「宋名臣言行録」人を選ぶことの難しさを示した究極の書「忠実な家臣とは」

人間の評価

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は人間を選ぶことの難しさについて書かれた書物を読みます。

1つの集団をどう組織するかというのは、大変な難題です。

組織の成否は「人」をどう選ぶかにつきるからです。

有能、誠実にして、なおかつ人望があると誰もが認める人をどう発掘し、配置するかということです。

しかし能力のある人間を優遇すれば、それで組織がうまく回るのかといえば、それほど単純ではありません。

たとえ有能だとしても、自尊心が強かったりすると、人と容易に交りえないので内部では浮いてしまいがちだからです。

そのため、予想に反して思うように活躍できず、はやめに職を辞すというケースもあります。

そこで次に人柄のいい、使いやすい人を長に据えると、付き合いはうまいものの、先見性がなく、発展が望めないということにもなりがちなのです。

本当に有用な人物とはどのような人のことをいうのでしょうか。

これくらい難しい永遠のテーマはありませんね。

誤った人選を重ねると、それだけで組織は疲れ切ってしまいます。

会社ならば、業績が落ち込み、倒産してしまうこともあります。

政治の世界に目を向ければ、国家の存亡までもたらします。

『宋名臣言行録』は宋代の宰相以下97人の名臣たちの言行を集めた伝記集です。

南宋の儒学者、朱熹が全24巻で編纂しました。

彼が大成させた朱子学は、日本の官学として取り入れられ、その後大きな影響を与えました。

上下の秩序を重んじる実践的な道徳が武士の根本思想となったのです。

帝王学の教本として、またあるべき臣下の手本になりました。

ここではその基本となった考え方の一端をみてみます。

本文

王太尉、萊(らい)公を薦めて、相と為す。

萊公、しばしば上(しょう)の前に於て太尉を短(そし)り、而(しか)るに太尉、専(もっぱ)ら其の長を称す。

上、一日、太尉に謂ひて日く、「卿、其の美を称すると雖(いえど)も、彼、専ら卿の悪を談ず。」と。

太尉日く、「理(ことわり)固より当(まさ)に然るべし。臣、相の位に在りて久しく、政事の闕失(けつしつ)、必ずや多からん。

準、陛下に対して隠す所無く、益々(ますます)其の忠直を見る。

此れ、臣が準を重んじる所以(ゆえん)也。」と。

上、是に由りて益々太尉を賢なりとす。

現代語訳

王太尉は萊公(寇準)を宰相に推薦しました。

萊公は、たびたび帝の前で太尉(王旦)の短所を報告したのです。

それなのに太尉は専ら萊公の長所を称嘆しました。

帝はある日、王太尉にこう言いました。

「あなたは萊公の美点を称嘆するけれども、彼は専らあなたの欠点ばかりを話す。」

太尉はこう答えました。

そうなるのは、しごく当然のことです。

わたくしは宰相の位に長く就いておりますので、きっと今までに、政治上の失敗や失策を多く犯しています。

寇準は、何事も隠さずに、陛下の諮問にお答えしているだけなのです。

これは彼の忠心そのものです。

私が寇準を重んじる理由もそこにあります。

帝はこの返事を聞き納得しました。

王太尉はその後、萊公(寇準)を賢者として推薦し宰相にしたのです。

正しいことを隠さずに言う

王太尉の論点はわかりやすいですね。

批判するから嫌うのではなく、正しいと思うことを隠さず言う人物だからこそ評価するという視点です。

そのため皇帝も、①寇準の忠直さを認める王太尉の公正さ、②私怨にとらわれない広い度量を高く評価しました。

この話は公(おおやけ)を優先する人格の模範例としてよく取り上げられます。

ともすると、長になる人はイエスマンを周囲に置きたがります。

なんといっても楽ですからね。

しかしそうしたことで、批判が全く聞こえなくなるのです。

耳に心地のいい事実だけが渦巻くことになります。

その結果が、まさに「裸の王様」の出現です。

過去にどれほどの人がこのようになったのかをみれば、それがよくわかります。

もちろん、歴史上の話だけではありません。

現在も進行中なのです。

だからこそ、怖ろしいといわなければならないのです。

萊公にはこんなエピソードも残っています。

彼はある時、地方の藩鎮に赴任しました。

そこで誕生日に、山車を造り盛大な宴会をしたのです。

ぜいたくで豪勢な品々を用いた食事や品物まで用意しました。

そのことを帝に奏上する人がいました。

帝はたいへん怒り、王太尉にこのように言いました。

「寇準は何事もわたしと同じようにしたがる。それでよいのか」

太尉は静かに答えました。

「寇準はまったく賢者で有能ですが、ああした愚かさをどうすることもできないのです」

帝の怒りは急速に解けて、こう言いました。

「そうだな。よくわかった。しかしこの愚かさだけはやめてもらうことにしよう。」

帝はそれ以降、萊公を責めることはありませんでした。

やがて太尉の病気が重くなり、帝は後の政治をだれに託すのが適当かを尋ねました。

その時の王大尉の答えは早く寇準を召して宰相にするのがよいということだったのです。

皇帝の人間観

この逸話は、萊公と王太尉の関係、そして当時の皇帝である宋真宗の人間観をよく示していますね。

興味深いのは、王太尉が寇準の欠点を隠そうとしなかったことです。

寇準は地方に赴任した際、自分の誕生日を盛大に祝い、豪華な宴席や山車まで用意しました。

これは儒家の理想から見れば明らかに贅沢です。

許されるものではありません。

そのために告発が皇帝のもとに届いたのです。

そこで「寇準は何事もわたしにならって行おうとする。それでよいのか」と皇帝が怒った時、王旦は弁護もしませんでした。

「寇準はまことに賢く有能だが、ああした愚かさだけはどうにもならない」と答えます。

寇準の能力は本物であるが、虚栄心や派手好きな性格は確かに認めざるを得なかったのです。

とはいえ、才能まで否定すべきではないということも知っていました。

皇帝もその意味を理解し、処罰を見送りました。

このエピソードのポイントは後半です。

王大尉が重病になり、後継の宰相を誰にすべきか問われたとき、彼はためらわず寇準を推薦したのです。

つまり彼は、寇準の欠点を熟知していました。

しばしば意見も対立したものの、国家を支える人物としては最適だと考えていたわけです。

ここにさまざまな教訓が含まれています。

誰でも人間には欠点があります。

しかし政治を任せるべきかどうかは、その欠点だけでみてはいけないということです。

その人物が国家にもたらす能力を、全体で判断しなければならないのです。

これはあらゆる組織を通じて論じられる共通のポイントですね。

この本が示したかったことの要点はまさにこれです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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