小論文はディベートと同じ
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は反論の仕方を考えましょう。
皆さんは今までに何度かディベートを経験したことがあると思います。
4~5人になって、相手を論破していく高度なゲームです。
大変に知的な討論の場です。
遠くでみていると楽しそうですが、実際やってみると厄介なのです。
なぜか。
相手を論理でねじ伏せるという作業に慣れていないんでしょうね。
日本人は基本的に議論をしたことがありません。
日本語そのものも、あまりディベートに向いた言葉ではないのです。
どちらかと言えば、感覚的な言語です。
しばらくやっていると、内容がゴチャゴチャになって、何を論じていたのかわからなくなってしまいます。
当然ジャッジも、勝敗の結果を判断しかねるというワケなのです。
ではどうしたら勝てるのでしょうか。
ディベートには基本的な戦い方がいくつかあります。
1番の基本は相手の立つ根拠を潰してしまうことです。
ある意見の根底にある理由を完全に否定し去ってしまうのです。
当然、相手側はそれを前提にして論理を組み立てています。
それを目の前で潰されてしまったのでは、どうにもなりません。
動力源がトラブルに見舞われたとでもいえばいいのでしょうか。
エンジンが完全に止められてしまった状態です。
しかしこれができるくらいなら、それほどの苦労はしません。
相手も自分たちが不利だとみれば、そこをなんとか補正してきます。
穴をふさごうとするという行為そのものが、弱さの露呈にはなりますけどね。
それでもなんとか防戦しなければなりません。
論証が難しい時は
それでも攻撃がやまない時はどうすればいいのか。
当然こういうケースも考えられますね。
日本人がディベートをあまり好まないのは、多分この切っ先にある感覚の悪さからくるのでしょう。
両者があまりにギスギスしすぎて、関係が悪化する。
多くの人はこういうシチュエーションを好まないのです。
喜んで議論をし、あとはすべて忘れて談笑しあうという風土がありません。
いつまでも感覚的に引きずるのです。
当然、小論文の場合も全く同じことになります。
あまりに相手方を潰すことに熱心になりすぎると、採点者も少し嫌気がさしてきます。
一生懸命に探して練り上げたテーマです。
かなりの自信を持っています。
受験生がどのように料理するのかを楽しみにしている気分は採点者側にも当然あるでしょう。
しかし痛罵されることまでは望んではいません。
完全否定できない内容だと信じて出題しているのです。
そういう時に最も便利な表現が「確かに~であるが、しかし~である」というフレーズです。
筆者の論点を1部認め、残りを否定する。
高等テクニックではありますが、これならばあまり問題はありません。
入試小論文には採点者の望む方向が必ずあるのです。
そこを全く無視して進むのは無謀です。
実際は全てを否定しきれない時の方が多いでしょう。
そうした時はどうするのか。
幾つかの方法があります。
別の視点から
全く別の視点を注入することです。
同じ問題に正対してばかりいると、本質がよく見えなくなるという現象があるものです。
そういう時は別の角度から攻めるということを考えましょう。
異なった道徳観や倫理の左右する場所では、筆者の論理とは違う動きがあるかもしれません。
それを考えてみるのです。
真正面からでは到底歯の立たなかった議論が、少しだけほどけるかもしれません。
これはNGワザではありません。
思考力のアピールポイントにもなります。
こういう広い地平からテーマを扱うことができるのですという宣伝になる可能性もあります。
いつもうまくいくのかどうかは別として、十分に活用できるのではないでしょうか。
具体的な事例を考えてみましょう。
ディベートでよく話題になるテーマの1つに「積極的安楽死」があります。
医療系の学部の場合、このテーマは毎年数校で出題されます。
日本でも認めるべきかどうかの議論は何度もなされています。
いまだに未決定の大きな問題です。
ちなみに積極的安楽死とは、延命治療の中止以外の手段により、意図的に患者の死期を早める行為を言います。
課題文が安楽死を認める立場なのか、その反対なのかによって議論の仕方は180度違ってきます。
その一方で「尊厳死」という論点もあります。
現在の日本はどの論調が主流なのかをきちんと把握していないと書けないでしょうね。
大前提を明確に
ディベートのテーマは価値・推定・政策によって変わります。
難易度も比較的簡単なものから非常に難しいものまであります。
気をつけないといけないのは、テーマの意味をきちんと把握しないと、議論が違う方向性に導かれてしまうことです。
このテーマでいえば、「安楽死」と「尊厳死」の違いを明確に認識していなければ議論になりません。
さらに積極的安楽死と消極的安楽死の違いはどこにあるのか。
日本の現状はどうなっているのか。
患者自身に判断能力がない時、誰が最終判断を下すのか。
それは許されているのか。
過去に積極的安楽死に関わる判例はあるのか。
世界の兆候はどうなのか。
出される結論が意味不明なものにならないためにも、テーマの内容を事前に把握・研究しておく必要があります。
そこまでの用意がなければ、議論のとば口にも立てないでしょう。
小論文の難しさはここにあります。
十分な知識をあらゆる分野に対して用意しておかなければいけないのです。
ここではどうにもならなくなった時、少し立ち位置をかえ、世界の流れを示すのも1つの方法です。
どの国が積極的安楽死を認めていて、その方法はどのようなものか。
どういうケースの時に認められているのか。
尊厳死との決定的な違いはどこにあるのか。
高齢化社会の中での現実的対応はどのようになっているのか。
あらゆる視点からテーマを絞っていくことができます。
そうしなければ、大局的に論旨をまとめきることはできないでしょう。
けっして容易い道ではありません。
いつでも課題文の根拠を論破しなくてもいいのです。
たとえ半分でも譲歩を引き出せれば、かなりの優位に立てます。
そのことが合格に繋がります。
勉強を続けてください。
期待しています。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。