似た文章ばかり
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は論文の独自性について考えます。
小論文の添削を隋分長く続けてきました。
しかし1時間も同じ作業をしていると、次第に飽きてきます。
疲れてくるというのとは少し違いますね。
飽きるのです。
なぜでしょうか。
あまりにも似たような文章が多いからです。
世間の通念にしたがい、課題文の内容を繰り返したものが圧倒的に多いのです。
文章にも力がありません。
光る部分がないのです。
なぜか。
やはり怖いんでしょうね。
テーマから大きく外れると、それだけで評価が下がるのではないかと考えてしまうのかもしれません。
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あるいは内容が難しくて新しい独自の視点が考えられないのか。
問題を作っている段階で入試担当者たちはあらかじめどのような解答が出るのか検討します。
これくらいの内容は書いてくるだろうという予想をいくつかたてるのです。
その段階である程度、採点の基準がみえてきます。
筆者の論点に対する賛否を分析してわかりやすい表などにまとめておくケースもあります。
ただし内容に対する賛否が評価に直接関連するということはあまりありません。
極端なことをいえば、どちらでもいいのです。
大切なのは、なぜそう考えたのかという根拠の説明です。
この部分が1番のポイントです。
小手先の技術で逃げ切ろうとしても無理です。
パターンを先回りして検討してあるからです。
繰り返しはダメ
わかりやすくいえば、筆者の論点の繰り返しに近いものはNGです。
少しだけ課題文を紹介し、それに対して自分の意見を述べる。
それもどこかで聞いたことのある論点でまとめてしまう。
このパターンが最悪ですね。
ある意味で仕方のない事情もあります。
今まで考えたことのないテーマを突然出され、自分の意見を述べろと言われても、そう簡単にできるものではありません。
小論文の厄介なポイントがこれなのです。
曲がり角と呼んでもいいかもしれません。
本当の実力が必要になる理由がここにあります。
出題されるテーマに対して、圧倒的な知識がいります。
「ジェンダーフリー」と言われて、すぐに適切な文章が書けますか。
「脱炭素社会における原発の意味」などという課題文が出てきた時、両者の関係が見えてきますか。
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「アイデンティティ」という思想に対する注意点とは何ですか。
いずれも内容に対する知見がなければ、容易に文が進みません。
石炭、石油による火力発電が炭素を多く排出するという事実は知っていたとします。
それでは原発はどうですか。
原発における炭素の排出量はどれくらいなのでしょうか。
他の発電方法と比べて、どの程度の差があるのか。
ある程度知らなくてはなりませんね。
ここで圧倒的に知識が必要になります。
問題によってはグラフで示されるかもしれません。
その時は読み取る能力が必要です。
それでも通説と呼ばれるものの存在は知っておく必要があるでしょう。
新しい考え方
課題文に書いてあったのは新しい考え方ですか。
それともごく常識的な論点でしょうか。
それに対して自分の立場をどこにおこうと思いましたか。
新しい方向性を出した方が、読んでいる立場の人間からみれば新鮮です。
しかしいつもそんなにうまくいくとは限りません。
では具体的にどうするのか。
なんとか書き出そうとしても言葉がつまってしまいます。
ともすれば課題文にある内容を繰り返して、その通りだと肯定してしまうパターンになりがちなのです。
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理由は簡単です。
苦しいからです。
だいたいテーマになる内容は、ある程度こなれたものが多いのです。
正面から反論できるようなものはそれほどありません。
としたら、ポイントを拾ってきて、まさにその通りだと大見得を切るのが1番簡単です。
しかしこれではなんの新鮮味もないです。
付け焼刃ははげやすいの喩え通りです。
どうしてそう考えたのかという根拠の説明も課題文を書いた筆者と同じになってしまうのです。
論文として、なんのオリジナリティーもありませんね。
文章が輝いていれば、少しは読めるかもしれません。
しかしこのような文を書く人は、総じて表現力があまりないのです。
どうしたらいいのか。
本当に国語力がどれほど必要なのかを痛感する瞬間です。
角度と視点を変える
どうしたら新しくみえるのでしょう。
少しでも新鮮な部分を強調したいものです。
最初に視点の変化をつけてください。
その論点は世界中で通用しますか。
まさか日本だけの固有の話ではないでしょうね。
グローバルでない思考方法は小論文では通用しません。
最初にそのことを考えてみましょう。
もし日本だけでしか通用しないとしたら、なぜなのかを論じてください。
つねに地球規模でものを考えている姿勢をみせるだけで、深さと広がりを感じさせます。
あるいは歴史的にみて、それは通じる考え方なのかどうか。
少し前なら、そういう論理も使えたかもしれない。
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しかし現代ではもうダメだとなったら、なぜ使えなくなったのか。
その根拠を示してください。
するとそこから逆照射して現代が垣間見えてくるはずです。
もう1つは誰にでもあてはまるのかということです。
大人といっても若い世代から老人までいます。
子供もそうです。
階層に分かれます。
男女ではどうでしょうか。
まさにジェンダーや階層化社会にそのまま入り込んでいける内容になりませんか。
それだけでオリジナリティーが出てきます。
ただ平面的に眺めているだけではなく、正面や斜めから見る角度をかえてください。
それが新しさを作り出します。
これだけ説明しても、具体的にどのように書いたらいいのかわからないという声も聞こえてきます。
今後、具体的なテーマにそって、さらに論を進めることにしましょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。