【自由の本質】誰からも必要とされない人間ほど寂しいものはない

学び

自由の本質

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は自由というものがどこからやってくるのかということについて考えます。

出典は2011年、福岡教育大学で出題された後期試験の問題です。

アニメーション作家、押井守の『凡人として生きること』の一部が課題文です。

自由という言葉は実によく語られます。

しかし真の自由がなんであるのかについて論じた文章はどれも難解です

そこで各大学では、よの書きやすそうな文章を探し、それを糸口にして、試験の場で考えてもらおうとしています。

与えられた文章から想像できる世界がどのようなものであるのかを、見たいのです。

当然、受験生の国語力を知るだけでなく、発想の力や勢いを感じたいのです。

課題文と同じテンションでそのままの内容を繰り返すような答案は評価されません。

できるだけ新しい切り口を、あなただけの言葉で表現してほしいのです。

あたりまえのことを後から追いかけたような文章はダメです。

どこまでも新鮮な内容でなくてはいけません。

光る文章が読みたいのです。

最初に課題文の1部を掲載します。

最も中核になる部分だけを抜粋しますので、読みたい人は原文にあたってください。

非常にわかりやすいエッセイではありますが、侮ってはいけません。

課題文

この社会では他人の人生と関わり、他人の人生を背負い込むことぐらい楽しいことはない。

それは恋愛でも、結婚でも、就職でも、起業でも、同じことである。

逆に言うと、誰からも必要とされない人間ほど寂しいことはない。

人は誰かから必要とされて、本当に生の喜びにひたれる。

なぜなら猿から進化した人間という生き物は、どうあっても最後は群れの中にしか喜びを見出せない動物だからだ。

他人の人生と関わりあうことでしか、幸せを感じることのできない性質を、猿の子孫である我々は持っているのだ。

だから、他人から必要とされていない人間が、「オレには自由がある」と叫んだところで、それは虚しい繰言にしか聞こえないだろう。

そんな人間の言う「自由」にどれほどの価値があると言えるだろうか。

「仕事が楽しい」というのは、仕事を通じて社会につながるのが楽しい、ということなのである。

先ほども述べた通り、社会という人間の群れの中で自分の定位置を得ることでしか、人間は喜びを得られない。

富や権力に妄執する人間が出てくるのも、つまりはそれが群れの中での位置を高めてくれるものだからである。

そして、社会とつながっていけぱ、次にやりたいことが出てくる。

それは会社の中での出世でもいいし、新商品の開発でもいいし、経営計画の刷新でもいいが、次から次へとやりたいこと、やらなければならないことが出てくるのである。

逆に引きこもった生活をしていると、次にやること、やるべきことがどんどんなくなってくる。

やりたいことがないから、いくら自由とはいっても、その自由にはまったく何の意味もない。

あるいは「自由」という言葉を使うから、物事の本質が見えにくくなっているのかもしれない。

「自由」を「自在」と読み替えてしまってはどうだろうか。

理解がいくらか早くなるだろうか。

設問

次の文章が設問です。

設問は最大のヒントです。

つい読み流してしまう人が多いようです。

絶対にそれだけは避けてください。

設問1 筆者が述べている「自由の本質」とは何か。本文に則し、80字以内で答えなさい。

設問2 あなたが考える自由な生き方について、「筆者の考えを妥当だと考えるか否か」をその根拠とともに明らかにしながら800字程度で論述せよ。

設問1に関しては、次の3点を網羅しておけば十分だと思われます。

① 他者と関わることでしか、自分の社会的位置がみえない。
② そこから喜びがみえる。
③ 他者を介して社会に影響を与えることで自在感を得ることができる。

採点者はこの3つの内容を示した表現がきちんとあるかをチェックします。

80字というのは400字詰めの原稿用紙でわずかに2行です。

字数をまとめる練習をしてください。

設問1はあくまでも設問2のための予備練習です。

ここで内容をきちんとまとめ、次の内容にせまっていくのが大切です。

MorganK / Pixabay

質問の意味を正確に捉えましょう。

設問2のポイントは「筆者の考えを妥当だと考えるか否か」にあります。

つまり筆者の論点にYesかNoかをはっきりさせなければいけません。

ここがアイマイだと、評価は一気に下がります。

途中で論旨が揺れたのではいくらまとめたつもりになってもNGです。

もう1つのポイントはその意見の根拠をはっきりさせるということです。

この2つを必ず明示しなければなりません。

①YesかNoか。
②その理由は何か。

あなたはこの課題文を読んで、どう感じましたか。

実際の試験に出題された文章はもっと前後が長いものでした。

前半では引きこもりと呼ばれる人の生活が表現されています。

彼らには、一見なんの束縛もないように見えるが本当の意味での自由はないというのです。

つまり他者との関係の中で味わえる喜びがないということです。

後半ではサラリーマンの日常が示されています。

家族を養うために責任は重いが、生きがいも喜びもそれだけあるという論点です。

その中間にここに掲載した文章がはさまります。

小論文の難しさ

小論文の難しさは、例としてあげられた文章の内容をどこまで解答に使うかという点にあります。

800字という限定されたワクの場合、例をそのまま挙げるのは避けることが賢明でしょう。

生の実感をどのようにしたらより自分のものにできるのか。

ネットやテレビをみているだけの生活に、真のリアリティがあるのかどうか。

他者が不在の日常がどこまで意味を持つのか。

それを自分の言葉で書き綴るしかないでしょうね。

多くの受験生が、筆者の論点を肯定する側にまわると予想されます。

ただしここでYesだからもう何も付け足すことはないといったようなまとめ方をしても意味はありません。

ポイントは「あなたの考え」を示すことです。

あるいはNoを貫くというケースの場合はどうなるのか。

「他人の人生」を無理に背負い込み、それを新しいストレスにしてしまうことの負の側面を強調することも可能でしょう。

論点はどちらでもかまいません。

YesでもNoでもいいのです。

人間からの逃避を続けることが今日の文明病であるという指摘も可能です。

リアルな人間はストレスの塊りそのものです。

それを避けて生きることがなぜ不幸せなのかという論点も成立するでしょう。

大切なのは採点者を納得させられるだけの論述力を身につけることです。

自由の問題は大変に難しいです。

役割を持つことの重圧と喜びを比べてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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