「弱肉強食論」もしゾウが肉食だったら生態系はどう変わるのか「強さの摂理」

ノート

保全生物学

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は生態系についての研究者、山田俊弘氏の文章を参考して、従来の「弱肉強食論」に踏み込んでみましょう。

彼は「強い者が弱い者を支配し食べる」という一般的な弱肉強食のイメージに疑問を投げかけています。

確かに強いものが弱いものを駆逐していくというのは、1つの真実に違いありません。

しかしその中身を子細にみていくと、それほど単純なことではないのがよくわかります。

例をあげて考えてみましょう。

筆者の主張は次の通りです。

①ゾウはライオンより大きくて強い。

②しかしゾウは草食動物である。

③つまりゾウはライオンを食べない。

④すなわち強い者が弱い者をつねに支配し、駆逐するとは限らないのである。

ライオンがシマウマを食べるのは、ライオンが肉食動物だからです。

つまり単純に「より強いから」ではありません。

「強さ」の基準が一つではないことがわかりますね。

筆者は「強さ」そのものが曖昧な概念だと指摘しています。

彼の専門は「保全生物学」です。

わかりやすくいえば、生物多様性に関する研究です。

もし、ゾウが肉食だったとしたら、生態系はどのように変化すると思いますか。

考えてみるだけで面白いですね。

この推論はいろいろな意味で興味や関心を引き起こします。

もしかすると、ライオンは生き残れないかもしれませんね。

ましてや、シマウマは全てゾウに食べつくされてしまう可能性もあります。

4~6トンもある生体を維持するためには、当然、同類同士で戦いあうこともあるでしょう。

さらに人間を襲うことも考えられます。

恐竜と同じ宿命をたどると想像することもできます。

その時、地球の生態系はどのように変化するのでしょうか。

たったこれだけのことを考えるだけでも、「弱肉強食論」だけでは説明しきれない問題が多々あることは理解できます。

参考のため、筆者の文章を一部だけ抜き書きします。

参考文

「弱肉強食論」には大きな疑問が横たわっています。

本当に弱肉強食は自然の摂理で、ヒトによりほかの種が絶滅に追いやられるのはしかたのないことなのでしょうか。

ほかの生き物を駆逐する能力を持つことは、ほかの生き物を絶滅に追いやることを正当化するのでしょうか。

自然界を見わたしても、身体的な力の弱い者が力の強い者の食料になっていることは、疑いようのない事実です。

身体的な力に勝るライオンはシマウマを狩り、食料にします。

そしてこの食う者、食われる者の関係が逆転することはありません。(中略)

それでは、この一方的な関係性をもって、弱肉強食を自然の摂理と見なしてよいのでしょうか。(中略)

最初に、ゾウの存在をイメージしてください。

ゾウは自分より力の劣る動物を餌にしてはいません。

ゾウは草食の獣で、獣の肉は食べないからです。

地球には肉食の獣がいて、その餌になっている動物が存在していることは確かなのですが、食う者、食われる者の関係は力の強さとは別の話なのです。

確かに食う者、食われる者の関係にある動物の組み合わせに注目すると、弱肉強食が成り立っているように思えます。

ところが、肉食のライオンは、自分より強いゾウを餌にすることはありません。

ライオンは自分より力の弱い動物、例えばシマウマやイノシシを餌にします。(中略)

しかし、見方を変えれば、シマウマのほうがライオンより強いといえるかもしれません。

繁殖力やその数の優位性などもここでは問題になります。

強さの尺度に何を選ぶかで結論が変わるので、ライオンとシマウマのどちらが強いかは、一概に決まりません。

そこで生物学では統一的な強さの尺度を導入しています。

生態学における種間の強さの差は、個体の能力では決まらないのです。

それはある種の集団がもう一方の種の集団に与える「影響」の大きさで決まります。

野生では、捕食者が被食者の個体数を一方的に減少させているわけではないのです。

弱い者の肉が強い者の食料となることだけを想定する弱肉強食は、自然の摂理ではないのです。

結論からいえば、「弱肉強食論」ではヒトがほかの種を絶滅に追いやることを正当化できません。

他種の絶滅

この文章の主張は、「弱肉強食」という考え方を生物学的事実として捉えるのは誤りであるということです。

論理の流れを整理すると、次のようになります。

たしかにライオンはシマウマを食べます。

しかし、それだけを見て「強い者が弱い者を食べるのが自然の法則だ」と結論づけるのは早計だというのです。

例えば、ゾウはライオンより大きくて強いです。

しかしゾウは草食動物です。

したがって「強い者が弱い者を食べる」とは言えないのです。

ライオンがシマウマを食べるのは、ライオンが肉食動物だからであって、単純に「より強いから」ではありません。

つまり「強さ」の基準は一つではないことがわかります。

さらに筆者は「強さ」そのものが曖昧な概念だと指摘しています。

例えば、次の内容を考えてみましょう。

①走る速さならシマウマが勝ちます。

②噛む力ならライオンが勝つのです。

③持久力ならまた別の結果になります。

というように、何を基準にするかで強弱は変わるのです。

生態学における強さ

生態学の面白さは、個体同士の力比べだけをしないということにあります。

ある種の集団が他の種の集団にどれだけ影響を与えるかによって強さを考えるのです。

ここがこの文章の最大のポイントでしょうね。

この観点から見ると、食べるものも食べられるものも相互に影響を与えあいます。

一方的な支配関係というのはないのです。

つねに両者の関係は相互作用によって成り立っています。

「弱い者の肉が強い者の食料になる」という表現は単純でわかりやすいです。

しかしこれを自然の摂理とよんでいいのかということになると、疑問が生じますね。

さらにいえば、自然界が弱肉強食だから、人間が他の生物を絶滅させてもよいという論理には無理があるというのが、筆者の主張です。

確かに人間は多種多様な武器を持っています。

いざとなれば、他種を絶滅させる能力があるのです。

しかしだからといってその行為が正当であるといえるのかどうか。

これはまったく別の問題です。

なぜなら強さの基準は一つではないと考えられるからです。

単に環境を保護すればそれですべてはうまくいくというような単純な構図ではものごとは解決しません。

「自然とは何か」「強さとは何か」という概念そのものを問い直す必要があります。

この参考文を読みながら、800~1000字程度の小論文をまとめてみてはどうでしょうか。

面白い試みになりうると思います。

人間の社会でも、軍事力や経済力、権力を持つ者が「強い」と評価されることが少なくないです。

しかし、強さというのは単なる攻撃力を意味するだけではありません。

進化論において重要なのは「最も強い者が生き残ること」ではなく、「環境に適応した者が生き残ること」なのです。

その証拠に恐竜は圧倒的な力を持っていたのものの、絶滅してしまいました。

その一方で、哺乳類は生き延びてここまで繁栄してきたのです。

つまり本当の強さとは、その時々の環境に応じて変化し続ける能力だともいえます。

人類には牙もありません。

しかし言語による意思の疎通や集団での協力が可能な生物体です。

さまざまな側面から強さの内実をさぐることが、ここでは大切だということを強調しておきます。

今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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