再考・「ですます調」と「である調」小論文の文体は論理的であるべしという鉄則

小論文

ですます調とである調

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は小論文の文体について考えます。

このテーマについては、今まで何度も書いてきました。

しかし文体の問題を精査していくと、実に深いものがあります。

言葉の持つ魔力とでもいえるのかもしれません。

作家や記者だけでなく、少しでも文章にたずさわったことのある人なら、誰でもが悩む課題でもあるのです。

自分の文体をどうしたら手に入れられるのか。

永遠のテーマですね。

この記事は最初から「ですます調」でまとめています。

ところが、気がついたら「である調」で書いていたなどということもあるのです。

文体は文の内容に内容にかなり左右されます。

それくらい、文体というものはコンテンツと深くリンクしているのです。

lavnatalia / Pixabay

基本的に「ですます調」は丁寧語で統一された文体です。

読み手に柔らかい印象を与えますね。

それに対して「である調」は敬語を全く使わずに断定中心の表記になるため、堅い印象を与えます。

あなたは小論文、探求レポート、自己推薦書、志望理由書などにどの文体を使いますか。

あまり簡単に考えてはいけません。

言語表現はその人の内面をあらわす鏡のようなものです。

そこに表現されたものを読みながら、読者はあなたの資質を判断するワケです。

どういう文体で書くべきか、悩んでください。

印象の差

この2つの文体は使い方に明確な差があります。

両者の違いと使い方をしっかりと把握していきましょう。

今回、なぜあらためて、このテーマをひっぱりだしてきたのかというと、多くの人が文体の使い分けで困っているからです。

言葉はあなたを読み手に正しく伝えるための武器なのです。

文章を書く上での基本的なルールは、印象の違いというキーワードから読み解いていくのがいいのではないでしょうか。

もう一度おさらいしておきます。

ですます調」と「である調」では与える印象が全く違います。

読み手はあなたの意志を文体から探っていきます。

文章そのものを柔らかくしたいのか、論理的なものにしたいのかで、文意の入れ物の形を整えなければいけないワケです。

単刀直入に答えを書きましょう。

小論文と探求レポートについては、「である調」がふさわしいと思います。

近年は、かつてのAO入試が総合型推薦と名前をかえて、年内入試にふさわしいものとして受け入れられています。

必要な提出物としては、自己推薦書(志望理由書)、活動報告、探求レポートなどです。

これらと小論文、面接、セミナー、プレゼンテーション、口頭試問などと組み合わせて、合否を決定するのです。

大学によって、かなり選考方法に違いがあります。

論理性を重視する論文においては、やはり「である調」がふさわしいと考えます。

その意味で、小論文、探求レポートなどは「である調」一択です。

一方、自己推薦書(志望理由書)、活動報告はどちらのケースも可能です。

毎年、生徒が添削のために持ってくる文章をみていると、強い印象を与えたいケースではどちらも「である調」が多いです。

読んでいても、無駄な表現が少ない印象を受けますね。

正面から真っすぐ押してくるというのでしょうか。

短文を重ねて論理的にまとめて書くという文章に似合っています。

しかしあまりに堅い文になってしまうと、受験生の人柄を判断する時には不向きな感じもします。

もちろん、面接もありますので、内容をきっちりと書き込みたい時は「である調」がいいでしょう。

表現のスピード感も落ちますので、論理的な文は「である調」で書く方がいいのではないでしょうか。

「である調」になると、すっきりとした印象が増します。

常体と敬体の混同は避ける

一方、「ですます調」の場合しどうでしょうか。

文末がかなり長くなります。

「ですます調」は丁寧語で統一された文体なのです。

敬体と呼ばれます。

どうしても鋭い切れ味には欠けますね。

しかし柔らかさは捨てきれません。

westerper / Pixabay

敬語が入っているだけに、基本的にていねいな印象をうけるのです。

それに対して「である調」は敬語をほとんど使いません。

常体です。

強い断定形をとることが多いのです。

そのためきちんと意思を伝える際に適しています。

ただしその分、冷たさも同時に持っています。

どうしても自分の意見を強く出すため、詠み手が反感を抱きやすい難点が残ります。

小論文で強く自分の意見を主張したいのはよくわかりますが、強弱の加減の判断が非常に難しいのも事実です。

それぞれの文章の目的をきちんと見極めながら、文体を使い分けましょう。

これだけはNG

文章を書く上で、これをしてはならないのは何か、わかりますか。

それは2つの文体をごちゃまぜにして使うことです。

小説家などの中には、わざと2つを混ぜて書く人もいます。

それは特殊な技術だと考えてください。

どうしても入れたい場合は、会話に逃げるという方法もあることにはあります。

しかし入試の論文に会話を入れるのは極力避けるべきです。

文の勢いが死んでしまいます。

肝に銘じておいてください。

明らかに文体が崩れてしまうのです。

2つの文体をまぜてはいけない理由を3つあげます。

➀文章が読みにくい。
②論理性がはっきりしない。
③文章が幼く見える。

文体が統一されていない文章は、リズムがよくないため、大変に読みにくいです。

柔らかさと堅さを同居させるのは、土台困難なのです。

読み手は次ぎ次ぎと異なる印象を持つことになり、どうしても論理性が不明確になります。

文体が混ざることは、国語力のなさを感じさせるのです。

内容の良さを帳消しにしてしまう怖れがあります。

例外的には先ほども書いたように、会話文を違う文体で挿入する奥の手もあることはあります。

しかしこれは使わない方がいいでしょう。

文章は自然に流れるのが最も理想的です。

いつの間にか読み終わって、ある種の感慨をもたらすものがいいのです。

逆にいえば、途中でひっかかるのが最もいけません。

リズムや統一感があると、書き慣れている人だという印象を読者は持ちます。

大学は文章力のある生徒に入学して欲しいのです。

採点者は言葉のリズムも同時に見ています。

「ら抜き言葉」や「い抜き言葉」を使ってはいけないというのも常識ですね。

特にきちんとした文章であればあるほど、正確な表記で綴らなければいけません。

文体は文章の命です。

そのことを改めて肝に銘じてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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