柏木哀惜
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
『源氏物語』は多くの人に長い間愛されてきました。
読み返すたびに、人間に対する洞察力の深さが心に沁みますね。
しかし登場人物があまりにも多いので、それぞれの関係がある程度みえていないと、途中で迷子になってしまう可能性もあります。
俗に「須磨返り」といって、読もうとする気はあるものの、第12帖「須磨」のあたりで内容や人間関係が難しくなり挫折してしまいがちなのです。
そこで「桐壺」からまた読み直すということになります。
しかしそれでも十分なのではないでしょうか。
現代語訳で読むのさえ、あまりに長編なので時に苦しく感じます。
好きな段をちょっとずつ読んでいくというのが、『源氏物語』に似合うスタイルなのかもしれません。
人物の相関図などを傍らに置きながら、読み進めていくのをお勧めします。
それにしてもこれだけの人間を一人で想像し、物語の中に配置した紫式部の力量には舌を巻きますね。
もちろん、最初から全てを構想して書いたわけではありません。
基本の流れにそって、次々とスピンアウトしていったというのが真相なのです。
そうした研究もかなり行われています。
さらに、それぞれの人物にふさわしい歌を、立場を変えながら詠んでいったというのも驚きですね。
『源氏物語』に詠まれている和歌の数は全部で795首あります。
その中でも特に多いのが『須磨』の巻です。
54帖でこの数ですから、平均すれば15首です。
しかし『須磨』には48首の歌が登場するのです。
この段は特に主人公の心情の変化や贈答歌が集中するので、それだけの数になったようです。
全ての登場人物になりきって、歌を詠むのが、どれほど難しいことなのか。
少しだけ想像してみてください。
今回扱うのは「柏木」の巻の一節です。

この段はかつて光源氏が藤壺と密通した過去を連想させます。
彼のしてきた行為と同じことを、柏木と源氏の正妻、女三宮が繰り返します。
密通した柏木は女三宮を懐妊させてしまいました。
その証拠をつかんだ源氏は、柏木にせまり、その結果、絶望の淵に立った彼は死に至るのです。
歴史は繰り返すという言葉がありますね。
まさにその言葉を彷彿とさせます。
その子が後の『宇治十帖』に登場する薫です。
光源氏に似ていなかった薫は自分の出生に疑問を持ちながら育ち、後にその秘密を知ることとなります。
今回のシーンは柏木の49日の忌が過ぎ、光源氏の息子で、柏木の友人にあたる夕霧が一条邸を見舞うところです。
柏木の正妻であった落葉の宮とその母がここで暮らしていたのです。
辞去する際に夕霧は母御息所と歌を詠みかわし、さらに、その足で柏木の父「致仕の大殿」(前太政大臣)の住む邸を訪ねます。
本文
かの君は、五六年のほどのこのかみなりしかど、なほいと若やかになまめき、あいだれてものしたまひし。
これは、いとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、人にすぐれたまへる。
若き人びとは、もの悲しさもすこし紛れて見出だしたてまつる。
御前近き桜のいとおもしろきを、「今年ばかりは」とうちおぼゆるも、いまいましき筋なりければ、

「あひ見むことは」と口ずさびて、
時しあれば変はらぬ色に匂ひけり片枝枯れにし宿の桜も
わざとならず誦じなして立ちたまふに、いととう、
この春は柳の芽にぞ玉はぬく咲き散る花の行方知らねば
と聞こえたまふ。
いと深きよしにはあらねど、今めかしうかどありとは言はれたまひし更衣なりけり。
げに、めやすきほどの用意なめりと見たまふ。
致仕の大殿にやがて参りたまへれば、君たちあまたものしたまひけり。
「こなたに入らせたまへ」とあれば、殿の御出居の方に入りたまへり。
ためらひて対面したまへり。
古りがたう清げなる御容貌いたう痩せ衰へて、御髭などもとりつくろひたまはねばしげりて、親の孝よりも、けにやつれたまへり。
見たてまつりたまふよりいと忍びがたければ、あまりにをさまらず乱れ落つる涙こそ、はしたなけれと思へば、せめてぞもて隠したまふ。
大臣も、とりわき御仲よくものしたまひしをと見たまふに、ただ降りに降り落ちて、えとどめたまはず、尽きせぬ御ことどもを聞こえかはしたまふ。
現代語訳
あの君(柏木)は、五六歳ほど大将(夕霧)より年上でしたけれど、それでもなお、まことに若々しく優美で、人なつこくていらっしゃいました。
夕霧の君は、ひどく格式ばって重々しく、男らしいようすで、顔だけがまことに若くさっぱりと美しいことは、人よりもすぐれていらっしゃいます。
若い女房たちは、もの悲しさも少し紛れて、大将をお見送り申しました。
お庭先の桜が実に美しく咲いているのをごらんになられて、夕霧の君は「今年ばかりは」とお思いになられたものの、縁起でもないことであったので、

(夕霧)毎年春がめぐってくれば変わらぬ色に美しく咲くものだ、片方の枝が枯れてしまった宿の桜も、と詠まれました
大将がさりげなく唱えてお立ちになられるのに対して、御息所は、まことにすばやく、
今年の春は柳の芽に露の玉をおくように涙を流しています。
いつ花が咲いて散っていくのか、そのゆくえさえ知らないので、とお答え申されました。
けっして風情が深いというわけではないものの、華やかで才気があると評判でいらした更衣だったのです。
なるほど悪くない程度のお心遣いがおありのようだと大将はお思いになります。
そのまま致仕の大殿(柏木の父)の邸へ参上なさると、子息たちが大勢いらっしゃいました。
「こちらへお入りください」と言うので、大殿の居間の方へお入りになります。
しばらく間をおいて対面なさいました。
以前と変わらず気品のあるお顔立ちではあるが、ひどく痩せ衰え、髭なども整えておられないので伸び放題になっています。
親の喪に服している人以上に、まことにやつれておられました。
夕霧はそのお姿を拝見した途端、とても涙をこらえることができませんでした。
抑えきれずに乱れ落ちる涙を、みっともないことだと思いながらも、無理に隠そうとなさいます。
大臣(大殿)も、柏木と夕霧が特に親しい間柄であったことを思い出されると、ただ涙が次から次へと流れ落ちて止めることができません。
尽きることのない思い出話をお互いに語り合われたのです。
死者への追慕
この場面は、源氏物語において、亡くなった柏木の父である致仕の大殿と夕霧が対面するところです。
冒頭では、夕霧が亡き柏木を思い出しています。
「かの君(柏木)は五、六年前はこのようであったが…」と、若く美しく優雅だった柏木の面影を回想します。
一方で現在の夕霧自身は、以前よりも堂々として男性的な風格を備えるようになっています。
桜を見て柏木を偲んだ夕霧は、
時しあれば変はらぬ色に匂ひけり片枝枯れにし宿の桜も
という歌を詠みます。
「一本の枝は枯れてしまったが、春が来れば桜は変わらず美しく咲く」という意味で、亡き柏木への追慕が込められているのです。
それに対して御息所が、この春は柳の芽にぞ玉はぬく咲き散る花の行方知らねば
と返歌します。

これは「散ってしまった花(柏木)の行方も分からないので、柳の芽に玉を飾る気にもなれない」という意味で、同じく柏木を悼む心を表しています。
その後、夕霧は柏木の父である致仕の大殿のもとを訪れました。
かつては威厳に満ちていた大殿も、ひどく痩せてしまい髭も整えていません。
最愛の息子を失った悲しみが、外見にまで現れているのです。
夕霧はその姿を見た瞬間、涙を抑えることができませんでした。
大殿もまた、柏木と親しかった夕霧を見て涙を流し、二人は互いに柏木の思い出を語り合います。
この場面の中心は、「死者を悼む人々の連帯」ですね。
特に紫式部は、悲しみを大げさな嘆きではなく、桜の歌、老いた父の姿、思わずあふれる涙といった具体的な描写によって表現しています。
そのため読者は、柏木の死そのものよりも、残された人々の深い喪失感を強く感じることになるのです。
この場面は『源氏物語』の中でも、死者への追慕と親子の情愛が静かに描かれた名場面の一つといえるでしょう。
ぜひ、本編にあたってみてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
