最初から最後までおもしろい噺
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家、すい喬です。
今回はぼくのレパートリーの中から「寝床」を紹介させてもらいます。
実はこの噺を覚えたのは数年前です。
最初の頃はただ先輩たちのを聞いていて、いつかやれたらいいなあと思っていました。
ところがぼくの入れていただいてる落語の会の名前が「寝床の会」というところから、どうしてもやらないワケにはいかなくなりました。
いわば、登竜門のようなものと言ってもいいかもしれません。
もっと難しくいえば、通過儀礼です。
この噺をやらなくては会の正式な一員になれないということなのです。
さあ、どうしようと考えあぐねました。
新しい噺を覚える時は、とにかくいろんな落語家の音源を聞きます。
その中で自分に1番あった師匠のを覚えるのです。
その後、ある程度形ができてきたら、それにいくらか他の噺家のおいしいところを付け加えます。
ただしこれはアマチュアだけに許されること。
プロの場合は誰に教えてもらったのかを、非常に重要視します。
そこに他の噺家のギャグを入れ込むことなどは絶対に許されません。
落語家は噺を聞けば、これは誰の型だとすぐにわかります。
その中にこんなくすぐりはないということも一目瞭然なのです。
だから勝手なことは許されません。
プロの世界はいい加減なようにみえて、非常に厳しいのです。
つまり他の人に自分の芸を教えるということは「飯のタネ」を無料で提供することを意味します。
落語の稽古は基本的に金銭の授受と無縁です。
タダなのです。
それだけに教えてもらったことをきちんと守らなくてはいけません。
いわゆる「アゲ」の稽古という最終的な見極めを経て、師匠が高座にかけていいと認めない限り、演じることは許されません。
アマチュアとは厳然とした一線が敷かれているのです。
素人芸の哀しさ
この噺は義太夫に凝った大店の旦那がどうしても自分の芸を聞いてもらいたいという邪心を起こしたことに始まります。
というか、誰でも何かを習ったら聞いてもらいたいですよね。
しかしこれがあまりにもひどい芸だとしたら、周囲の者達はどうなりますか。
当然さまざまな理由をつけて逃げ回ります。
仕方がないので、旦那は食事や酒を振る舞い、それをエサに呼ぶということになります。
しかしそれでもイヤだとなれば、あらゆる断りの手口を使うのです。
自分の貸している長屋の住人達が次々と断りをいれるシーンが最初の笑いどころです。
ぼくは最終的に古今亭の型で覚えることにしました。
しかし志ん生や志ん朝師匠のは番頭が蔵に逃げ込むところがあります。
それはやめました。
あまりにも悲惨なパターンでしたのでね。
もう少しおとなしい菊之丞師匠の型で覚えたのです。
しかしそれだけでは少し物足りないので、柳家喬太郎師のちょっと派手な演出をいれました。
これでぐっと噺が盛り上がったような気がします。
登場人物は多彩です。
提灯屋、豆腐屋、金物屋、若旦那、鳶の頭などなど。
みんなああでもないこうでもないといって断りをいれます。
とにかく用事があって家をあけられないというのです。
この部分に熱を入れて喋らないと、この噺は面白くありません。
基本的に全部嘘だということは聞いている人は知っています。
知らないのは旦那だけなのです。
全部、嘘
開業式で提灯の注文が突然入ったとか。
女房が臨月だとか。
法事に出すがんもどきと豆腐を慌てて作らなければいけないとか。
成田の講中で揉め事があり、朝早くに行かなくてはならないとか。
全部嘘ばかりです。
ここをいかにもそんなことがあるよという気分で楽しくやらないといけません。
ありえない話だという風に演者が醒めてしまうと、お客様にもそれが伝わってしまいます。
全力で嘘をつくのです。
仕方がないので、今度は店の者に聞かせようということになります。
もちろん、これも逃げの一手。
番頭はお得意さんの接待で二日酔い。
小僧達は脚気だとか、眼病だとか、それぞれいろいろな病気を持ち出します。
ここの部分も熱をこめてやります。
だんだん旦那の怒りが強くなり、とうとう全員出て行けとなるところが最高潮ですかね。
この怒りは本物だなと思わせないとダメです。
長屋の者達も全員出て行け。
店の者も全部首だというワケです。
頭から湯気を出して叫びまくる旦那の哀しさと滑稽さを同時に演じるのはなかなかに難しいです。
このままでは大変なので、番頭が気を利かせて長屋中を歩き回り、少しでもいいから聞いてやってくれと説得に回るのです。
最初はふざけるな、あたしはやりませんよと叫んでいた旦那も、みんなが少しでもいいから聞かせてくださいと懇願すると、ついその気になります。
ここは文楽師匠のが1番実感がこもってましたね。
あれを極力再現します。
旦那はとにかく嬉しくて仕方がありません。
そんなにみんなあたしの義太夫が聞きたいのか。
そうか、そうか、みんなも好きだなあ。
この台詞が生きてこないと、旦那の喜びがわかりません。
とても難しいところです。
いよいよ義太夫が始まると…
素面では聞いていられないので、みんな酒を飲んで神経を殺します。
そのうち、ゴロゴロと寝てしまうのです。
あんまり静かなので、いったん義太夫をやめると、なぜか丁稚の定吉だけが泣いています。
どこに感動したのかを訊くと、ただ泣いているばかり。
おまえだけは義太夫の良さがわかるんだな。
よしよしと抱きしめてやろうとすると、定吉はなにを言ってもそうじゃない、そうじゃないと泣きじゃくっています。
そしてあそこです、あそこですと旦那のいた見台のあたりを指さします。
あれはあたしが義太夫をかたっていた床だ。
あそこがいったいどうしたんだ。
あそこがあたしの寝床なんです。
これが最後のオチになります。
結局旦那は丁稚の寝る場所を奪い、1人いい気持ちで唸り続けていたということになります。
この最後のオチは実によくできています。
最後まできてこれをゆっくり喋ると、どっと拍手がくるので、いい気分ですね。
素人芸の極致という噺です。
どうして「寝床の会」という名前がついているか、これでよくおわかりでしょう。
だれも聞きたくないヘタな落語を無理やりにきかせるという会なんだよという自戒を込めてつけたネーミングなのです。
ぼくはこの名前がすごく気に入っています。
シャレのよくわかる先輩達がつけただけのことはありますね。
素人芸の発表会というのは、だいたいがこんなところでしょう。
プロとアマチュアの差が歴然としているのが話芸です。
だからこそ、この落語の面白味が際だっているともいえるのです。
今までに何度やりましたか。
その度にすこしずつバージョンアップしておとどけしています。
前半はどのようにでもアレンジできるので、とても楽しいです。
1度寄席などで聞いてみてください。
楽しいですよ
最後までお読みいただきありがとうございました。