ですます調とである調
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は小論文の文体について考えます。
このテーマについては、今まで何度も書いてきました。
しかし文体の問題を精査していくと、実に深いものがあります。
言葉の持つ魔力とでもいえるのかもしれません。
作家や記者だけでなく、少しでも文章にたずさわったことのある人なら、誰でもが悩む課題でもあるのです。
自分の文体をどうしたら手に入れられるのか。
永遠のテーマですね。
この記事は最初から「ですます調」でまとめています。
ところが、気がついたら「である調」で書いていたなどということもあるのです。
文体は文の内容に内容にかなり左右されます。
それくらい、文体というものはコンテンツと深くリンクしているのです。
基本的に「ですます調」は丁寧語で統一された文体です。
読み手に柔らかい印象を与えますね。
それに対して「である調」は敬語を全く使わずに断定中心の表記になるため、堅い印象を与えます。
あなたは小論文、探求レポート、自己推薦書、志望理由書などにどの文体を使いますか。
あまり簡単に考えてはいけません。
言語表現はその人の内面をあらわす鏡のようなものです。
そこに表現されたものを読みながら、読者はあなたの資質を判断するワケです。
どういう文体で書くべきか、悩んでください。
印象の差
この2つの文体は使い方に明確な差があります。
両者の違いと使い方をしっかりと把握していきましょう。
今回、なぜあらためて、このテーマをひっぱりだしてきたのかというと、多くの人が文体の使い分けで困っているからです。
言葉はあなたを読み手に正しく伝えるための武器なのです。
文章を書く上での基本的なルールは、印象の違いというキーワードから読み解いていくのがいいのではないでしょうか。
もう一度おさらいしておきます。
「ですます調」と「である調」では与える印象が全く違います。
読み手はあなたの意志を文体から探っていきます。
文章そのものを柔らかくしたいのか、論理的なものにしたいのかで、文意の入れ物の形を整えなければいけないワケです。
単刀直入に答えを書きましょう。
小論文と探求レポートについては、「である調」がふさわしいと思います。
近年は、かつてのAO入試が総合型推薦と名前をかえて、年内入試にふさわしいものとして受け入れられています。
必要な提出物としては、自己推薦書(志望理由書)、活動報告、探求レポートなどです。
これらと小論文、面接、セミナー、プレゼンテーション、口頭試問などと組み合わせて、合否を決定するのです。
大学によって、かなり選考方法に違いがあります。
論理性を重視する論文においては、やはり「である調」がふさわしいと考えます。
その意味で、小論文、探求レポートなどは「である調」一択です。
一方、自己推薦書(志望理由書)、活動報告はどちらのケースも可能です。
毎年、生徒が添削のために持ってくる文章をみていると、強い印象を与えたいケースではどちらも「である調」が多いです。
読んでいても、無駄な表現が少ない印象を受けますね。
正面から真っすぐ押してくるというのでしょうか。
短文を重ねて論理的にまとめて書くという文章に似合っています。
しかしあまりに堅い文になってしまうと、受験生の人柄を判断する時には不向きな感じもします。
もちろん、面接もありますので、内容をきっちりと書き込みたい時は「である調」がいいでしょう。
表現のスピード感も落ちますので、論理的な文は「である調」で書く方がいいのではないでしょうか。
「である調」になると、すっきりとした印象が増します。
常体と敬体の混同は避ける
一方、「ですます調」の場合しどうでしょうか。
文末がかなり長くなります。
「ですます調」は丁寧語で統一された文体なのです。
敬体と呼ばれます。
どうしても鋭い切れ味には欠けますね。
しかし柔らかさは捨てきれません。
敬語が入っているだけに、基本的にていねいな印象をうけるのです。
それに対して「である調」は敬語をほとんど使いません。
常体です。
強い断定形をとることが多いのです。
そのためきちんと意思を伝える際に適しています。
ただしその分、冷たさも同時に持っています。
どうしても自分の意見を強く出すため、詠み手が反感を抱きやすい難点が残ります。
小論文で強く自分の意見を主張したいのはよくわかりますが、強弱の加減の判断が非常に難しいのも事実です。
それぞれの文章の目的をきちんと見極めながら、文体を使い分けましょう。
これだけはNG
文章を書く上で、これをしてはならないのは何か、わかりますか。
それは2つの文体をごちゃまぜにして使うことです。
小説家などの中には、わざと2つを混ぜて書く人もいます。
それは特殊な技術だと考えてください。
どうしても入れたい場合は、会話に逃げるという方法もあることにはあります。
しかし入試の論文に会話を入れるのは極力避けるべきです。
文の勢いが死んでしまいます。
肝に銘じておいてください。
明らかに文体が崩れてしまうのです。
2つの文体をまぜてはいけない理由を3つあげます。
➀文章が読みにくい。
②論理性がはっきりしない。
③文章が幼く見える。
文体が統一されていない文章は、リズムがよくないため、大変に読みにくいです。
柔らかさと堅さを同居させるのは、土台困難なのです。
読み手は次ぎ次ぎと異なる印象を持つことになり、どうしても論理性が不明確になります。
文体が混ざることは、国語力のなさを感じさせるのです。
内容の良さを帳消しにしてしまう怖れがあります。
例外的には先ほども書いたように、会話文を違う文体で挿入する奥の手もあることはあります。
しかしこれは使わない方がいいでしょう。
文章は自然に流れるのが最も理想的です。
いつの間にか読み終わって、ある種の感慨をもたらすものがいいのです。
逆にいえば、途中でひっかかるのが最もいけません。
リズムや統一感があると、書き慣れている人だという印象を読者は持ちます。
大学は文章力のある生徒に入学して欲しいのです。
採点者は言葉のリズムも同時に見ています。
「ら抜き言葉」や「い抜き言葉」を使ってはいけないというのも常識ですね。
特にきちんとした文章であればあるほど、正確な表記で綴らなければいけません。
文体は文章の命です。
そのことを改めて肝に銘じてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。