【月刊文藝春秋】赤坂太郎の名コラムを読めば政界の鳥観図が一目瞭然

このコラムから読もう

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

コロナ禍でどこにも行くところがありません。

せめて新しい情報を得たいと思えば、テレビかネットに頼らざるを得ないのです。

ちょっと足を伸ばして駅前の本屋さんでしょうか。

最近は小さな書店が次々と姿を消し、残っているのはチェーン店ばかりとなりました。

つまり売れ筋の本を並べて、お客様を待つという図式です。

コンピュータ配本が稼働している現在、貴重だけれど売れない本はますますその存在を危うくしているのです。

雑誌も様変わりしました。

冬の時代といわれて久しいです。

広告の出稿量も減り、売れ行きも落ちています。

いつの間にか姿を消した雑誌の多いこと。

売れている雑誌はほんのわずかです。

その中でも「月刊文藝春秋」はいつも安定した数字をキープしています。

最も権威がある日本ABC協会の数字をみてみましょう。

新聞、雑誌等の発行社からの部数報告を公査する業界団体です。

ここの数字をもとに広告の単価を決める最も信頼されている組織なのです。

よく出版業界では発行部数公称何万部という言い方をします。

あれは全く信用できません。

数倍から10倍ぐらいは平気で自社発表するんです。

どういう商習慣なんでしょうかね。

第三者が確認した信頼出来るデータがABC部数なのです。

qimono / Pixabay

それによれば総合雑誌の販売数は…。

「潮」12万部、「中央公論」2万4千部、「文藝春秋」40万部です。

その他「週刊文春」60万部、「週刊新潮」43万部となっています。

この数字をみると、月刊誌における文藝春秋の地位がいかに高いものか、よくわかるのではないでしょうか。

菊池寛がつくった雑誌

1923年(大正12年)1月、菊池寛が私財を投じて創刊したのが文藝春秋です。

当時の価格は1部10銭、部数は3000部でした。

雑誌の名前の由来は彼が「新潮」に連載していた文芸時評のタイトルから来ているそうです。

今では芥川賞、直木賞受賞作の掲載誌という位置づけで知っている人の方が多いかもしれません。

芥川賞も直木賞も文芸春秋社が行っている独自の文学賞という性格が強いのです。

geralt / Pixabay

それがいつの間にか1人歩きをしてしまいました。

販売数を増やすために、話題性のある作品が賞に選ばれやすいという側面もないワケではありません。

同社は複数の文学賞を主催、運営しているのも特徴です。

2月号で文藝春秋読者賞、6月号で大宅壮一ノンフィクション賞、7月号で松本清張賞、12月号で菊池寛賞の受賞者も発表されます。

毎月10日発売で判型はA5判です。

ページ数は通常は約450ページ。

誰が読んでいるのかといえば、平均的な日本の教養人と考えるのが1番自然なのではないでしょうか。

ゴシップ好きの人も読みますが、あまり多くはありません。

ある程度の教育を受け、理解力のある人でなければ読めないのです。

基本的に活字メインの雑誌です。

政治、経済、経営、社会、歴史、芸能、軍事、皇室、教育、医療、スポーツ。

なんでもネタにします。

高齢化にあわせ、天皇制、戦争などに関するエッセイなどもかなり掲載されています。

雑誌の内容は保守的な論調が基本です。

そこから赤坂太郎のコラムが読まれる土壌が育ったと考えるのが自然でしょう。

どこの図書館にもある

かつて総合誌といえば、「世界」「改造」「中央公論」「文藝春秋」「展望」でした。

『改造』が1番早く廃刊になり、その次は「展望」。

残りの3冊が残りました。

今も必ずこの3冊の雑誌は大きな図書館にあります。

高校の図書館も少し前までこれらの雑誌を購入していました。

しかし読む生徒がいなくなったのでしょう。

今は「文藝春秋」がかろうじてという感じでしょうか。

残りの2冊は消えたところが多いです。

さてぼくが「文藝春秋」の中で1番最初に読むのはどこか。

ズバリ赤坂太郎のコラムです。

なぜここを読むか。

とにかく新聞に載らない内輪の話が実に面白いからです。

簡単にいえば、与党の政界裏話です。

もっといえば、政権を握っている人たちの暗躍の構図が垣間見えるからです。

どうやって権力を手にし、それを守り続けようとするのか。

政敵を潰すために、どのような方法をとるのか。

国会を通過した法案の背後にはどのような思惑があるのか。

新聞が表通りだとすれば、このコラムは完全に裏通りです。

薄暗い電灯がともる深夜の細い路地です。

ここまで書いていいのかという内容に満ち溢れています。

国会や赤坂の料亭の廊下を走り廻らなければ拾えないネタばかりです。

コラムの中には総理大臣、官房長官、さらに他の大臣、高級官僚などの名前が飛び交っています。

1つの政策の裏側に、これだけの思惑があることに驚かされます。

離合集散は世の常です。

しかし政治家の場合はそのレベルが激しすぎますね。

読んでいると、少し悲しい気分になります。

ここまでして権力にしがみつきたいものなのかという人間の弱さと強欲を感じます。

吉田学校の頃

政治評論家の戸川猪佐武がかつて『小説吉田学校』という本を書きました。

総理大臣吉田茂の元にいた多くの政治家たちの蠢きを実に見事に描いた長編です。

政治の世界は金だけが動くのではないのです。

名誉欲や、権力欲など、人間の持つあらゆる感情が渦巻きます。

それだけに面白いといえば、これ以上に興味をそそる人間劇はありません。

人間ですから、好悪の感情は当然あるでしょう。

あいつだけは絶対に権力の座を譲らないとなったら、そのためにあらゆる手段を使います。

敵の敵は味方です。

これも厳しい現実です。

このコラムはネットでも読めます。

ただし全文ではありません。

興味のある方は前半の部分が掲載されていますので、ググってみてください。

以前のものなら全文が読めます。

さて筆者の赤坂太郎とは誰なのか。

もちろん、個人の名前ではありません。

政治記者数人の持ち回りのようです。

内部の人ならば知っているのでしょうが、残念ながらわかりません。

しかし相当与党内の政界事情に通じていなければ、ここまでは書けません。

だから面白いのです。

さらに興味のある方は「丸の内コンフィデンシャル」と「霞が関コンフィデンシャル」をお勧めします。

ここまでくるとかなりマニアックですかね。

経済界、官界の裏話です。

それにしても赤坂太郎とは何者なのでしょうか。

すごく気になります。

これを読んでいると、政治記者というのは相手の懐に飛び込んでいかないと何も書けないのだということがよくわかってきます。

匿名の政治記者たち数人は、きっと今日も国会の中を走り回っていることでしょう。

先日、偶然の機会に衆議院を見学するチャンスがありました。

閉会中にも関わらず、廊下にはかなりの記者がいました。

あの中の誰かが赤坂太郎なのです。

お互いに素性を知らず、持ち回りでコラムを書いているとのことです。

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執筆の依頼は『文藝春秋』側からあるとのこと。

若い記者が多いという話です。

ひとたび読み始めると、政治の世界の色合いが全く違って見え始めます。

まさに伏魔殿と呼ばれる所以でしょうね。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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