【養老の滝・十訓抄】親孝行の功徳で滝の水がお酒になったという伝説

親孝行の徳

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師のすい喬です。

今回は「養老の滝伝説」を取り上げましょう。

養老の滝といえば、駅前にある赤提灯をイメージする人もいるでしょうね。

まさにあのネーミングの元になった話がこれなのです。

『十訓抄』という本に載っています。

ちょっと読み方が難しいですね。

「じっきんしょう」と読みます。

rawpixel / Pixabay

鎌倉中期の本です。

「十訓」とは十ヶ条の教訓という意味です。

昔からの説話約280話をわかりやすく説いた書物です。

儒教的な色合いが強いですね。

若い人に対しての啓蒙書と言ってもいいでしょう。

ここに取り上げた「養老の滝」の話も親孝行がいかに大切かという訓話です。

儒教では「仁、義、礼、智、信、忠、孝、悌」という8つの徳目を最も大切にします。

その中でも親に対する孝行は非常に高い徳として、大切にされてきました。

文章が短いので、全文をご紹介します。

原文

昔、元正天皇の御時、美濃の国に、貧しく賤しき男ありけるが、老いたる父を持ちたり。

この男、山の木草を取りて、その値を得て、父を養ひけり。

この父、朝夕、あながちに酒を愛し、欲しがる。

これによりて、男、なり瓢といふものを腰につけて、酒を売る家に行きて、つねにこれを乞ひて、父を養ふ。

ある時、山に入りて、薪を取らむとするに、苔深き石にすべりて、うつぶしにまろびたりけるに、酒の香しければ、思はずにあやしくて、そのあたりを見るに、石の中より水流れ出づることあり。

その色、酒に似たり。

汲みて嘗むるに、めでたき酒なり。

9928598 / Pixabay

うれしくおぼえて、そののち、日々にこれを汲みて、飽くまで父を養ふ。

時に帝、このことを聞こしめして、霊亀三年九月に、そのところへ行幸ありて、御覧じけり。

これすなはち、至孝のゆゑに、天神、地祇あはれみて、その徳をあらはすと、感ぜさせ給ひて、のちに美濃の守になされにけり。

その酒の出づる所をば養老の滝とぞ申す。

かつは、これによりて、同十一月に年号を「養老」と改められける。

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古文の難しさはあまり感じませんね。

読めばだいたい意味がとれると思います。

ポイントはなぜ帝がこの若者を美濃の守にしたのかというところです。

今で言えば県知事にあたります。

昔は国司と言いました。

親孝行の心を持ったやさしい人物であれば、きっとうまく世の中を治めてくれるだろうと考えたのではないでしょうか。

元正天皇という人は44代目の天皇にあたります。

在位中に養老律令の監修もしました。

これは奈良時代の法律です。

大宝律令に続く律令として施行され、古代日本の政治体制を規定する根本の法令として機能しました。

まさにここに養老という名前が残っているのも不思議な感じがしますね。

元正天皇は日本書紀の選定をしたことでも知られている人です。

現代語訳

昔元正天皇の御代、美濃の国(岐阜県)に貧しく身分の低い若者が、老父と一緒に暮らしておりました。

この男は、毎日山で薪を拾っては町で売り、父の世話をしていました。

父親の楽しみはお酒を飲むことだったのです。

若者はひょうたんを腰にぶら下げては酒屋へ行って買い求め、父親に飲んでもらいました。

ある日のこと、男はいつものように薪をとりに山の奥深く入ったところ、苔の生えた岩に足を滑らせて沢へ落ちてしまいました。

しばらく気を失っていましたが、ふと起き上がると、どこからかお酒の匂いがします。

不思議に思ってあたりを見回すと、岩の間から、こんこんと湧き出る泉がありました。

その水がお酒とそっくりの色なのです。

もしやと思い、すくってなめてみると、それはまぎれもなくお酒でした。

今までに飲んだことのないような、かぐわしい香りのするお酒だったのです。

それからは毎日、このお酒を汲んで、父親が満足するまで飲んでもらいました。

この不思議な出来事が、ついには時の帝、元正天皇の耳にまで届いたのです。

霊亀3年(717年)9月、帝はこの地へおいでになり、泉をご覧になりました。

「これもひとえに親孝行の思いが、天地の神々に通じたのに違いない。」と、ほめ讃えられ、若者を美濃国の守に任命されました。

そのお酒のでるところを養老の滝と名付けました。

「老人を養う」という意味なのです。

その年の11月には年号が養老に改められたということです。

養老公園

養老の滝は今も岐阜県養老町にあります。

観光名所の1つです。

四季それぞれに味わいのある滝とその周辺の風景がみごとです。

昔から多くの文人・墨客が訪れ、葛飾北斎も浮世絵に描いています。

しかし養老伝説というのはいろいろな変遷を経ているようですね。

伝わる本によっては母親がお酒を好んだという話もあります。

その後、この若者の子孫が反映したという後日談が記されている本もあるのです。

謡曲にも「養老」というのがあります。

世阿弥がつくったものです。

美濃の国、本巣の郡に不思議な泉が湧くという知らせがあり、勅使が検分に訪れます。

その地で勅使は、霊水をみつけた樵の老人と息子に出会います。

二人は勅使に問われるまま、泉を見つけ、「養老の滝」と呼ぶに至ったいきさつを語るのです。

その滝の水を老いた父親が飲んだところ、心身ともに爽快になり活力にあふれたので「養老」という名をつけたことが知らされます。

養老の滝から湧く薬の水を讃えるのです。

勅使が喜んでいると、そのうちに天から音楽が聞こえ、花が散り降るという吉兆が現れます。

やがて楊柳観音菩薩の化身が登場し、舞を舞って天下泰平を祝福するのです。

「神能」のジャンルに入る能です。

「薬の水」といっていますが、まさにお酒のことです。

昔は濁り酒があたりまえでした。

ところがここに登場するお酒は澄んでいます。

清酒ですね。

つまりそれだけ神に近い清らかなものだったということを示唆しているのです。

神の舞の美しさがお酒の豊潤な香りを感じさせる、祈りの能です。

チャンスがあったら是非、ご覧になってください。

養老という言葉の響きがいいですね。

親孝行の徳目は今も昔も同じ、人の道なのではないでしょうか。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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