我慢をするという行為
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
あなたはマシュマロ・テストという子ども向けの実験について聞いたことがありますか。
どこかで耳にしたという人が多いのではないかと思います。
子どもが目の前の誘惑を我慢できるか試し、その後の人生への影響を調べた有名な心理学の実験です。
1972年、スタンフォード大の心理学者、ウォルター・ミシェルが行いました。
このテストの目的は「満足を先延ばしできる能力」があるかないかを確認し、それが学習能力とどのような関係があるのかを調べるためのものです。

今でいえば、スマホを閉じ、好きなゲームをきちんと約束した時間までにやめられるか、などという調査にも似ていますね。
実験者は目の前にあるマシュマロを食べることを15分間我慢すれば、さらにもう1つ余計にもらえるなどのご褒美をつけました。
反対に途中で食べた場合は1個だけで、2個目はもらえないこととしたのです。
結果はどうだったでしょうか。
半数の子供達はでき、半数はダメでした。
子どもたちは歌を歌い、独り言を話し、タップをし、あるいは寝たりもして必死に15分間を過ごしたのです。
このテストは対象年齢を平均4歳半に設定したものです。
興味があるのはむしろ、この実験の16年後の結果です。
参加した子供たちが20歳になった頃、親の評価を調査しました。
すると、我慢できた子供たちの学力は我慢できなかった子供たちより、全体に高いという結果が出たのです。
さらに21年後の2011年、実験に参加した子供たちが40代になった時点で、脳の検査もしました。
我慢できた子供たちの脳では、社会行動の調節に関係する皮質が、活発に働いていることがわかりました。
反対に我慢できなかった子供たちは、快感や満足度などに関する部位の活動が我慢できた子供たちより活発だったのです。
この結果が何を示すのかについて、多くの議論をなされたことは言うまでもありません。
その後、より詳しいエビデンスを求めて、さまざまな実証実験が繰り返されています。
合理的な判断
この実験には後日談がたくさんあります。
結論からいえば、ここに挙げた程度の単純なパラメーターだけでは、最終的な判断ができないことがわかったのです。
つまり、その子どものおかれた成育歴や環境によって、我慢の程度がまったく異なるという事例であることが判明しました。
貧困層や不安定な環境にいる子どもたちは、「大人が戻ってきて本当にもう1個くれるか分からない」という不信感の中で、我慢を強いられたのです。
それまでに何度も似たようなことがあった子供たちは大人を信用していませんでした。
だからこそ、将来への保証のなさが身体にしみついていたのです。

15分我慢したあとにくれるという次の1個が信じられなかったのです。
彼らは俊敏に判断を重ねた後、目の前の1個を確実に食べる選択をしました。
これはむしろ自制心の欠如のレベルというより、環境に適応した合理的な判断と言えるのかもしれません。
このテストはだから完全な失敗だったというわけではありません。
しかし自制心という個人の持つ資質だけで、将来が決まるという単純なものではないこともわかりました。
育った環境や大人への信頼感が大きく影響していたというのが、科学的な見解だったのです。
「意志の弱さ」と思ってきたものが、実は環境が作った合理的な反応だったと理解できれば、むしろ環境を整え直すことへ、視点を移さなければならないという考慮が必要になります。
AI時代の知
AIの時代に入り、仕事の質が急速に変化しつつあります。
今まで通用していたスキルがAIに代替される可能性もかなり広がっています。
反対の立場からいえば、人間にしかできない仕事とは何か、能力とは何かということが真剣に議論されているのです。
我慢強く、忍耐力があることと、学力との関係はどうなのかということも大きなテーマでしょう。
「IQ」で数字化し測ることのできる能力は、この数年の間に「AI」に追い越されてしまうかもしれません。
「AI」は忘れることを知らないからです。
Anthropic(アンソロピック)という会社の名前はご存知でしょうね。
ChatGPTを開発した、OpenAIの元メンバーによって設立されたアメリカの公益法人です。
Anthropicは汎用人工知能(AGI)を研究しています。
この会社に関するニュースで一番怖かったのは、研究者たちがこれ以上開発のスピードをあげるのをやめようという提案をしたことでした。
研究がどこまでいくのか、彼らにも先が見えなくなっているのです。
かつての原爆開発に似ているようでもあります。

「核」の研究はエネルギー資源の供給にも向かいましたが、それ以上のスピードで兵器への道を突き進みました。
今はシンギュラリティなどということを考える必要はないという識者もいます。
確かにAIが人間を超えるといっても、命令を発するレベルにはならないかもしれません。
しかし彼らはいくらでも人知をデータ化し、経験を積み上げていく能力を持っています。
我慢とか忍耐という単語を知らなくても、同じ作業を繰り返すことができるのです。
これは想像を絶することです。
各地に建設されているデータセンターが巨大な「脳髄」として近い将来、稼働する様子が目に見えます。
ブルーカラー・ミリオネアなどといって浮かれているうちに、その中のいくつもの分野がAIロボットにとってかわられる日がくるかもしれないのです。
約束を守る意味
教育の問題はいつの時代も試行錯誤の連続です。
かつてのように知識を詰め込むタイプの授業はさすがに少なくなったとはいうものの、現実の受験などをみていると、詰め込み型への道のりを捨てているとは言えません。
むしろ小中から私立志向に走り、日本型の学歴社会の中で後れを取りたくないという焦りが親たちに見えます。
学力をどのようにチェックするのかというのは大変に大きなテーマです。
将来の生活設計や人生の展望にも関わるからです。
そこでよく論議されるのが非認知能力の可能性です。
学力が大切だと信じていた親たちも、環境の持つ重要性に気づき始めました。
内申書や通知表に載らないもう一つの人間力といった方が正しいのかもしれません。
学校を卒業した後、あらゆる場面で必要なのは、むしろこの能力なのかもしれないのです。
その最も根本のところに環境の問題があるとしたら、論点はさらに複雑さを増します。
非認知能力という言葉はよく聞きますが、その実態は何なのでしょうか。
よく言われるのが、やり抜く力、自己肯定感、コミュニケーション能力です。
さらに、やる気、集中力、粘り強さ、リーダーシップ、協調性、対応力、思いやりなどです。

ある種の楽観性なども必要かもしれません。
この内容をみていると、まさに社会に出て成功するためのノウハウとも言えますね。
当然、学校の中でも培われるものには違いありません。
クラブ、ボランティア、委員会活動、生徒会活動などを経験すれば、必ず複雑な人間関係の中での対処の仕方を学びます。
しかしその最も根底に必要なものは、環境なのかもしれないのです。
大人への信頼もその1つです。
集団の中で、自分の立ち位置を測るということは、非常に大切です。
それをするためのものさしをつくる場所が、家庭を中心とした環境であることは間違いありません。
『テルマエ・ロマエ』を描いた漫画家ヤマザキマリさんの本を読んで感じるのは、彼女の母親が彼女をどう育てたのかというケースです。
ミッションスクールに通っていた14歳の時、ヨーロッパ旅行を予定していた母親に仕事が入り、代わりに旅行に行くかと勧められ、軽い気持ちで1ヵ月ドイツとフランスを一人旅します。
その後、母親からイタリアに留学したらと勧められて、17歳で高校を中退したのです。
そこから彼女の人生が急展開しました。
親がどのように子供と正対するのか。
これは大変に難しいテーマです。
興味のある方は彼女の本をぜひ手にとってみてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

