよくならなかったそうです。

その絵は画家梅原龍三郎までが模写したといわれている正真正銘の鉄斎だったのです。

しかしいくら見ても納得のいかない彼は、あまりに拙い贋作であるために、かえって皆の目を欺いたのではないかと疑い始めます。

そこで彼は別の鑑定家に虚心坦懐になって見てくれと頼み、その作品が偽物であることを見抜きます。

その後、小林は知り合いを頼り、本物の鉄斎だけを1週間もの間に250点ほど見ました。

さらに京都の富岡家にも泊めてもらい、そこでも鉄斎だけに浸ったのです。

その結果やっと気分が晴れたという話を書いています。

古美術の世界には実際こういう話が数多いようです。

反対に一目見た瞬間、その美術品がどうしても欲しくなってしまう、いわば狐がつくといった状態もよくあると言います。

しかししばらく時間がたつと、急に情熱が冷めてしまいます。

あとでなぜあんなものがいいと思ったのかと反省するということも、日常茶飯事のようです。

好事家と呼ばれる人達は、皆何度かこういう経験を積みながら、次第に目が肥えていくということなのでしょう。

小林秀雄はモーツァルトやゴッホについても書いています。

天才と呼ばれる人たちの生きざまを通して、美の世界の持つ不条理を描き出そうとしたのでしょう。

学生を相手に講演会を行った時の口演記録なども残っています。

当時の学生の真剣な質問に驚かされます。

この国も随分と変貌してしまいましたね。

彼の有名な言葉に「花の美しさ」というものはない。

「美しい花」がそこにあるだけだというのがあります。

一見、詭弁のようですが、ものごとの本質に迫ろうとした小林秀雄の面目躍如たるものを感じます。

本居宣長

晩年は国学者、本居宣長の生涯をずっと研究し続けました。

その頃に書いたものを読むと、江戸時代のこの学者のことを本当に愛したのだということがよくわかります。

「大和魂」という言葉の使い方が本来どのようなものであったのかというところに着目し、それが後に軍部が曲解したことも示しています。

人間はやはりよいものばかりを見ていなければなりません。

そうでないと、真贋の区別はできないとよく言われます。

対象物の持つ気品、時代の厚みなどを見てとることが肝要なのです。

そこまでいかなければ、善し悪しはやはり分かりません。

言うのは簡単ですが、行うことの難しさを実感します。

昨今は骨董ブームだと聞きます。

テレビでもそうした関連の番組をよく見かけます。

もともとイギリスBBC放送の内容を換骨奪胎して日本に移植した民放の番組も、随分長く続いています。

bella67 / Pixabay

よほど好評なのでしょう。

なかでも本物だと信じて持ち込んだものが、真っ赤な偽物だとわかった時の持ち主の表情は圧巻です。

その反対にこんなものがと思われる掘り出し物もよくあります。

全てを金銭に換算しなければ、分かった気になれない寂しさは残るものの、ユニークな番組であることにかわりはありません。

古いものに何を見るのか、それは人さまざまでしょう。

しかしものの真贋を見抜く目は、容易につくり出せるものではありません。

最後はやはり心の問題に帰着するのでしょうか。

虚心の目が勝負です。

小林秀雄が富岡鉄斎を1週間見続けたという行為には、鬼気迫るものを感じます。

なんとなく気持ちが悪いという直感も大切なのでしょうね。

何も見えない人間は、やはりそれだけの人だということなのです。

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厳しい現実です。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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