【小論文・学力】断片化した知識を丸暗記して世界観が身につくのか

学び

学力とは何か

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は昨年の3月12日にこのブログで取り上げたテーマをさらに深掘りします。

読者の方から質問がありましたので、もう1度、問題点を考えてみました。

真の学力とは何かというのがそれです。

日本でも今までにさまざまな学力観が議論されてきました。

その代表的な考えが、テストの採点方法に結晶しているといっても過言ではないのです。

全国一律に行われる大学入学共通テストを参考にしてみましょう。

かつては大学入試センター試験、共通一次試験と呼ばれてきました。

国公立大学に入学するために受験しなくてはならない必須の試験です。

近年は多くの私立大学も参加しています。

名称が何度も変更され、科目数などもかなり変化してきました。

その歴史は、日本の教育に対する揺れを象徴しています。

入学試験の基本は公平性と客観性です。

この2つが担保されない限り、実施される可能性は極めて低くなります

そのためにはどのような問題をつくればいいのか。

入試担当者は頭を悩ませることになります。

どうすれば学力を客観的に判定することが可能なのか。

そもそも学力というものを数字で見える化することができるのでしょうか。

学力には当然、記憶力も入ります。

しかしそれはあくまでも一部の能力でしかありません。

読解力、表現力、論理構成力、思考力など、さまざまな要素が必要になるのです。

さらにはより創造的な力や発想力、コミュニケーション能力なども判定しなければなりません。

そうした多くのジャンルの能力を試験で判定することが可能なのか。

問題はさらに深くなっていくばかりです。

記述式の問題点

数年前、新しいタイプの試験を実施しようとして、頓挫した経緯をご存知の人もいるでしょう。

それは国語と数学などの試験に新しい学力観を持ち込もうとしたところから始まります。

2020年度に始まった大学入学共通テストから、国は大きく出題方法を変える意向を取り入れようとしました。

国語はこれまでマークシート方式で4つの大問で構成されていたのです。

しかし新しい共通テストでは記述式を1問加えて最大80~120字を書かせる小問3問を出す予定にしました。

数学1、1・Aにおいても複数の大問の中で、記述式の小問を計3問出す計画に変更する予定でした。

国語ではあらかじめ、プレテストなども実施したのです。

新しい学力観にともなう、課題発見能力をチェックするための問題を試みに作成し、受験生に解いてもらいました。

思考力や表現力を問う形のものにするためです。

ところが、大きな問題に直面しました。

採点の公平性をどのように担保するのかということです。

記述式の採点には予想以上の時間がかかります。

50万人以上の受験生の答案をどのようにして採点すればいいのか。

文科省が新設した検討会議で議論した結果、業者に任せることで決着しました。

そのための見積もりを業者に委託し、ほぼ1社に決定したのです。

しかし結論からいえば、文科省は19年12月、「採点ミスを完全になくすことは難しい」などとして導入見送りを決めました。

コミュニケーション能力を持ち、自ら創造する学力はこれからの時代に必要です。

それを正確に判定しようとするのは、世界の潮流といっていいでしょう。

その背景にはOECDが3年おきに実施している、PISAの結果が予想以上に悪かったことが反映されていると言われています。

PISAは生徒の学習到達度調査のことです。

各国の15歳の子どもを対象に行われた学力調査の結果、2018年には日本人の「読解力」が世界で15位と大きく下がりました。

ちなみにその前回は8位だったのです。

文科省は慌てて、読解力の向上を目指さなければならなくなりました。

そのために準備した結果が、頓挫したというのは、関係者にとって大きなショックだろうと容易に想像できます。

日本型教育

この入試問題は「日本型教育」のあり方を問うのが主題です。

2010年、富山大学人文学部後期入試に出題されました。

ロシア語通訳者、米原万里さんのエッセイ『心臓に毛が生えている理由』からとったものです。

彼女が感じた日本の教育の問題点をわかりやすくまとめています。

全文を掲載するワケにはいかないので、内容だけをまとめます。

実際の問題を収録した本はこの記事の最後で紹介します。

ポイントは以下の通りです。

日本人の研究者の通訳をするたびに、その発言における語と語の間の関係性があまりに希薄だという印象が強かったというのです。

知りあいのモスクワ大学の先生が彼女に語った内容は次のようなものでした。

①日本の研究者は、知識は豊富だがその羅列でしかない。

②体系化して現実の全体像を把握するのが学者の仕事なのに、あまりにも知識観が違う。

③教育方法が根本的に違うのではないか。

帰国した時の違和感

この指摘は彼女がチェコのプラハから日本に帰国したとき、感じた違和感とピッタリ重なったそうです。

①日本の学校では知識は切れ切れバラバラに腑分けされ、丸暗記を奨励された。

②知識や単語が全体の中でどの位置にあるのかを説明されることがなかった。

先生にその理由を訊ねると、次のような答えが返ってきたということです。

③論文、口頭試験では評価が大変で、教師の力量が足りないからやりたくても実施できない。

④評価するものの主観によって評価が左右されるので、どうしても○×式の問題になりやすい。

「自ら学び、自ら考える力」を育てるというのが、近年の学力観です。

学習指導要領にもそのように書かれています。

しかし実際日本で行われている入試においては○と×の採点が横行しているのも事実です。

近年、私立大学の50%の入学者は推薦入試で合格しているという指摘もあります。

小論文、面接などとで合否を判定するのです。

客観的なテストをせずに、入学者を決めていいのかという疑問を口にする人もいます。

しかしこのテストが本当の意味での「客観的」なものであるのかどうか。

「学力」を数値化することの難しさはここにも表れています。

多様性を評価するものさしをどこに設定すればいいのか。

これこそが大きな問題になりつつあるのです。

いろいろなことを知っているけれど、それが現在の世界とどのように繋がり、これからの展望がどう広げられるのか。

それなしにいくらものを覚えても、学問にはならないのではないかというのが、米原さんの考えです。

地域や社会との繋がりを第1に考えるという方向性を持つために、学力をどう考えたらいいのか。

これは大変に難しい、永遠のテーマです。

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現在のあなたが答えられる範囲でいいです。

最大限、問題を深く掘って論じてください。

小論文にこれが正解だというものはないのです。

それだけに考える力が必要になります。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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