【小論文の方法】字数が足りない時に分量を調節するテクニックはこれ

学び

受験生の資質

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

勉強はすすんでいますか。

小論文が書けるようになりましたか。

難しいですよね。

いくらやっても上達しないで、いい加減イライラしている人もいることでしょう。

どんなにテクニックが上達しても、コンテンツがなければどうしようもありません。

とにかく最後の勝負は中身です。

内容が豊かならば、少しのミスは許されます。

しかし今までの添削経験からいうと、文章の内容がいい人は文を書くテクニックもすぐれています。

つまり言葉の選び方が上手なんです。

語彙も当然豊かなので、つい読まされてしまいます。

これはどうしようもありません。

そんなことを言われると、もうダメだという人も出てきそうです。

だから大学は小論文を出すのです。

普通の試験ではなかなか資質までは見分けられないものです

受験生のレベルをなんとかよくしたいと、入試担当者は日夜考えています。

いい生徒が入ってくれば、教え甲斐もあるし、卒業後の進路も多様性をキープできます。

学校側だって必死なのです。

一生懸命なのは、みなさんだけじゃありません。

選ばれてこその学校です。

誰にも見向きをされなくなったら、未来はないのです。

ここはお互い様です。

とにかく頑張りましょう。

今が正念場ですよ。

分量を増やすテクニック

今回は文章の分量をどうやったら制限字数まで伸ばせるのかについて考えてみます。

90%のラインを必ずキープしようということは何度も書きました。

しかしもう少しでそこまでいくのに、なんとしても筆が先に進まないということもあります。

頭の中が真っ白になって、終了時刻がどんどん迫ってくる。

最悪ですね。

どうしたらいいんでしょうか。

とにかく文をふくらませるしかありません。

なんとか空気を注入しても膨らますのです。

そのためにはこの表現があります。

「たとえば」です。

これは便利ですよ。

何かの結論は出ているとします。

そうしたらただそれだけを書きますか。

そんなことはありませんよね。

こういう場合はどうかとか、こういうケースではこんなこともあったという例をあげていきます。

さまざまな事例があれば、それだけ読者は納得するのです。

小論文の場合は採点者を納得させなくてはいけません。

どうしても書けない時は、自分がどうだったのかということを書きましょう。

例えば私の場合はこうだとか、家族はどうだったとか。

新聞や雑誌にはこんな記事が載っていたとか。

とにかくふくらませる役割を、この表現は持っているのです。

あまり多くのことを伝えようとすると、かえってわけがわからなくなることも多いです。

自分のことを書いたらどうですか。

それが一番字数を稼げる方法です。

教育論のテーマ

それでは具体的にどんな形で膨らませればいいのかを考えます。

今回は教育論をあげてみましょう。

日本の教育のあり方については、日々議論されています。

新しい入試制度も導入されます。

今年の目玉の1つになりそうですね。

どんなテーマがよく出るのか。

少し考えてみましょう。

否定的な側面

日本の学校のテストは記憶中心である。
個々の知識が全体に及ぼす影響を十分に考慮していない。
○×式の問題ばかりである。
論文や口頭試験を評価するだけの教員の資質が保証されていない。
知的好奇心を伸ばすという発想が低い。
知識と自分をつなぐための勉強という概念がない。
絶対評価の仕組みがまだできあがっていない。
ゆとり教育は完全に失敗した。

どうでしょうか。

これは今までの入試の中に出てきた教育関連の問題ばかりです。

否定的な側面のものが多いようですが、逆にここを裏返せば、肯定的な内容がみえてきます。

肯定的な側面

学校で教えられている内容は断片的なものではない。
問題点のない教育などあり得ない。
問題点を日々改善し、方向性を改める姿勢がしっかりしている。
知識と自己との関係性を日本の教育はしっかりと認識している。
個性を重視した教育がなされている。
日本の教育水準の高さは十分誇るに値する。

このようにどちらの側からも小論文を書くことはできるのです。

自分なりに結論を考えながら、文章をまとめていったとしましょう。

ただ反対、賛成ではなく、どこに問題が潜んでいるのかを発見しなくてはいけません。

そのあとで今後の教育のあり方、本来の教育の進むべき方向を自分なりに論じていくということが大切になるのです。

真の学力とは何かという視点で考えてもみるのもいいでしょう。

あなたならどうまとめますか。

自分の場合

最後はどうしても自分を材料にしなくてはなりません。

その視点がない小論文は、結局一般論の羅列に終わります。

評価は低いですよ。

どのような形であれ、自分をさらしてください。

自分はどのように今まで学校と関わってきたのか。

教師の指導に対する疑問
試験のあり方
評価の方法に対する不安

どのような視点からでもいいです。

それをうまくまとめて表現してください。

教育のテーマは自分が関わってきただけに書きやすいものの1つです。

それだけに字数が全く伸びないということはないのではないでしょうか。

しかし偏差値に対する恨みとか心配だとかをただ書いても意味はありません。

受験戦争を悪者として扱う限り、現在おかれた自分の位置というものも否定してしまうことになります。

自分の場合が一番書きやすいでしょう。

今まで学校というものにずっと通っていたわけですから、その中で見た光景は強烈に焼き付いているはずです。

どの部分を書きますか。

先生の資質が保証されていないという論点がありました。

その反対からでもいいです。

自分が習ってきた先生たちにはすぐれた人が多く、小論文に至るまできちんと添削をしてくれた。
その評価も実に当を得ていた。
最近は教職をブラックな労働などと言って非難する論調もあるが、けっして単純な表現では表せない面が多々ある。

こういう考え方から入れば、否定的な側面を上手に逆手からとって、文章をまとめることができるでしょう。

つまりどちらの立場からでも、自分を例に引き出していけば書けるということなのです。

あまり多くの例を出すと、うるさくなります。

800字程度なら、1つか2つ取り出すだけで、すぐに制限字数に達してしまいます。

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段落の文字数のバランスに十分注意してまとめあげてください。

「たとえば」はとても便利な言葉です。

苦しくなったら、これを思い出してくださいね。

もう少しです。

頑張ってください。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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