ヒューマンエラー
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は行動生態学者、長谷川眞理子氏の文章を読みます。
2003年、朝日新聞に載りました。
『ラップトップを抱えた「石器人」』というのがそのタイトルです。
ユニークで、目をひきますね。
主題は人間が期待されるほどには、進歩していないというものです。

特に航空機の事故をはじめとする記述は、つい数年前のことを思い出すだけに粛然としました。
あなたは2024年1月に羽田空港で起きたJAL機と、海上保安庁機の衝突事故を記憶しているでしょうか。
海保機は機長が全身やけどの重傷を負い、副機長ら乗員5人が死亡しました。
JAL機の乗客、乗員379人は脱出シューターを使って避難し、無事だったのです。
大型の航空機が焼けて完全に消失した大事故でした。
原因は機器の不具合によるものではなく、ヒューマンエラーだったのです。
大火災は海上保安庁機が許可なく滑走路に進入したことによって引き起こされました。
海保機は管制官から許可が出たと考えて滑走路に進入したのです。
ところが管制官は海保機の進入に気づきませんでした。
JAL機も海保機の存在に気づかず着陸しようとしました。
なぜJAL機の着陸が迫っていることに海上保安庁機が気付かなかったのか。
管制官がその事実を認識していなかった事実にも驚かされます。
大惨事はいくつもの偶然が重なって起こるものなのです。
私たちは石器時代よりもずっと進化していると信じて、日々を生きています。
しかし、この文章は人間の脳や本能は石器時代とたいしてかわっていないと断じています。
そこから全ての悲劇が始まったというのです。
核のボタン
考えてみれば、近代文明はあまりにも発展しすぎました。
高速で物事が処理されるため、それについていけない部分がどうしても露呈してしまうのです。
どれほどコンピュータが発達したとしても、それを理解し、扱うのは人間です。
ところがすべてがうまく機能しているわけではありません。
そこでは必ずヒューマンエラーが発生するのです。
何重にもチェックを繰り返し、それでもミスが起こるのは必然であるという考え方をとらない限り、システムを先に進めることはできないというワケです。
いい例として、よく耳にするのが核のボタンの話ですね。
最高権力者からボタンを押せという指示があった時、それがどういう意味を持つのかを判断せずに行動しなければならないのが人間です。
地球と人類の消滅が自分のわずかな動作ひとつにかかっているのです。

あなたはキューバ危機のことをご存知ですか。
1962年、米ソの冷戦下において最も核戦争に近づいた事件です。
当時のソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚し、米ソ両軍が軍事衝突の瀬戸際までエスカレートしました。
核魚雷の発射を決断しようとしたときの緊迫した状況はご自身で調べてみてください。
これは想像上の話ではありません。
最近では2018年、ハワイで起こった弾道ミサイル誤警報事件があります。
ハワイ州で緊急警報が誤って発信された事件です。
職員の操作ミスが原因でした。
発信から40分間、誤報と確認されるまでの間、核戦争への恐怖が現実的なパニックを引き起こしたことがあったのです。
いずれも事件は最終的に人間が引き起こしたものです。
たとえ、それが誤報だとしても担当者にはボタンを押さなければならない瞬間があります。
文章を少しだけ抜き書きしました。
参考にしてください。
本文
航空機の事故をはじめとするさまざまな機器の事故において、その多くが、機械そのものに起因する事故ではなく、ヒューマンエラーによるものだと指摘されて久しい。
それでも、この教訓はあまり生かされていないようだ。
それは驚くべき技術を手にし、これらの科学技術が日々進んでいくのを見ている人間が、自分自身の脳の働きも同様にリアルタイムで進んでいると錯覚し、ヒューマンエラーは、たまに気を抜いたときに起こることだと過少評価しているからではないだろうか。
しかし、人類は、少なくともこの5万年にわたって、その基本的な脳の働き方において少しも変わっていないのである。
物質文明の発展にだまされてはいけない。

物質文明、技術文明は確かに進歩してきたが、それは、言語を使った学習と教育、記録による伝達によってどんどん蓄積されてきたからであって、一人一人の人間の脳が、毎世代、石器時代よりも進化して賢くなることによって進歩してきたのではない。
それが何より証拠には、人類史における伝統的な生計活動である狩猟と採集で、現在も暮らしを立てている地域で生まれた人々でも、子供の頃から教育すれば、パイロットにも脳外科医にもなる。
一方、技術文明の恩恵を十二分に受けて暮らしている私たちのうち、コンピュータや飛行機を自分で造れる人が何人いるだろうか。
私が飛行機に乗り、コンピュータを操って、百年前の人びとにはできなかったような仕事をしても、それは、私自身の脳が百年前の人びとよりも優れているからではないのである。(中略)
未知への人間の挑戦と、その結果獲得した技術はすばらしい。
しかし私たちは、ラップトップを抱えた「石器人」でもあるのだと、もう一度謙虚に認識する必要があるだろう。
科学技術と人間
この文章を読んで一番ショックなのはどの部分でしょうか。
現代人が、実は5万年前の石器時代から本質的な脳の仕組みや遺伝的性質(石器人)を全く進化させていないという箇所ではないですか。
私たちは所詮「石器時代」の脳を持っているに過ぎないのです。
人間の基本的な脳の構造や本能は、数万年前の狩猟採集時代に完成してしまいました。
生き残るために「仲間と協力し、他のグループを警戒する」「目の前の利益を優先する」といったメカニズムが遺伝子に組み込まれています。

基本はそれだけで動いているといっても誤りではありません。
もちろん、人類は農業革命や産業革命を経て、急速に人工的で複雑な高度情報社会を築き上げました。
しかし、遺伝的な進化は環境の変化に追いついていないと言えます。
そのため、現代人は石器時代の脳のまま、SNSやAIといったテクノロジーを操作しているままの状態なのです。
当然、全てがうまくいくワケはありませんね。
誤作動を起こすのは、ある意味必然なのです。
そこにあるのは情報過多によるストレスです。
少数のコミュニティで生きるよう適応した脳に、世界中から膨大な情報が押し寄せてきます。
つまり人間の本能は原始時代と全く変わっていません。
この暴走を防ぐためにはどうしたらいいのでしょうか。
豊かに生きるためには、自分たちが「石器時代の脳を持っている」という事実を自覚する以外にありません。
客観的に自分をコントロールする力が重要だという教訓を日々思い起こす必要があるのです。
人間には必ずミスをする限界があることをしっかり組み込んでおくべきです。
どれほど能力が高く、真面目に取り組んでいる人であっても、思い込みや不注意、疲労などによって失敗をしてしまう存在だということです。
何重にチェックしても、それでもミスを犯すのです。
簡単な計算ミスや数字1つの取違いが、大惨事を引き起こします。
SNSの炎上や現代社会の非合理的なパニックも、その線上で考えなくてはならないのかもしれません。
人間は難しい地点にさしかかっていると言えます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
