【小論文・他者の眼】修辞疑問文は使わず論理的な文章にする

小論文

他者の眼で

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

今日は自戒をこめて伝えておきたいことを書きます。

ぼく自身が過去によく使った表現の中にこういうのがありました。

「~ではあるまいか」「~ではないだろうか」「~なかろうか」の3つです。

特に最初の表現は時々使いましたね。

文章の切れ味がよくなるような気がしたのです。

ある程度結論を出しておいて、「~ではあるまいか」とすると、いかにも論理的で内容がよくわかっているような気分になりました。

もちろんいつも連発していたワケではありません。

時たま使ったのです。

しかしよく考えてみると、あまり得策ではありませんでした。

どうしてもこの表現を使うと、感情的に内容を引きずってしまうのです。

本来なら冷静に文章を構築していけばよかったのです。

それなのに、つい修辞疑問文を使ってしまいました。

これは今でも反省の材料です。

修辞疑問文というのが何か、わかりますね。

疑問文の形をしているにもかかわらず、相手に何かを訊ねる文章ではありません。

自分が言いたいことを相手に納得させるために使う言い方です。

肯定形の修辞疑問では否定の意味に、否定形の修辞疑問では肯定の意味になります。

難しい言い方では反語とも呼びます。

そうでしょうか、いやそんなことはありませんという使い方です。

本来はそこまで引っ張って読者に媚びた表現を使うことはないのです。

むしろ断定で言い切ってしまったずっとスッキリします。

論文はどこまでいっても勢いが大切です。

断定表現の使用を躊躇してはいけません。

言い切ることが大切

確かに言い切ることに不安が伴わないワケではありません。

しかしそれでも「~だ」と書いてしまう方が明確になるのです。

その後から理由をきちんとつければ、それで十分です。

むしろなぜそのような考えを持つにいたったのかということをはっきり証明することが大切でしょう。

採点者の立場になってみてください。

この小論文の書き手はしきりに読者に同意を求めてくる。

あまり自信がないのかもしれない。

その後に出てくる根拠の説明も、必ずしも正確ではない。

このあたりがこの書き手の能力の限界かもしれない。

そう思われても文句は言えません。

結論をもう1度繰り返します。

修辞疑問文は使わないこと。

自信のなさが仄見えてしまいます。

一人合点は最悪です。

つねに文章の中に他者の目を入れることです。

そうすることで、文章に冷静さが保たれます。

これが1番大切なのです。

熱くなりすぎてはいけません。

自分の書いた文であっても、他者がそこにいるという視点をつねに持つことです。

いつもそのことを考えていれば、修辞疑問文は出てきません。

その度にミエを切って客席を見るような仕草は慎まなければなりません。

小論文は歌舞伎の舞台とは違うのです。

「やはり」も同じ役割

もう1つ、似たような表現があります。

それが「やはり」なのです。

あれもこれもいろいろと論じてきたけれど、やはりこれだと言われてしまうと、今までの説明はなんだったのかということになります。

論理で貫き通すはずの文章を1度でもみ消してしまうのです。

文章はどこまでいっても順番に論理が積み重なっていかなければいけません。

それを瞬時に崩すのが「やはり」です。

なんのための説明だったのか、全くわからなくなります。

どうしたらこういう言葉を使わないようになるのか。

これこそが究極の問題ですね。

特効薬はありません。

ひたすら練習することです。

あなたは何か楽器をならったことがありますか。

毎日練習をしていると、楽譜をみなくても、自然に手が動くようになります。

そうなればもうしめたものです。

本当の音楽の喜びが広がっていくのです。

文章を書くのもそれとまったく同じです。

自然に言葉が出てくる。

それも使ってはいけない表現が自然に淘汰される。

まさにそこから本当に文章を書くことの楽しさが始まるのです。

こうならなければ、上達はしません。

いつも視点が定まらない文というのは、読んでいけばすぐにわかるものです。

理解と熟達

少しは言いたいことがわかっていただけたでしょうか。

なんとなくわかったではダメです。

まずやってみること。

熟達することが何より大切なのです。

過去問でさっそく試してみてください。

ぼくのサイトにも載せてあります。

2022年度はどのような問題が出るのか。

予想もしてみました。

ここ2年間はコロナの猛威によって人々の心の風景が大きく変化しました。

生きることへの懐疑も広がっています。

人間にとって何が本当に大切なのかという根本的な命題も突き付けられています。

もちろん、それと同時に環境に対する視点も厳しくなる一方です。

脱炭素社会に向けて、何が可能なのか。

考え続けなくてはならないでしょう。

SDGsも同様です。

Gray_Rhee / Pixabay

2030年までの達成目標が確実に先へ伸びてしまいました。

今世紀中には無理かもしれないというところまで来ているのです。

ジェンダーフリーの問題も深刻です。

このようにあらゆるテーマが山積しています。

どの内容でからでも勉強をしながら進んでください。

小論文の勉強は間違いなく先に繋がります。

覚えて解答するタイプの試験ではありません。

それだけに、実力を養うには理想的です。

しかしとんでもなく難しい。

頑張ってください。

過去の記事を読みながら、少しづつ上達してくれることを祈っています。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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