国語力が全ての基礎
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。
40年間の教員生活の中で、今まで多くの生徒に接してきました。
延べにすれば教えた生徒数は1万人を超えています。
その間に感じたことの中で1番基本的なことはなんといっても国語力の大切さです。
きちんと文章が読める生徒は総じて成績がいいです。
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成績のふるわない生徒は文章が満足に読めません。
漢字の多い複雑な表現になると、そこでつっかえてしまいます。
授業の時は読みを教師に教えてもらえますが、自分で本を読むというのは苦しいでしょうね。
満足に読めない本を無理して開き、理解するのは並々のことではありません
何度も繰り返しているうちに勉学に対して自信がなくなっていくのがよくわかります。
言うまでもないことですが、国語力は全ての学力の基礎です。
英語も社会も国語力がないと得意になれないのです。
これは読解力を身につけるという以前の話です。
文章が自然の速さで読めるということ。
これがなにより大切な基本なのです。
ではどうしたらその能力を高められるのか。
さらに内容を理解し把握していくことができるのか。
当然ですが、ただじっとしているだけで、状況がよくなるわけではありません。
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努力をしなくては、国語力だけでなく、全ての学業からドロップアウトしてしまうことになります。
自分には国語力がないと思ったら、つらいかもしれませんが、日々の勉強しかありません。
勉強に年齢は関係ありません。
仕事についた後でも、プレゼンテーションなど多くの場面で国語力を発揮しなくてはならないのです。
興味、関心に素直になる
声を出して読んでみましょう。
最初はつっかえることもあります。
読めない漢字もあります。
しかし声に出して本を朗読するというのは案外気持ちのいいものです。
自分に1番興味ある内容から入るのが最も手っ取り早いです。
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よく外国人が日本のアニメに関心を持ち、そこから日本語に興味をもったという話を聞きます。
入り口はなんでもいいでしょう。
自分が最も読みたいもの。
動物でも、昆虫でもかまいません。
魚でも植物でもいいです。
スポーツでも自分に興味関心があるものなら、入り口としては最適です。
とにかく何もしないというのが1番いけません。
こんなことはあまりにレベルが低くてとても他人には話せないということがあったとしても、入り口はそこからでいいのです。
童話が好きならば、それもいいでしょう。
どうしても苦しい場合はルビの振ってある本を読むことも可能です。
読み進むにつれて、次第に内容が複雑なものを読みたくなります。
これは黙っていてもそうなるのです。
コロナ禍の中で、時間をどうやったらつぶせるのかで苦しんだことと思います。
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スマホを見たり、ゲームをやったりもしたことでしょう。
ここは思い切って文章を読むということに、エネルギーを傾けてはどうでしょうか。
想像力が豊かな現代の若者たちには、それ以前の世代とは違う感覚があるはずです。
あるいは高齢になって、今までと違う読書傾向を持ちつつある人がいるかもしれません。
宗教書や、若い頃に読まなかった作家の作品に触れるという話も聞きます。
『ペスト』の増刷
今年に入って新型コロナウィルス蔓延にともない、カミュの小説『ペスト』に対する関心が強くなったという話を聞きます。
その証拠が『ペスト』の売れ行きです。
新潮社によれば、『ペスト』は2月以降で15万4千部を増刷したとのこと。
累計発行部数は104万部になりました。
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この小説はアルジェリアのオランの町にペストが流行し、閉鎖された町の中でもがく人々を描いたものです。
様々な登場人物の行動が静かに描かれています。
次々と人が亡くなっていくといういタイプの恐怖小説とは一線を画しています。
伝染病の恐ろしさや人間性を脅かす不条理と闘うというストーリーがそれだけの人に受け入れられたという事実が全てを物語っています。
これは日本だけの話ではありません。
フランスやイタリア、英国でもベストセラーになっているというのです。
不条理な世界を描いたら、アルベール・カミュの右に出る人はいません。
こうした作品に触れることで不条理という言葉の意味が完全に自分のものになる可能性もあります。
不条理文学といわれるものは『ペスト』だけではありません。
カミュには『異邦人』という代表作もあります。
動機のない殺人事件に気味の悪さを感じます。
主人公への共感が持てるかどうか。
とにかく読んでみてください。
あるいはカフカの『変身』という作品も不条理文学の最高峰です。
20世紀の終わりから21世紀へかけて、世界は大きな変貌を遂げました。
そうした中で出てきた演劇にも不条理な世界を描いた作品は多いのです。
代表はなんといってもベケットの『ゴドーを待ちながら』でしょう。
この戯曲は世界にとって大きな衝撃でした。
この作品から多くの作家たちが啓示をうけ、次々と不条理の文学を生み出しています。
日本人で最もこの種の感覚に長けていたのは安部公房です。
彼の作品はまさに不条理そのものの世界を自分の言葉で掬い上げました。
『砂の女』は蟻地獄のような砂の穴の中に吸い込まれていく人間の日常を描いています。
岸田今日子が主演して映画化もされました。
音楽は武満徹です。
高校の教科書には『赤い繭』という短編も所収されています。
自分がやがて繭の中に沈み込み、そこにあるのは夕焼けの風景そのものであるという不思議な作品です。
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こうした作品をはじめて読む人にとっては大きな刺激になることと思います。
同じ傾向の小説を読み続けるのではなく、自分にない世界を覗き込みにいくという態度が必要でしょう。
これらの作品群はけっして難しい内容のものではありません。
ただしその理解には今回のコロナ禍のような現実が必要かもしれません。
国語力は読む力から
とにかく読むことです。
つい新刊本に手を出したいところですが、定評のある作品の中から選ぶのがいいでしょう。
なぜ多くの人に読まれたきたのか。
そこにはきちんとした理由があるからです。
今回のように不条理という言葉でくくれる作品は予想以上に多いのです。
しかしその中で本当に内側から魂に刺激を与えるものはそれほどたくさんはありません。
今年亡くなった劇作家の別役実の戯曲も不条理そのものを描いています。
代表作は『マッチ売りの少女』(66) など。
『赤い鳥の居る風景』 (68) で岸田国士戯曲賞受賞しました。
童話もたくさん書いています。
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その世界はごく些細なことがらが次第にリアリティを持ち始め、やがて周囲の風景を全て塗り替えていくというものです。
戯曲を読むということに抵抗のある人もいるでしょう。
しかし試みてみる価値があります。
安部公房にも「友達」のような不条理劇があります。
別役実のものとあわせて読んでみることを是非お勧めしたいです。
この類の小説や戯曲はこれからも長い命を保つだろうと思います。
しかし今ほど、私たちが置かれている状況の不可思議さを感じる時はないのではないでしょうか。
人間が生きるということは、理屈だけで計算できるものではありません。
非常事態が解除されたとしても、また次の幕が開くという怖れは十分にあるのです。
このような機会に是非、想像力を飛躍させてください。
それが結局は国語力を養い、論理性を養います。
小論文を書くことに耐えるだけの筆力を生むのです。
文書を書くということはそれくらい長い道のりなのです。
最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。