【小論文・自由の本質】キーワードを設定し賛否を明確にして文を書く

学び

自由の意味

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

2021年度の入試もほぼ終わり、春も近づいてきました。

しかしコロナの収束はいまだに見通しが立ちません。

今年1年間くらいは今のような状態が続くという予測も出ています。

いずれにしても今年の受験準備は慎重に行う必要があります。

入試の内容もどう変化するのか、はっきりとは見通せません。

早めに合格を決めてしまいたいとする受験生のニーズに応えて、推薦型の入試定員を増やす私立大学も多くなる傾向にあります。

おそらく今年もその流れは加速するでしょう。

ペーパーテストを受けずに大学入学を果たすというパターンの学生が半数を超えつつあるのです。

隔世の感がありますね。

しかしこれが現実なのです。

当然、入試科目に小論文、面接などがついてまわります。

文章を書くというスキルは、生涯にわたって有効なものです。

この機会に是非、自分のものにしてください。

今回は映画監督、押井守氏のエッセイについて考えましょう。

ご存知でしょうか。

『うる星やつら』のテレビシリーズでチーフディレクターとなり、一躍その名を知られた人です。

扱うのはかつて福岡教育大学で出題された「自由の本質」とは何かという問題です。

「自由」ということの本質について深く考えた文章です。

実際の課題文はかなりの長文ですが、ポイントになる部分だけを抜粋します。

テーマの内容について内容をじっくりと読みこんでみてください。

課題文

ここにふたりの人物がいる。ひとりは社会から逃げ、結婚から逃げ、家族からも逃げて、自分の世界に引きこもっている若者だ。

片や、妻子を背負い、仕事に明け暮れるオヤジがいる。

一見すれば、若者は自由だ。

朝、誰にも起こされることはない。

今日1日どう過ごしてもいい。(中略)

この社会では他人の人生と関わり、他人の人生を背負い込むことぐらい楽しいことはない。

それは恋愛でも結婚でも就職でも起業でも同じことである。

逆に言うと、誰からも必要とされない人間ほど寂しいことはない。

geralt / Pixabay

人は誰かから必要とされて、本当に生の喜びにひたれる。

なぜなら猿から進化した人間という生き物は、

どうあっても最後は群れの中にしか喜びを見出せない動物だからだ。(中略)

「仕事が楽しい」というのは、仕事を通じて社会につながるのが楽しい、ということなのである。

先ほども述べた通り、社会という人間の群れの中で自分の定位置を得ることでしか、人間は喜びを得られない。(中略)

そして社会とつながっていけば、次にやりたいことが出てくる。

それは会社の中での出世でもいし、新商品の開発でもいいし、経営計画の刷新でもいいが、次から次へとやりたいこと、やらなければならないことが出てくるのである。

逆に引きこもった生活をしていると、次にやること、やるべきことがどんどんなくなってくる。

やりたいことがないから、いくら自由と言ってもその自由にはまったく何の意味もない。

あるいは「自由」という言葉を使うから、物事の本質が見えにくくなっているのかもしれない。

「自由」を「自在」と読み替えてしまってはどうだろうか。

理解がいくらかは早くなるだろうか。(中略)

引きこもりの青年は自由でいようとして、他人との関わりを切り捨て、結局は不自由になってしまった。

このことに気づかなければ自由の本質は見えてこない。

賛成か反対か

試験ではどのような形で実際の問いが出たのでしょうか。

載せておきます。

問1 筆者が述べている「自由の本質」とは何か。80字で答えなさい。

問2 あなたが考える自由な生き方について、「筆者の考えを妥当だと考えるか否か」を

その根拠とともに明らかにしながら800字程度で答えなさい。

これが全てです。

自由という言葉をどのように捉えるかで、随分内容が変化することと思います。

筆者の論点に立てば、自由とは他からの拘束を受けないで自分の思うように行動するということを意味しません。

むしろ自由を自在と読み替え、自分が他人を操って社会に影響を与えている自在感という方に近いでしょう。

他人との関わりをもてば当然「不自由」が生まれます。

それをどこまで理解し、自分の文章にしていくかで成否が決まるのではないでしょうか。

他人との関わりがそのまま自在な自己実現につながるという保証は何もありません。

そこまでになるにはかなりの人間力が必要であるのは、ある意味当然のことなのです。

筆者の考えをどこまで妥当なものと考えるのか。

自分の立場を明確にしないと、採点者にアピールすることはできないでしょう。

基本は自分の立ち位置を明確にすることです。

それをしないで曖昧な書き方をしても、高い評価は出ません。

ポイントは「自由」の捉え方です。

逆にいえば「不自由」とは何かということなのです。

他者がいれば、当然ストレスが生まれます。

自分とは異なった意志を持っているからです。

その存在をどのように捉えるのかで、内容が隋分と違ったものになるでしょうね。

生の充実

キーワードはなんでしょうか。

ズバリ「他者」です。

社会という他者の群れの中で自分の定位置を得ることでしか、人間は喜びを手にすることができないというのが筆者の考え方です。

このポイントに賛成なのか反対なのか。

そこを明確にしてください。

いや、自分はそう思わない。

他者がいなくても「真の自由」は存在すると考える人は、その路線を貫けばいいのです。

生の喜びが必ずしも他者を必要としないという考え方も当然あり得ます。

筆者の思考パターンとは違うものの、それが誤っていると言い切ることはできません。

だとしたら、自分はどちらの立ち位置により近いのか。

それをはっきり書きましょう。

関係の絶対性という言葉があります。

人間は他者との関係の中でしか、その存在を認識できないとする考え方は昔からありました

だからといってストレスを浴び、疲れを覚えてまで社会に出ていく必要があるのかどうか。

このように他者を温かく迎え入れてくれる人間力が相互になければ、いくら社会に出ろといわれても、有効に作用しないのは当然です。

よく問題になる「引きこもり」の論理はどこから出てくるのか。

人間関係から離れ、逃走する人間の内部にはどのような考え方があるのか。

共同経験を持てなかった人には、どんな問題があるのか。

そうした面から切り取っていくことも可能です。

自己実現という表現はきれいですが、そこへ辿り着く道は平坦ではありません。

筆者の考え方に対して賛成なのか、反対なのか。

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あるいは半ばは賛成だが、どうしてもこの点で全面的には同意できないという書き方も可能でしょう。

自分が将来なりたい教育者の像などとあわせて論じながら文を進めていく方法もあると思います。

いくつもの角度から切り取りながら、問題の本質を考えてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

学び
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