【絆とアイデンティティ】その表現に潜む暴力性に気づく時【小論文】

学び

アイデンティティの怖さ

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

勉強は順調に進んでいますか。

東京では3度目の非常事態宣言下に入ってしまいました。

授業の形態も様々です。

今年も昨年と同じような状態がしばらく続くんでしょうね。

来年春の入試がどうなるのか。

現在のところ、全く情報がありません。

いよいよ高校でも新しい教育課程に入る段階にさしかかりました。

来年度に向けて、あちこちで変化があるものと思われます。

ポートフォリオがいよいよ始動するのかどうか。

それも現状ではわかりません。

入試に関する最新のニュースに敏感になっておきましょう。

推薦入試についても同様です。

小論文がなくなることはありません。

むしろさまざまに形をかえて、受験生の実力を探りにくるに違いないのです。

2022年度入試には何が出るのか。

キーワードは何か。

現在、まとめている段階です。

今回はその中でもアイデンティティの問題を考えます。

この表現は最重要語句の1つです。

意味のわからない人はいないでしょうね。

「identification card」といえば身分証明書のことです。

アイデンティティとは簡単にいえば、「自己の証明」を意味します。

自分(私)というものが存在していることの認識。

自分らしさとでもいえば1番わかりやすいかもしれません。

他者でなく、まさに自分であるということの証明をさします。

英語では「identity」と書きます。

グローバル社会

地球が1つの運命共同体になって久しいです。

グローバル化と呼んでいます。

本来なら、宇宙船地球号と呼ばれて、人間がともに生きていかなければならない時代なのです。

しかし残念なことに地上から戦争がなくなることはありません。

そうした段階で使われるアイデンティティという表現には、ある種の怖ろしさがあります。

それは何か。

2020年、お茶の水女子大学の小論文には「暴力」と関連付けたアイデンティティの問題が出題されました。

具体的な内容については過去問にあたってみてください。

ポイントはいくつかあります。

PIRO4D / Pixabay

アイデンティティの意識が他の人と隣人や同じ地区の住民、同胞、同じ宗教の信者などとの関係を強める事実です。

うまく回っている時は連帯感を高め、お互いに助け合い、自己中心的な営みを超えた活動をするようになります。

この段階ではアイデンティティという表現が好感を持って迎え入れられるのです。

しかしひとたび戦争状態になるとどうでしょうか。

多くの人を拒絶する表現にガラリと表情をかえます。

排他性が前面に飛び出てきます。

暴力やテロと絡むと、これ以上に面倒な言葉はありません。

1番わかりやすいのは民族意識を声高に叫ぶ段階であらわれることです。

いくつもの内戦

1990年に勃発したルワンダ内戦では多数派のフツ族と少数派のツチ族との間で残虐な抗争が生まれました。

同じルワンダ人でありながら、フツ族とツチ族が敵対関係になったのです。

イスラエルとパレスチナも2極化したアイデンティティの猛威を経験し続けています。

セルビアを含む6つの共和国はかつてユーゴスラビアと呼ばれていました。

今では民族と宗教の対立で内戦となっています。

それぞれが互いの民族的なアイデンティティを捨てる意志はありません。

他を排斥しないことには内側に絶対を叫べないのです。

これが最大の難問です。

こういう局面において、アイデンティティという言葉は暴力そのものになります。

大変に怖ろしい局面を迎えます。

仲間の団結心をかためるために、他者を作り上げます。

そして容赦なく襲いかかるのです。

その時に便利な表現がまさにアイデンティティです。

報復の連鎖が始まると、もう途中で止めることはできません。

冷静になることができないのです。

人間が根本に持っている性なんでしょうか。

この部分を小論文ではよく取り上げます。

ここから抜け出る方法があるのかどうか。

誇りや喜びを高めること自体は悪いことではありません。

しかしそれが負の側面を助長した時、誰がどうやって止めるのか。

そのための論理は何か。

共生への可能性はないのか。

ここに問題が集中します。

難しいテーマです。

絆という表現

この表現も非常にきれいな言葉です。

美しく建設的です。

人々が手を取り合って生きていくという意味に使われている限りにおいてはです。

しかしあるところまでいくと、ガラッと表情をかえます。

この表現は「身内」の人にとっては心地よい響きを持っています。

しかし外部の人間にとっては抑圧的な内容になるのです。

公共社会の中で1人1人は同様に等しく尊重されなければなりません。

それが民主主義の基本です。

しかし一旦この「絆」の外に出たらよそ者です。

権力者は自分に都合のいい人だけを身びいきします。

現在のコロナ禍においてもその傾向はみられますね。

外国からの技術研修生たちに対しても、場当たり的な対応しか行っていません。

まさによそ者の感覚です。

仕事や住居を失った人たちに対しても似た発想になります。

Free-Photos / Pixabay

セーフティネットからこぼれ落ちた人は「絆」の外にいる人間として扱われかねません。

「自己責任」という言葉もこの時に出現します。

食料品などを無料で配る運動などをしているのは、公共機関ではないケースが殆どです。

NPOやNGOにまかせて、権力者は自助を連発します。

新自由主義とはまさにこれだということが言えるでしょう。

そこにアイデンティティと絆という表現を持ち込めば、こぼれ落ちた人のことは埒の外に追いやれるのです。

ではどうすればいいのか。

小論文のテーマとして、真剣に考えてみてください。

これは難問中の難問です。

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グローバル時代を生き抜く知恵がまさに今、必要な所以なのです。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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