仮道伐虢(かどうばっかく)・晋に滅ぼされた小国・虢に由来する故事【呂氏春秋】

兵法三十六計

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は「仮道伐虢(かどうばっかく)」という故事にちなんだ話です。

「兵法三十六計」を御存知でしょうか。

戦い方の指南書です。

その中にこの話からとった教訓が入っています。

大変に難しい言葉ですが、ぜひ覚えておいてください。

この話が載っている『呂氏春秋』は、秦の呂不韋が多くの家臣や賓客を集めて編集した本です。

道家を主とし、他の諸家の説を交えた百科全書的な性格の書です。

この中にある故事「仮道伐虢」(かどうばっかく)は、道を借りて虢(かく)を伐つと読みます。

春秋戦国時代、大国、晋(しん)の隣には虞(ぐ)と虢(かく)という国がありました。

晋としては、この小国をいち早く潰して、他の強国との争いに備えたかったのです。

しかし、この2国を同時に敵に回すのは手が焼けるという状態でした。

虢(かく)は晋の南、黄河のほとりの小国ですが、間に山脈が立ちはだかっているので、直接攻め込むことはできません。

そこで虢の西隣の虞の領内を通してもらおうと考えました。

そこで、考えた作戦が次のようなものです。

晋は虢に国宝の一つと名馬を送り、進軍のため国内の通行許可を求めることにしたのです。

虢の重臣の一人は、反対しました。

「虞と虢は、馬車の車輪と車軸のようなものだ。どちらか一つが倒れたら、もう一方も滅ばざるを得なくなります」。

小国同士が協力し合ってこそ生き残れるのです。ゆめゆめ甘い誘いに乗ってはなりません。晋の本当の目的は、二国の侵略なのです」

ところが、虢の君主は晋の甘い言葉に乗せられ協力をしてしまいます。

その結果、虞は滅亡してしまいました。

やがて三年後、重臣が予測した通り、虢は晋軍の総攻撃を受けたのです。

忠告を聞いていれば、このようなことにはならなかったに違いありません。

目の前の利益に釣られ、甘い言葉に乗せられた結果が、虢の滅亡でした。

この故事は昔からよく使われた兵法の1つです。

攻略の対象を買収等により分断して各個撃破する作戦です。

いったん同盟して利用した後に、攻め滅ぼすことを指します。

虞(ぐ)と虢(かく)は結局、大国晋に攻められてしまったのです。

本文

昔、晋の献公、荀息(じゅんそく)をして虞(ぐ)に道を仮り以て虢(かく)を伐(う)たしむ。

荀息曰く「請ふ、垂棘(すいきょく)の璧(へき)と屈産の乗(じょう)とを以て、以て虞公に賂(まいない)して、道を仮らんことを求めん。必る得べきなり。」

献公曰く「夫れ垂棘の璧は、吾が先君の宝なり。

屈産の乗は、寡人(かじん)の駿なり。

若(も)し吾が幣を受けて吾に道を仮さずんば、将(まさ)に奈何(いかん)せんとする」と。

荀息曰く「然らず。彼若し吾に道を仮さずんば、必ず吾に受けざるなり。

若し我に受けて我に道を仮さば、是れ猶(な)ほ之を内府に取りて之を外府に蔵するがごときなり、猶(な)ほ之を内皁(ないそう)に取りて之を外皁に著(つ)くるがごときなり。

君、奚(なん)ぞ患(うれ)へん」と。

献公之を許す。

現代語訳

昔、晋の献公が荀息に命じて虞の領内の道を通してもらって、虢の国を攻めようとしました。

すると荀息が言いました。

「どうか垂棘の玉璧と屈で産出する駿馬を,虞公への贈り物になさって下さい。その上で、進軍の道を借りることを求めれば、必ず許可を得られるでしょう。」

獻公は言いました。

「そもそも垂棘の玉璧は,先君から伝わる宝である。屈産の馬は,私にとって大切な駿馬だ。

もし私の贈り物を受けておきながら、虞公が私に道を貸してくれなかったなら、一体どのようにすればいいのだろうか」

荀息は答えました。

「それは違います。もし先方が我が軍に道を貸さないなら,きっと贈り物を受け取らないでしょう。

もし贈り物を受け取って我々に道を貸してくれるのならば,これは、ちょうど玉壁を宮廷内の倉庫から取り出して、外の倉庫に納めるにすぎないようなものです。

馬を厩舎から連れ出して、外の厩舎に移すのと同じです。

殿下、どんな心配をされることがありましょうか。何も憂うることはありません」

獻公はこれを聞いてすべてを承知したのです。

垂棘の玉璧と屈産の乗

垂棘(すいきょく)産の玉と屈(くつ)産の名馬というのが、この話のポイントですね。

中国にはこのような玉と呼ばれる宝物の話がよく出てきます。

有名なのは和氏の璧でしょうか。

これを身につけると五色の絹で飾る必要がないと言われました。

また隋侯の珠は金銀で装う必要がないとのことです。

あるいは名馬もそうですね。

千里を走る馬といわれる馬の話もよく出てきます。

いずれにしても、目の前の宝に目がくらんだということなのでしょう。

人間の哀しい性としか言えません。

ここに登場する論理で最も鋭いのは次の2つです。

①結局は相手の国を攻め滅ぼしてしまうのであるから、今はどこに宝をおいておいても同じことである。

②自分の国の蔵から取り出して、相手の国の蔵にしまっておいてもらうだけのことである。

つまり与えると見せかけて、ただ保管場所をかえただけに過ぎないという論理です。

ここまで考え抜いて、みせかけのプレゼントを送った晋の献公はすごい人物です。

家来の荀息の先見性の高さにも驚かされます。

晋の献公は「宝玉はそのまま、馬は大きくなって戻ってきた」と喜んだとあります。

この方法は戦国時代末期の秦もよく使いました。

兵力で攻めるのと合わせて、各国の大臣級に大金を送り買収したのです。

これにより周囲の国の中は、疑心暗鬼の状態になりました。

趙は奸臣郭開の讒言により名将李牧を誅殺してしまいます。

斉は親秦派と反秦派に論が分裂したのです。

黙って内紛を見続けていた秦は、やがて強大な国家に成長しました。

政治というのは、つねに権謀と術数の繰り返しです。

そうした意味で、この仮道伐虢(かどうばっかく)という言葉の意味には大変深いものがあります。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました