【桃花源記・陶淵明】ユートピアは桃の花咲く密かな山奥にあった

人間の自由

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回ははじめて漢文を取り上げます。

最近は入試でも漢文の出ない大学が多いですね。

だんだんと漢詩や故事成語などの持つ味わいを理解する人も減っていくんでしょうか。

中学や高校の授業を大切にしてほしいと心から思います。

今回は陶淵明の代表作『桃花源記』を扱います。

桃源郷という言葉があります。

ご存知ですよね。

ユートピアのことです。

なぜ桃の花の咲き誇る土地が理想の場所なんでしょうか。

よく考えると不思議です。

しかしこの作品には、どこが郷愁を感じます。

描かれた世界がとても美しいのです。

桃の花咲く水源の奥の土地に密かに住んでいるわずかな人たち。

彼らはこの世の束縛から離れて自由に暮らしています。

今がいつの時代なのかということも知りません。

陶淵明という人はいつもどこか遠くへ行きたかった人のようです。

生まれたのは西暦365年。

実に1650年近くも前の人なのです。

東晋末から南朝宋にかけての文学者です。

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字は元亮、またの名は潜、字が淵明です。

自伝的作品『五柳先生伝』から五柳先生とも呼ばれました。

郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残したのです。

後世には「田園詩人」とも呼ばれています。

世を捨てて隠棲し、田畑を耕し酒を楽しみ詩を詠んで暮らすというのが彼の理想でした。

しかし実際の人生は必ずしも理想通りにはいきません。

災害や火事などにもあい、生活は苦しかったようです。

詩にはよく酒が歌われています。

美しい田園の風景や農村での暮らしにひたすら憧れていたのです。

書き下し文(一部)

本文をそのまま掲載しても漢字ばかりで、読むことができません。

それを書き下し文(漢字とひらがなの混じった文)にしても、やはり難しいです。

しかし訳をここに掲載しただけでは、漢文の持つ独特の趣きは出ません。

やはり読んで声に出すことに意味があるのです。

授業でも漢文は読むことが基本です。

読めれば、意味は後からついてきます。

少しだけ書き下し文を載せさせてください。

よかったら声に出して読んでみましょう。

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とても気持ちがいいですよ。

桃花源記

晉の太元中、武陵の人 魚を捕ふるを 業と爲せり,

溪に縁ひて行き、 路の遠近を忘る

忽ち 桃花の林に逢ふ。

岸を夾みて數百歩、 中に雜樹無し。

芳草鮮美として、落英 繽紛たり。

漁人甚だ之れを異とす、 復た前に行き、 其の林を窮めんと欲す。

林 水源に盡き、 便ち一山を得。

山に小口有り。 髣髴として光有るが若し。

便ち船を舎てて口從り入る。

現代語訳

晋の太元年間に、武陵の人で、魚を取ることを職業としている人がいました。

ある日、谷川に沿って行くうちに迷って、どれほどの道のりかが分からなくなってしまったのです。

突然、桃の花の咲いている林に出くわしました。

桃の木は川の両側に数百歩、中には他の木は混ざっていませんでした。

香りの良い草が鮮やかで美しく、花びらが乱れ散っています。

漁師は、この景色をたいそう不思議に思い、さらに先に進んで、その林の奥を突き止めようとしました。

林は川の水源で終わり、すぐに一つの山を見つけたのです。

山に小さな穴があり、奥のほうがかすかに見えて光があるようでした。

そこに船を置いて、穴から中へ入りました。

初めのうちは非常に狭く、人がやっと通れるだけでした。

さらに数十歩進むと、広々として明るいところに出ました。

土地は平らで広く、家屋は整然と並んでいます。

美しい田や池、桑や竹の類いがありました。

AdinaVoicu / Pixabay

田畑の畔道が縦横に通じ、鶏や犬の鳴き声が聞こえてきます。

その中を人々が往来して種をまき耕作しています。

男女の衣服は、まるで異国の人のようでした。

髪の毛が黄色くなった老人や、おさげ髪の子どもが、皆、楽しそうにしています。

村人は漁師を見て大変驚き、どこから来たのかを尋ねました。

漁師は詳しく質問に答えたのです。

村人はぜひ家に来てくれと、酒を出し鶏を殺して、食事を作ってくれました。

村中、客人が来たのを聞いて、皆やって来ます。

村人が言いました。

「先祖は、秦の時代の戦乱を避けて、妻子や村人を引き連れて、この世間から隔絶した地に、やって来た。二度とは世間に出ませんでした。そのまま、外の世界とは、隔たってしまったのです。」

ある村人が質問しました。

「今は、何という時代なのですか。」

村人達は、漢の時代があったのを知らず、その後の時代の魏・晋があることなど知る由もありません。

漁師は彼らのために、一つ一つ聞かれたことに細かく答えてあげました。

皆、驚き、ため息をついて聞いていました。

他の村人たちも、それぞれまた漁師を招待して酒や食事を出しました。

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漁師は数日間、とどまってから彼らに別れを告げたのです。

別れ際にこの村の中の人が語ったことには…。

「外の世界の人に言うほどのことではありませんので黙っていてください。」

漁師は村を出て、自分の船を見つけ、ただちに以前の道をたどって、ところどころに目印をつけました。

帰宅後、郡の役所のある町へ行き、太守に面会して、このようなことがあったと報告したのです。

太守はすぐに人を派遣し、漁師が行くのに付いて行かせ、目印をつけておいた所を探させました。

だが結局迷ってしまい、桃花源の村への道を探しだすことはできませんでした。

南陽の劉子驥(りゅうしき)は、志の高い人です。

この桃花源の話を聞き、喜んでその村に行こうと計画しました。

しかし実現しないうちに、病気にかかって死んでしまったのです。

これ以降、漁師が降りた桃花源への船着き場を探す者は、誰もいないということです。

何を伝えたかったのか

なんとも不思議でつかみどころのない物語ですね。

陶淵明は桃源郷を描くことによって人々に何を伝えたかったのでしょうか。

桃の林は何を意味していると思いますか。

たくさんの説があります。

ある学者は仙界を象徴するものだと言います。

かつて中国では世界の中心に生える樹は、桃の木であると考えられていたのです。

桃林は別世界への入り口の役割を果たすとされています。

色あいも不思議なくらいに違う世界への誘いに満ちています。

田園に隠れようとした陶淵明にとっても、懐かしい風景だったのかもしれません。

この話のポイントは、誰も2度とその場所がみつけられなかったというところです。

だからこそ、この作品が残っているといえないこともありません。

ユートピアは簡単にはみつからないのです。

桃源郷の所以なのでしょう。

是非、一度全文を読んでみてください。

不思議な懐かしさをきっと感じると思います。

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最後までお読みいただきありがとうございました。

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