「体験格差」低所得家庭の小学生の約3人に1人が体験ゼロという厳しい現実

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体験格差

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は普段何気なく使っている「体験」の中に潜む格差の実情をみていこうと思います。

最近、実によく耳にしますね。

今井祐介氏の著書『体験格差』(講談社現代新書)が出版されてから半年経ちました。

近頃、様々な場面でこの言葉が取り上げられています。

「連鎖するもう一つの貧困」という副題にあるように、今の日本が抱えている多くの問題がここに凝縮されているような気がします。

誰もが同じこの社会の中で生きているのに、見えている風景は全く違うものだという事実をこの本はわかりやすく伝えてくれているのです。

現在、どんな「体験格差」が存在しているのでしょうか。

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ここには、今井氏が代表理事を務める公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの活動が紹介されています。

そこで行った「子どもの体験格差に特化した全国調査」の結果が衝撃的でした。

低所得家庭の小学生の約3人に1人が体験ゼロだというのです。

経済的な理由から、習い事、クラブ活動、キャンプや旅行、スポーツや芸術鑑賞といったものが、まったくできていない子どもたちがいるという事実です。

貧困が格差を助長するという話は今日かなり定着し、そこから抜け出すためのプランも多くつくりだされてきました。

彼が関わっている活動の目的を一言でいえば、真に自分が望む体験を貧困のために受けられないということがあってはならないということです。

そのための機会をなるべく多くの青少年に届けたい。

斬新なのは援助を金銭で与えるのではなく、クーポンの形にしたことです。

子どもはさまざまな機関にそれを持参すれば、新しい体験を得られます。

事業体はそのクーポンを法人の本部に送付し、後から現金化する仕組みです。

なにかのスポーツをやってみたいと思っても、かなりの費用が発生するのは事実です。

小学校の高学年ぐらいになれば、自分の家がそれだけの負担に耐えられるかどうかも理解できるようになります。

自分の願いを親に言い出せないまま、やがて諦めることを覚えます。

体験は想像力と選択肢の幅を広げる大切な行為です。

それを無暗に押さえつけてしまうところに、この格差の難しさがあるのです。

著書からの引用

本文中に次のような叙述があります。

「昨年の夏、あるシングルマザーの方から、こんなお話を聞いた。

息子が突然正座になって、泣きながら「サッカーがしたいです」と言った。

それは、まだ小学生の一人息子が、幼いなりに自分の家庭の状況を理解し、ようやく口にできた願いだった。

たった一人で悩んだ末、正座をして、涙を流しながら。

私が本書で考えたい「体験格差」というテーマが、この場面に凝縮しているように思える。

私たちが暮らす日本社会には、様々なスポーツや文化的な活動、休日の旅行や楽しいアク

ティビティなど、子どもの成長に大きな影響を与え得る多種多様な「体験」を、「したい

と思えば自由にできる(させてもらえる)子どもたち」と、「したいと思ってもできない(させてもらえない)子どもたち」がいる。

そこには明らかに大きな「格差」がある。

その格差は、直接的には「生まれ」に、特に親の経済的な状況に関係している。

年齢を重ねるにつれ、大人に近づくにつれ、低所得家庭の子どもたちは、してみたいと思ったこと、やってみたいと思ったことを、そのまままっすぐには言えなくなっていく。

私たちは、数多くの子どもたちが直面してきたこうした「体験」の格差について、どれほど真剣に考えてきただろうか。

「サッカーがしたいです」と声をしぼり出す子どもたちの姿を、どれくらい想像し、理解し、対策を考え、実行してきただろうか。」

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この文には、深い体験格差の闇があります。

自分の希望を言い出せない子どもの姿が目の前に見えるようです。

その諦めが繰り返されていくにつれ、後に大きな差が表れるのは明らかです。

やりたくないことを無理にやらされるのは、虐待そのものでしょう。

よくいわれますが、ピアノのレッスンがつらくて、その日になると体調が悪くなるという子どもの話も聞きます。

その他、ありとあらゆるお稽古ごとにまつわるこうした話をきくと、これも1つの現実なのだと感じるのです。

しかしやってみれば、それが自分には不向きだということもわかります。

そこからの軌道修正も可能なのです。

遠ざけられた子どもたち

残念なのは、それ以前にすべての体験から遠ざけられてしまった子どもの場合です。

親の経済的な背景が最大のネックになるのは、誰でも想像できます。

実際に、年収300万円以下の家庭の子どもたちの中には、教育機会が不足していることが多いと言われているのです。

しかし経済力だけが問題というワケではありません。

それ以前に親がどのような価値観を持って子どもを育てているかということも、大切なのです。

知らぬ間に、それが子どもに伝わっていくことで、あらたに学べたことも滑り落ちてしまう可能性があります。

どういうケースの場合、どんなパターンになっていくのかということについて、少し考えてみましょう。

現代社会において、子どもたちの成長や可能性には大きな「体験格差」が影響を与えています。

ここでいう体験格差とは、子どもたちが幼少期からどのような経験を積むか、その多様性や質に違いがある状態をさします。

この格差は、子どもたちの未来や選択肢に大きな影響を及ぼすだけではありません。

親の経験や価値観も深く関わっているのです。

幼いころの体験は、子どもの認知能力、社会性、創造性を育む重要な要素です。

自己発見の機会そのものだからです。

しかし、家庭の経済状況や地域社会の環境によって、これらの経験の量や質に大きな差が生じているのが実態です。

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裕福な家庭では、習い事や教育旅行など、子どもに多様な経験を与える機会が豊富にあるでしょう。

一方、経済的に厳しい家庭では、これらの機会が制限されます。

あなた自身のことを少し振り返ってみてください。

どんな子ども時代を過ごしたでしょうか。

住まいが都会にあった人と、地方にあった人とではかなり違います。

自然にどの程度触れたかで、生命に対する捉え方に大きな差が出ます。

日常的に植物や生物に関わってきた人には、生命に対する実感が宿っています。

どれほど丹精して育てても、風雨にさらされることで、実りが少なるなることを、肌で知っているのです。

土の感触を知っているかいないかで、自然に対する親近感や恐怖感が違います。

都会にはキャンプなどで、実際に刃物を使い調理したりすることがないまま、中学生になってしまう子どももかなりいます。

包丁を使ってリンゴを剝くことさえできないのが実情です。

正確な持ち方をしないと、指を怪我してしまうという基本さえも知らずに成長してしまうのです。

これは都市部に限った話ではありません。

親がさせないという事実もあります。

シングルマザーの家庭などでは、十分に調理をする時間がとれないこともあって、レトルトの商品をお湯や、レンジで温めるだけというケースも多いのです。

スーパーで買ってきた副食品を、そのまま食卓に並べることもあります。

親と一緒に食材を調理するという体験もないまま、成長していく子どもの姿を想像してみてください。

親の体験格差

体験格差は、親の経験や価値観とも密接に結びついています。

親自身がどのような体験をしてきたか、どのような価値観を持つかが、子どもに提供する体験の種類や質を大きく左右します。

旅行や読書、趣味を通じて得た視野の広さが、子どもにとって新たな世界を知るきっかけになるのです。

親がこの経験は不要だと判断してしまうことで、子どもの可能性が狭まる場合もあります。

重要なのは、親が子どもの興味や才能を発見し、それを伸ばすための環境を整える姿勢です。

親の体験が多様であれば、子どもの個性に応じた支援がしやすくなります。

その一方で、親の視野が狭い場合、子どもの可能性を見過ごしてしまう危険性も考えられます。

体験格差を埋めるためには、親だけでなく、社会全体の支援も不可欠なのです。

それには学校の持つ役割がいかに大きいかが、よく理解できると思います。

職場体験や、宿泊行事などを通じて、社会や自然との関係を知るということの意義は大きいのです。

さらに親自身が学び直しや新しい経験を積む機会を提供することで、子どもにより豊かな体験を与えられるようにすることも大切です。

その背景には親の体験や価値観が深く関わっているのです。

例えば、ある家庭では「勉強こそが最優先」と考え、スポーツや芸術活動、課外活動を軽視する場合があります。

このような意識の違いは、親の教育方針や自身の経験に依存する部分が大きく、家庭ごとの環境や文化によって異なります。

その結果、子どもが受けられる体験の幅や質に大きな差が生じます。

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ある家庭では海外旅行が当たり前である一方、別の家庭では地域の行事にすら参加しないこともあります。

このような体験の有無は、子どもの世界観や興味の広がりに大きな影響を与えます。

実際、あなたの場合はどのようだったでしょうか。

具体的にイメージを広げていくと、この問題が自分の価値観に大きな影響を与えているのが、よくわかるはずです。

さらにいえば、住んでいる地域や環境も、体験格差の大きな要因です。

都市部と地方では、子どもたちがアクセスできる体験の種類や機会に大きな差があります。

都市部では、博物館、美術館、科学館、スポーツ施設、音楽教室などの選択肢が豊富にあります。

このように、住環境までが体験格差の一因となるのです。

学校によっては、修学旅行や宿泊研修、文化祭、スポーツ大会などの活動が活発に行われます。

しかしこれが少ない学校もあります。

こうした機会の有無が、子どもの体験に差を生じさせるのも事実です。

デジタル環境の差

学校の持つ役割が、想像以上に大きいことは先に示しました。

しかし実は学校文化の差も大きいのです。

教師の熱意や指導の質も、子どもたちの体験に影響を与えることがあります。

熱心な教師がいる学校では、地域社会との連携や新しい取り組みを積極的に行うことが多いため、子どもにとっての貴重な体験が増える傾向にあります。

公立と私立で、その内容が大きくかわる場合もあります。

この時期の体験格差は、その後の価値観を大きくかえる要素になりうるのです。

さらに家庭の文化的背景や家族構成も、体験格差に影響を与える要因です。

家庭がどのような文化を重視しているかによって、子どもが経験する活動が異なります。

現代では、インターネットやデジタル環境も体験格差の一因となっています。

デジタル環境の使い方にも格差があります。

体験格差は、子どもたちの成長にさまざまな影響を及ぼすのです。

教育機会の不平等は、学力の差を生む要因ともなります。

学校外での体験が少ない子どもは、自己表現やコミュニケーション能力が育まれにくいと言われています。

結果として社会に出たときに不利な立場に置かれることが多くなります。

また、体験が乏しいことで自己肯定感が低下し、将来的に貧困の連鎖を引き起こす可能性もあります。

このように子どもの時代をどう過ごしたのかということは、時間がたてばたつほど、取り返せない差として認識されます。

経済的な格差を是正しなくてはならないのはいうまでもありません。

それ以上にそれぞれの地域や家庭の価値観が、底流を流れ続けることにあるのです。

あらためて、体験格差の根は深いといわざるを得ません。

あなた自身の場合にあてはめ、この問題を自分のこと、社会のこととして捉え直してください。

理解が一気に進むものと確信します。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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