名作『山月記』
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は作家、中島敦をとりあげます。
御存知ですか。
人間が虎になった話を書いた小説家です。
『山月記』がそのタイトルです。
高校2年生で必ず習います。
覚えていますよね。
あまりにも自己顕示欲が強く、プライドの塊だった李徴という主人公の造形が見事です。
それに対して穏やかな性格の友人、袁傪(えんさん)との対比が誠に理解しやすいのです。
高校2年生といえば、そろそろ自我が確立し、自分がどういう人間なのかを知りつつある年頃です。
他人と比べ、自分の持つ過剰なまでの顕示欲と劣等感との間で揺れる年代です。
この小説が強いインパクトを持っているのは、高校の教科書で不動の地位を占めていることからも明らかです。
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詩人としてなかなか世の中に認められない李徴の苦しみは、中島敦そのものの焦りでもありました。
自分の才能を信じていたからこその辛さです。
自身の姿を投影してこの作品が書かれたのは間違いありません。
彼も作家としての実力をなかなか認めてもらえませんでした。
その苦しみの果てに気管支喘息で亡くなってしまったのです。
虎になってしまう主人公に自身の姿を重ね合わせたのでしょう。
かつて同じ時に官吏登用試験に合格した友人、袁傪は遥か高位の役人になっています。
今、狂いつつある李徴にできるのはただ昔作った詩を袁傪に書き留めてもらうことだけでした。
そのうち、酔いつぶれて完全に人食い虎になったら、親友にまで襲いかかってしまうかもしれません。
その悲しみがわかればわかるほど、つらい出会いの場面が衝撃的です。
漢詩を読み上げるシーンはまさにこの小説のクライマックスですね。
名人伝
今回はその後に書かれた『名人伝』についても少し考えてみたいと思います。
久しぶりに読み返して、考えるところが多かったからです。
登場するのは弓の名人になりたい紀昌という男です。
彼はどうしてもその道を極めたくて、趙の国随一の名人と言われた飛衛の元に弟子入りします。
飛衛はまず瞬きをしないで、対象物をとらえるという訓練を施すのです。
これは人間の生理に反した行為です。
誰でも瞬きをしないでいることはできません。
眼球がすぐに乾いてしまうからです。
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少しだけそのインターバルを伸ばすことは可能でしょう。
プロスポーツの中にはほとんど瞬きをしないという人もいますけどね。
しかしほとんどの場合、無理です。
紀昌は弓の名人になりたかったのです。
師に言われたことをひたすら守りました。
妻の機織り台の下に潜り込み、どんなことがあっても目を閉じない訓練に明け暮れたのです。
やがてそれに成功します。
すると、次は小さな虱が蚕の大きさになるまでじっと凝視し続ける訓練をさせられました。
このあたりは鬼気迫る書き方がされています。
剣の道でも武道などでも似たような話がないワケではありません。
人の髪の毛を縦に半分に切るなどという話もきいたことがあります。
奥義の伝授
奥義の伝授がすむまでに5年を要しました。
ついに名人の座を奪えると信じた紀昌は師、飛衛に戦いを挑みます。
飛衛を倒さない限り、自分が唯一絶対の地位を得ることは不可能だったのです。
互いに射た矢は空中で激突し、ともに地に落ちました。
力の差がないことを知った両人は、互いにひしと抱き合います。
このシーンはなかなか感動的ですね。
ここからが、この話の真骨頂です。
紀昌はさらに弓の技を高めようと、山上で暮らす老隠者の元を訪ねます。
この隠者は一羽の鳶が空高く舞っているところに、見えない矢を無形の弓につがえ、射落とすことができるのです。
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ここではじめて道の深遠なことを紀昌は実感します。
彼はこの隠者の元で9年間、日々の修行をつみます。
都では紀昌が名人になったという噂を聞き、一度その妙技を見てみたいと人々が期待をして待っていたのでした。
彼の家の屋根の上から、神気が抜けだし、かつての名人達と腕比べをしているという噂までたちます。
邪心を抱く者は彼の家のそばを通らず、鳥は上空を飛ぶことすらしなくなりました。
名人紀昌は次第にこのような世評の中で年を重ねていきます。
枯淡虚静の境とでも呼べばいいのでしょうか。
見てみない、聞いてきかない
紀昌は自分の弓の腕を人に見せるようなことはしません。
我と彼との区別をせず、是と非との分を知らないと呟くのみです。
その後40年間、紀昌はとうとう弓をとらなかったのです。
死を迎える数年前、ある招かれた人の家で弓を見ました。
しかし彼にはそれが何かわからなかったのです。
これは何に使うものかと真剣に問う姿の中に、冗談でもなく狂気でもない、真実の名人の姿を人々は見ます。
この話が伝えられてから、都では画家は絵筆を隠し、楽人は弦楽器の糸を断ちました。
工匠たちは定規とコンパスを手にするのを恥じたというのです。
中途半端である自分を知っている人たちは、全く何もできなくなってしまいました。
名人とはどのような人のことをいうのでしょうか。
この問いかけはあらゆることに通じますね。
本当に偉い、優れた人物は偉ぶることもありません。
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自分の力を誇示することもないのです。
しかもその目は常に見開かれたままです。
見て見ない、聞いて聞かないの極値がまさにここにあるのではないでしょうか。
何とも不思議な小説です。
中島敦はいつかこういう境地に自分もなりたいと思っていたのでしょうか。
人間国宝と呼ばれる人々はどのようなことを考えているのか。
少し知りたい気もしますね。
芸術の世界には果てがありません。
おそらく、この弓の名人と同じなのかもしれません。
落語の世界などでも、わざと面白いことを言う必要はないとよく言われます。
普通にやっているだけで、十分に面白い。
噺はそういう風にできているんだとよく聞きます。
実はその普通にやるということが、実は1番難しいことなのです。
あたりまえがあたりまえにできて初めて、1つの道に繋がるのかもしれません。
彼には他にもすぐれた掌編がいくつもあります。
『李陵』なども是非お勧めしたいです。
彼の最期の言葉は次のようなものだったと伝えられています。
「書きたい、書きたい」。
「俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまひたい」。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。