物語意識
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は小論文の設計図について考えましょう。
論理性を最大限に考慮する文章の1つが、小論文です。
結論に至るまで、無駄があってはなりません。
1本の道をひたすら歩き続けていくと、そこにきちんとした論理の筋道があるという図式が最もすばらしいのです。
だからといって何のエピソードも感情も、必要がないというワケではありません。
ほんのわずかでもそこに「あなた」という人間の横顔がみてとれれば、採点者は安心するのです。
考えてもみてください。
何百枚もの答案を、次から次へと読んでいくのです。
ひどく疲れると思いませんか。
論理の筋道を追いかけながら、そこに矛盾がないかとつねに検証し続けていきます。
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評価はある意味で、採点者の持つ潜在的な能力に裏付けられています。
人によって大きく異なることもあるのです。
難しくいえば、審美眼や、論理力のなせるワザともいえます。
採点者がどのように感じたのか。
それはブラックボックスそのものといってもいいかもしれません。
それでも多くの人がいい文章だと評価するものには、ある種の共通点があります。
その1つが物語性ですね。
ほんのわずかの数字や、歴史意識、メモ、キーワードの中に、受験生の高度な認識力を感じるということです。
結論に至るまでの道のりが実にみごとな文章を読み終わった時は、非常に嬉しいのです。
くっきりした設計図
小論文を書く前に何が最も大切か。
エピソード、体験談、見聞、会話、数字、キーワード。
これらを十分に咀嚼することです。
脳の中で項目を攪拌し、それを流れ作業にのせて言葉にする。
課題文のある問題の場合は、絶対に見落としてはならない表現があります。
いわゆるキーワードと呼ばれるものです。
この言葉がなければ、絶対に完成しないという幾つかの表現が、小論文の命です。
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それぞれの文章に必ずあります。
グラフや図の場合でいえば、数字に大きな差があるケースです。
そこに問題の根があるのです。
なぜそうなったのか、理由を考えてみましょう。
そこが核心部分です。
それらの内容を相関図のように、頭の中で描きます。
あなたの見聞や、知識とリンクできるか考えましょう。
それを設計図に落とし込むのです。
鳥のような眼で高いところから見て、無理がないかどうか。
試験中は頭が覚醒していますから、どこかに矛盾があっても見えないことが多いのです。
だからこその設計図です。
誰かが言っていることと同じというのでは困ります。
オリジナリティがあまりにもない文章の場合、評価は下がります。
採点者はあなた自身の文章を待っているのです。
どこかで読んだような小論文を、また読みたくはありません。
しかし実際はそれほど甘くはないのです。
大半の答案は同じ内容
論の筋道が他の受験生と似てしまうと思ったら、設計図を変えることも考えなくてはなりません。
入試では目立つことも必要なのです。
採点者が、ちょっと他の答案とは違うと感じたら、それは大きなチャンスです。
ただし、非人道的な文章や課題文を誹謗中傷するなどは論外てす。
あくまでも正面から切り込んで、新しい視点を少しでもそこに注入しようとする熱意が必要なのです。
そのためには最初の設計図に、ワンポイントを落とし込んでおかなくてはなりません。
自分だけのフレーズをみつけておくのです。
ノートやメモの中で、自分がこれは使えると考えた表現、あるは歴史的な事実、自分自身のエピソード、あるいは筆者についての見聞が必要です。
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他の受験生と一味違うと感じると、採点者はじっくりとあなたの答案を読んでくれます。
実際に採点をした多くの人の感想に次のようなものがあります。
大半が似たレベルだというのです。
答案のほぼ半分の部分は筆者の論点をなぞるケースが大半です。
それに対しての自分の意見があればまだいい方なのです。
それもなしに最悪の場合、体験談などを長く書かれたりするとたまりませんね。
結論部分になんの整合性もない文章もあります。
それでも採点をしなくはならないのです。
本当につらい作業です。
そんなとき、うまく主題に繋がるちょっとしたエピソードを挟んでくれたり、知らなかった数字や、歴史についてまとめてくれたような文章があると、救われます。
受験生にはそれほどの余裕はないでしょう。
だからこそ、日常的な練習が大切なのです。
ぶっつけ本番で書ける人はほとんとどいません。
はっきりとした方向感覚を持っている人は、国語力だけでなく、大学に入ってからでも伸びるのです。
その信頼があるからこそ、評価も高くなります。
自分を表現する
小論文は論理が命です。
だからといって無味乾燥な文章がいいのでしょうか。
そんなことは全くありません。
そこにあなたらしさがなければ、なんのための試験かわからないではありませんか。
採点者はあなた自身の言葉を待っているのです。
どんな時にどういう反応をしたのか。
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人生や学問において、何が最も大切だと考えているのか。
大学で学ぶことを通して、何を手にしたいのか。
究極のところ、あなたが生きていく目的は何であるのか。
どのような人生を送りたいと考えているのか。
そうした内容の1つ1つを言葉の中に埋め込んでいくのです。
航海の海図と同じですね。
この地点を通ったら、次はどこへ向かうか。
それを採点者にはっきりとみせてください。
クリアに描かれていればいるほど、読んでいても清々しい気持ちになるのは当然です。
そういう学生にきてもらいたいのです。
ちょっとした言葉でもいいのです。
そこにあなたが生きていることの証しを添えてください。
そうした若い世代の人と一緒にいられることが、採点者の喜びにもなります。
時間はそれほどありません。
多くの過去問の中に、そのためのヒントがあります。
学び続けてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。