学問のすすめ
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は福沢諭吉の代表的な著作を取り上げます。
『学問のすすめ』がそれです。
読んだことはなくても、タイトルぐらいは誰でも知っていますね。
大ベストセラーでした。
明治5年から9年まで5年にわたり17編が出版されたのです。
その後、明治13年に1冊の本になりました。
今は青空文庫で読むことができます。
17編合わせて約400万部近く売れたと伝えられています。
当時の日本の人口は約3000万人です。
10人に1人がこの本を読みました。
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もちろん、延べ人数です。
実際は教養のある人々がこぞってこの本から新しい思想を得ようとしたに違いありません。
いずれにしても明治を代表する著作なのです。
当時の日本人にとって新しい思想の拠りどころでした。
近代的,合理主義的な人間観に彩られています。
その中でも有名な一節がありますね。
おそらく誰もが口にしたことがあるのではないでしょうか。
初編冒頭の「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」は,彼の人権思想を端的に宣言した言葉として広く知られています。
これくらいわかりやすい表現はありません。
民主主義というものがどういうものであるのかを、この短文が全て示しています。
福沢諭吉
福沢諭吉は1835年に生まれました。
66歳で亡くなっています。
中津藩士であり、幕府の使節団に随行し3度,ヨーロッパ、アメリカを回っています。
この時の見聞が彼を成長させたのです。
『西洋事情』という本では西洋の仕組みがどうなっているのかを説明しました。
彼にとっては建物の構造などはどうでもよかったのです。
そこで繰り広げられている欧米人の思想がどのようなものか。
議会というものが、どういう意味を持っているのか。
選挙で人を選ぶということの意味など、とにかくわからないことばかりでした。
開国をしてみたものの、どうしていいのかよく日本人にはわからなかったのです。
新しい政治の方向も見えていませんでした。
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経済の仕組みさえもわからなかったのです。
とにかく理財に強い人間を育てる必要もありました。
喫緊の課題だったのです。
慶應義塾の創設は、当時としては画期的なことでした。
彼は「時事新報」なども創刊しています。
とにかく自由主義の思想を育てること。
それが近代に突き進むための方策だったのです。
ところが現実はそう簡単にはいきません。
揺り戻しも激しいものでした。
福沢諭吉の本の中で1番面白いのは『福翁自伝』です。
これは実に愉快な本です。
勝海舟の著書、『海舟座談』などとあわせて読むと、当時の時代背景がよくわかります。
手近く独立を守ること
ここではある大学の入試に出た問題を取り上げます。
これは全17編のうちの16番目に出た内容の1部です。
全てを載せると長いので、一部分だけにします。
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「一杯、人、酒を呑のみ、三杯、酒、人を呑む」という諺ことわざあり。
今この諺を解けば、「酒を好むの欲をもって人の本心を制し、本心をして独立を得せしめず」という義なり。
今日世の人々の行状を見るに、本心を制するものは酒のみならず。
千状万態の事物ありて本心の独立を妨ぐることはなはだ多し。
この着物に不似合いなりとてかの羽織を作り、この衣裳に不相当なりとてかの煙草入れを買う。
衣服すでに備われば屋宅の狭きも不自由となり、屋宅の普請はじめて落成すれば宴席を開かざるもまた不都合なり。
鰻飯は西洋料理の媒酌となり、西洋料理は金の時計の手引きとなり、比より彼に移る。
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一より十に進み、一進また一進、段々限りあることなし。
この趣を見れば一家の内には主人なきがごとく、一身の内には精神なきがごとく、物よく人をして物を求めしむ。
主人は品物の支配を受けてこれに奴隷使せらるるものと言うべし。(中略)
浴後には浴衣に団扇と思えども、西洋人の真似なれば我慢を張りて筒袖に汗を流す。
ひたすら他人の好尚に同じからんことを心配するのみ。
他人の好尚に同じゅうするはなおかつ許すべし。
その笑うべきの極度に至りては他人の物を誤り認め、隣りの細君が御召縮緬に純金のかんざしをと聞きて大いに心を悩ます。
急に我もと注文して後によくよく吟味すれば、あに計らんや、隣家の品は綿縮緬に鍍金めっきなりしとぞ。
かくのごときは、すなわちわが本心を支配するものは自分の物にあらず。
また他人の物にもあらず。
煙のごとき夢中の妄想に制せられて、一身一家の世帯は妄想の往来に任ずるものと言うべし。
精神独立の有様とは多少の距離あるべし。
その距離の遠近は銘々にて測量すべきものなり。
問題例
「その距離の遠近は銘々にて測量すべきものなり」とあるがなぜ「銘々にて」という言い方をがしてあるのか、説明しなさい。
こういう問いが入試に出たとしたら、あなたはどう答えますか。
まず内容を読み取らなければなりません。
言葉が一見難しそうですが、書いてあることは実にわかりやすいです。
内容は何について語っているかわかりますか。
つまり物欲には際限がないということです。
いい家に住めば、いい着物が欲しくなり、贅沢なものを食べたくなる。
どこまでいっても際限がありません。
物欲の奴隷になるワケです。
最後はどこに辿り着くのか。
自分のものから他人のものへ妄想の奴隷へと発展していきます。
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己がどこにいるのかということすら、わからなくなってしまうのです。
何が必要なのか、結局は自分を律する心ということになるのでしょうね。
しかしなかなかそのことに気がつかない。
となると、問題の方向が見えてきます。
自分がどこにいるのかわからなくなった時、それを判断する基準はどこにあるのでしょうか。
それが福沢の言う「銘々にて測量すべき」ということです。
「銘々」とは今の言葉で書けば「おのおの」「各自」ということです。
その人が自分の価値観で精神の独立を判断していけばいいのです。
それが最も大切だと言っているのです。
そのことを解答に書けばよいのではないでしょうか。
時間があったら、ぜひ『福翁自伝』を手にとってみてください。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。