【日本人の美意識】我々は何を美しいと感じてきたのか【高階秀爾】

学び

西洋と東洋

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は日本人の美意識について考えます。

このテーマは実によく授業で取り上げられます。

高階秀爾の代表的な評論です。

ご存知ですか。

日本を代表する美術評論家です。

geralt / Pixabay

芸術とそれが生まれた風土について長い間研究を続けてきた人です。

西洋の美術と日本の美術の歴史的背景などについて詳しく論じた著作が多数あります。

岩波新書『名画を見る眼』は永遠のベストセラーといえるでしょう。

今回のテーマは高校3年生で扱うことが多いです。

この年頃になると、西洋と東洋の美意識の違いも理解できます。

古文の勉強もある程度進み、言葉の量も増えているからです。

元々、西洋と東洋の比較は、興味深いテーマです。

ことに芸術の分野においては対比軸がたくさんあります。

絵や音楽などの違いは大きいですね。

そこに描かれる世界の違いにも惹かれます。

この教材は具体例が大変に多く、筆者の主張はその背後に隠れています。

逆にいえば、具体的な内容をカットしていけば、骨組みがみえてくるのです。

「うつくし」と「きよし」

古語「うつくし」にはどんな意味があるのでしょうか。

今なら美しいといえば、本当にさまざまな意味が浮かびます。

しかしかつての「うつくし」は小さいものに対するかわいいという愛情表現でした。

自分よりも小さいもの、弱いものに対する愛情のあらわれだったのです。

つねに保護してあげなければならないものにたいして「うつくし」といいました。

それに対して「きよし」は汚れのない、清潔な、という意味です。

古代の日本人は小さいものや、汚れがない対象に対して「美しい」という感情を持っていたことがわかりますね。

雀の子の遊ぶ様子がまさに「うつくし」なのです。

日本人はそれでなくても小さいものが好きです。

箱庭、盆栽、五月人形。

かつて李御寧は『縮み志向の日本人』という本を書きました。

まさに自然を縮めて庭園をつくり、そこから箱庭、盆栽へと進んできたのです。

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それはなぜか。

小さいことがすなわち価値だったからです。

元々「美」という漢字は「羊」と「大」が一緒になってできたものだと言われています。

かなり日本人の感性とは違いますね。

最近の若い女性は何を見ても「かわいい」を連発します。

これが古語でいうところの、「うつくし」に近い感覚なのかもしれません。

自分が庇護してあげなければ、生きていけないほど弱いものに対して、愛情を抱くのです。

これは西洋の美意識とは全く違います。

ギリシャの美術品を見て下さい。

富や豊かさ、真、善、美が表現され迫力そのものが違います。

彫刻の持つ力強さをみれば、それが健康に裏打ちされたものであることがわかります。

むしろ神に近い能力を示しているのです。

筋肉の盛り上がった彫像には日本人の感性とは全く違うものを感じますね。

日本の絵

具体例として日本の洛中洛外図や風俗屏風などをみてみましょう。

これらの絵柄は本当に描写が細かいです。

細部がまさに「縮小された世界」なのです。

しかし全体の構図に比べて、そこに描かれた人間などの表情はリアルです。

西洋画にあるような遠近法などは使われていません。

普通なら遠くにあるものはぼやけてしまうのが当たり前です。

しかし日本の絵はそうではありません。

細部にこだわっています。

遠近法などを全く無視しているのです。

これも不思議です。

日本画には不動の視点がありません。

遠近法を描くためには当然必要ですよね。

しかし巻物などをみれば、その違いがよくわかります。

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順繰りに風景が動き、その中に細密な描写で人間が描かれているのです。

そして余白を特に好みます。

悪いもの、うとましいものを描きません。

つまり「きよし」の発想なのです。

貧しさの美学、あるいは引き算の美学とでも呼べばいいのでしょうか。

そこにあるものを否定するのです。

つまりなくていいものは無理に描かない。

背景が必要なければ、そこには何もないのです。

必然的に余白が生まれます。

ギリギリまで無駄を取り除いた芸能として「能」があります。

余分な動きは一切ないのです。

失われゆくもの

日本人は滅んでいくものが好きです。

つねにそこに美を見出します。

『平家物語』がなぜあれほどに好まれたのか。

まさに平家が滅んでいったからです。

失われゆくものはどこまでも日本人にとって美しいものなのです。

造花ではダメ。

花は枯れるからこそ、美しいのです。

もっといえば近松門左衛門の心中ものにも同じ論理があります。

登場人物たちは理不尽な仕打ちにあい、どうにもしょうがなくなって死出の旅にでます。

その道行きの美を日本人は愛でるのです。

ある意味で「死」をこれだけ好む民族はいないのかもしれません。

花もそうですね。

桜が愛される理由もまさにそこにあります。

散華という言葉があります。

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短い命で散っていく花びらに人の世の哀しみを想うのです。

西洋の絵画との違いを知るにつけ、感受性の違いを強く実感しないワケにはいきません。

コロナ禍が一段落したら、是非、竹橋の日本近代美術館、上野の西洋美術館、国立博物館などを続けて訪ねてみてください。

いわゆる日本画と呼ばれているものを見てから、西洋の絵を鑑賞すると、その違いに愕然とするはずです。

ネットの時代と呼ばれ、文化はますます境界を失いつつあります。

しかし根底を流れる美意識の差は想像以上に大きなものがあるようです。

当然、宗教観の違いもあります。

多神教と一神教の差も大きいでしょう。

その差がなんであるのかを自分の目で確かめることが大切なことは言うまでもありません。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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