【小論文の約束】カタカナ語と略語の乱用は文章の品格を落とします

学び

カタカナ語の氾濫

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

お元気ですか。

今が正念場ですよ。

もう少しだけ力を振り絞って頑張りましょう。

今回は言葉の問題を考えてみます。

最近の小論文にはカタカナ語がたくさん出てきますね。

横文字をそのままカタカナにしたのですから、当然ですけど…。

どんなのがありますか。

試みにあげてみましょう。

アカウンタビリティー、オンデマンド、ガバナンス、ブレイクスルー、アメニティ、サステイナブル、グランドデザイン、コモディティ、エンジニアリング、イノベーション、ジェネラリスト、コンセンサス、コンセプト、バリアフリー、コンプライアンス。

書いていても頭が痛くなります。

みなさんは意味を全部日本語で言えますか。

小論文の解答にこの表現が全て必要でしょうか。

よく考えてみてください。

結論。

どうしてもその表現がなければ内容を示せないのならば使ってかまいません。

それ以外のいい表し方がないというのであれば、仕方がありませんね。

探せば日本語でなんとかなるというのであれば、その時はやめましょう。

使用禁止です。

乱用すると文章の品格が格段に落ちます。

日本語は強い力を持った言語です。

カタカナ語を使わなければ、どうしても表現できないということはないはずです。

小論文の答案で恰好をつけても意味はないです。

論理を優先する文章が最大の眼目です。

それ以外のところに目を向けてはいけません。

最先端の分野

最先端の分野はどうしてもカタカナ語を使う傾向がありますね。

使わざるを得ないという側面は否定できません。

ITや生命科学の先端的文章には、よく使われています。

英語からの翻訳が多く混じっているからなのです。

他の表現を日本語でみつけにくいということもあります。

課題文の例をあげてみましょう。

IT関連の例

1 順応型インターフェースは重要な機会を提供する。
2 ユーザーフレンドリー性というのは、きわめて相対的なものである。
3 ユーザーが技術をマスターするに従って、インターフェースがユーザーのスキルを見定め新しいコンテンツを提供する。

翻訳型の文章に特有な理解のしにくさがあります。

さらにカタカナ語が使われていることで、内容がより複雑になってしまっているようです。

生命科学の例

1 今日、ゲノム科学に始まる生命科学の進展が著しい。
2 これらが要因となって科学のパラダイム変換が進行しつつある。
3 研究態勢のイノベーションの推進が焦眉の急である。

どうでしょうか。

こうした内容の文章が続くと、自分もつい似た形式で書いてしまいたくなります。

同じ単語を使った方が楽に書けるということもあるからです。

しかし小論文ではなるべく避けた方が無難です。

きちんと背景を理解し、言葉の意味を認識していないと、上滑りの文になりがちです。

何を論じようとしたのかということが不明なままでは、高い評価を得ることはできません。

翻訳語のまま、使うことはできるだけしないでください。

どうしても必要な時に限って、十分注意して文章を書くようにしたいものです。

略語の落とし穴

日本語の特徴として、文章を短縮化することが可能です。

漢字にはそれぞれ意味があり、短くして重ねるとうまくまとまります。

これはカタカナ語にも応用できるのです。

たとえぱパソコンという言葉は元々、パーソナルとコンピュータを足して短くしたものです。

今では誰もパーソナルコンピュータという人はいません。

他にはエンスト、ハンストなどというのもあります。

さらに漢字とカタカナ語を一緒にして短縮化したものとして、カラオケなどというのもあります。

あるいは1つの単語を短くするということもできます。

バイト、ルポなどといわれても元の言葉がなんであったのかさえ、もう考えようともしません。

このように単語を非常に短くしても使えるというのが、日本語の特徴です。

それをそのまま小論文に入れてしまうというのはどうでしょうか。

読んでいる方の立場からいえば、実に味気なく落ち着きのない文章ということになります。

先ほどの言葉でいえば、品格がないのです。

合格答案にしようと思うのなら、これらの言葉は極力避けましょう。

きちんとアルバイト、ルポルタージュと書けば済むことです。

特に話し言葉で短縮化したものは絶対にダメです。

まさか、「マジ」「めっちゃ」などというとんでもない言葉遣いをする人はいないと思いますけどね。

実際添削をしていると、笑い話ではすまない例がいくつも出てきます。

確かにいつも使っている言葉というのは、ついまた書きたくなってしまうものです。

気持はよくわかります。

しかし文章というのは他人に読んでもらうためのものです。

つまり、ちょっと他人行儀にすましたところがなければいけません。

一度、書いて提出したものは修正がきかないのです。

文章はそういう性格を持っていると認識してください。

自宅でくつろぐように書いてはいけません。

きちんとした身なりの文章を書きましょう。

厳粛な場所で略語を使う必要はありません。

会話体がいけないということの意味もわかりますね。

少し気取って書くぐらいでちょうどいいのです。

極論を避ける

書き方の基本は最終的には中庸です。

わかりますか。

極左、極右はNGです。

あまりに極端な考えをした人間を欲しがるということは通常考えられません。

ただし、中庸だけを最初から目指すと、どっちつかずの文になります。

採点をしている立場からすれば退屈な時間です。

これが結論なのかということになりかねません。

それだけは避けましょう。

ではどうしたらいいのか。

思い切り、反対の立場から立論してかまいません。

ただし論理の整合性が必要です。

それがない文章はただの屁理屈を並べたものに過ぎません。

論理性と屁理屈は全く別のものです。

反論から始めたにせよ、どこかで相手の論点をきちんと整理し理解していることを、説得ある言葉でまとめなければいけません。

つまり相手への尊敬、敬意を示すのです。

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この姿勢があればどの姿勢で文章を書いても、特に問題はありません。

どうしても反論しきれない時は課題文の論理まで戻りましょう。

そして、筆者の考え方に理解を示すのです。

しかしこの書き方には高度なテクニックが必要です。

結局、課題文と同じかと思われない方法を身につけなければなりません。

極めて難しいです。

練習を繰り返し積んでください。

カタカナ語を使うなというのも、課題文にべったりになるなということと繋がります。

相手と同じ言葉を用いると、どうしても同じ論理の土俵に乗りがちになります。

それを避ける方法の1つでもあるのです。

文章には品格が必要です。

そのことを絶対に忘れないでください。

略語などはもっての他です。

文は人なり。

この表現の重みを実感して文章をまとめてくださいね。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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