【人面桃花】男女の出会いは悲恋に終わるものが多いとよく言われるけれど

学び

人面桃花

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は熟語の出典について考えてみます。

「人面桃花」(じんめんとうか)という言葉を知っていますか。

あまり聞いたことがないという人が殆どかもしれません。

高校では選択漢文の授業などで扱います。

作者は晩唐の政治家、孟綮(もうけい)です。

『本事詩』(ほんじし)という中国の詩に関する逸話集の中に収められています。

886年に成立したと言われています。

内容は唐の時代の詩人に関する伝記資料などが主です。

その中に「人面桃花」という話が載っているのです。

どんな場合にこの表現を使うのか。

美しい女性と出会った場所に行っても、再びその人とは巡り合えないものだというケースに応用します。

いつまでも告白をしないでいると、人面桃花になるよといった言い方をします。

「人面桃花相映じて紅なり」という詩がその表現のもとになっているのです。

唐の時代、崔護(さいご)という主人公は桃の花の咲く下で会った美女が忘れられませんでした。

翌年もまたその家を訪ねたものの会えません。

仕方なく恋心を詩に託して女性の家の門に残したのです。

本文

博陵の崔護(さいご)、姿質甚だ美にして、孤潔(こけつ)合ふもの寡(すく)なし。

進士に挙げらるるも、下第(かだい)す。

清明の日、独り都城の南に遊び、居人の荘を得たり。

一畝(いっぽ)の宮にして、花木叢萃(そうすい)し、寂(せき)として人無きがごとし。

門を扣(たた)くこと之を久しくす。

女子有り、門隙(もんげき)より之を窺(うかが)ひ、問ひて曰はく、「誰ぞや。」と。

姓字を以つて対(こた)へて曰はく、「春を訪ねて独り行き、酒渇(しゅかつ)して飲を求む。」と。

女入りて、杯水を以て至り、門を開き牀(しょう)を設けて命じて坐せしめ、独り小桃斜柯(しょうとうしゃか)に倚(よ)りて佇立(ちょりつ)し、意属(いしょく)殊に厚し。

妖姿(ようし)媚態、綽(しゃく)として余姸(よけん)有り。崔言(さいげん)を以つて之に挑むも、対(こた)へず。

目注する者之を久しくす。崔辞去するや、送りて門に至り、情に勝(た)へざるがごとくして入る。

崔も亦(また)睠盼(けんべん)して帰る。

嗣後(しご)絶えて復た至らず。

来歳(らいさい)清明の日に及び、忽ち之を思ひ、情抑ふべからず。

逕(ただ)ちに往きて之を尋ぬれば、門牆(もんしょう)故(もと)のごとくなるも、已に之を鎖扃(さけい)せり。

因(よ)りて詩を左扉(さひ)に題して曰はく、

去年の今日此の門の中

人面桃花相映じて紅なり

人面は祇(た)だ今何れの処にか去る

桃花は旧に依りて春風に笑ふ、と。

後数日、偶(たまたま)都城の南に至り、復た往きて之を尋ぬ。

其の中に哭声(こくせい)有るを聞き、門を扣きて之を問ふ。

老父有り、出でて曰はく、「君は崔護に非ずや。」と。

曰はく、「是なり。」と。

又哭して曰はく、「君吾が女を殺せり。」と。

護驚き起ちて、答ふる所を知る莫(な)し。

老父曰はく、「吾が女は笄年(けいねん)にして書を知り、未だ人に適(ゆ)かず。去年より以来、常に恍惚として失ふ所有るがごとし。比日(さきごろ)之と出づ。

帰るに及び、左扉に字有るを見、之を読み門に入りて病む。遂に食を絶つこと数日にして死せり。吾老いたり。

此の女の嫁がざりし所以(ゆえん)の者は、将(まさ)に君子を求めて以って吾が身を託せんとすればなり。

今不幸にして殞(し)す。君之を殺すに非ざるを得んや。」と。

又特に大いに哭す。崔も亦感慟し、請ひ入りて之に哭すれば、尚ほ儼然(げんぜん)として牀(しょう)に在り。

崔其の首を挙げ、其の股(もも)に枕せしめ、哭して祝(いの)りて曰はく、「某斯(われここ)に在り、某斯に在り。」と。

須臾(しゅゆ)にして目を開き、半日にして復た活きたり。父大いに喜び、遂に女を以つて之に帰(とつ)がしむ。

現代語訳

西安の博陵に崔護という好青年がいました。

かれは進士の試験に合格するべく頑張りましたが、うまくいきませんでした。

ある清明節の日に、城南に散歩に出たとき、とある屋敷の前を通りかかりました。

その屋敷は花木が茂っていたものの、人はいない様子でした。

門をたたいてみると、1人の娘が門の中からそっとこちらを覗いていたのです。

「どちらさまでしょうか」と娘が尋ねました。

若者は名前を名乗った後、

「春を訪ねてひとりでやってきたのです。酒を飲んでのどが渇きました。お水をいっぱいただけませんでしょうか」と娘にお願いしました。

娘は門を開き若者を招きいれました。

傍らの桃の木の下にたたずみながら、娘は若者をみつめたのです。

その姿はまさになまめかしいほどの美しさでした。

崔護も口は開きませんでしたが、2人は惹かれあいました。

しかし、そのまま別れたのです。

1年後の清明節の日、若者は情を抑えがたく、娘の家をふたたび訪ねました。

しかし、門は固く閉ざされたままです。

そこで、次のような詩を門扉に書いて帰りました。

去年の今日 この門のなかであなたを見ました

美しいあなたの顔は、満開の桃花に映じて紅に染まっていたのです

あの娘はいま、何処に行ってしまったのでしょうか

桃花は旧に変わらず美しく咲いて、今も春風にそよいでいます

数日後、再びその家を訪ねると、中からすすり泣く声が聞こえてきました。

門をたたくと、出てきた老父が「あなたは崔護さんではありませんか」と尋ねたのです。

若者が「そうです」と答えると、老父は「あなたがわたしの娘を死なせたのです」と泣きながら訴えました。

若者は答えようもありません。

老父は続けて言いました。

「わたしの娘は結婚適齢期でしたが、ふさわしい人にまだめぐり合っていなかったのです。去年からずっと物思いに沈んでいました。

あの日、外から帰ってみると門扉に詩が書いてありました。

それを読んで以来、娘は病の床に伏し、数日間ものも食べずに、とうとう亡くなってしまったのです。

わたしはもう年をとりました。

娘を嫁にやる人を求めて、その方にわが身を託したかったのです。

だが、あなたは娘を死なせてしまった。」と言いながら大声を上げて泣き伏しました。

崔護も感動して泣きました。

娘のなきがらを抱きあげ「わたしはここだ、ここにいるよ」と何度も叫んだのです。

すると不思議なことに、娘はしばらくして目を開き、半日もするとすっかり命を取り戻しました。

老父は大喜びして、娘をこの若者に嫁がせたということです。

桃の花と娘の美しさ

中国といえば、やはり桃の花が代表ですね。

亡くなった娘の首を持ち上げ、若者は自分の太ももを枕にして、声をあげて泣いたのです。

その結果、真心が通じたのでしょう。

娘が生き返ったという話は、多くの人々が喜んで迎え入れたと思います。

桃の花と、美しく照り映えていた娘に会いたいと訪れたものの、若者は会えません。

出会った時から、若者を慕い続けていた娘の一途な心が透けてみえますね。

5688709 / Pixabay

再会の機会を逃し、再び会えないことが、どれほどの悲しみであったことか。

衰弱して死に至るという話はたくさんありますが、やはり人の心を打ちます。

それだけに崔護という若者の偽りのない愛情が浮かび上がってきます。

「某斯に在り」という言葉が、娘に届いて、本当によかったです。

魂が肉体に戻り蘇ったという神話のような話を、多くの人々が、心から受け入れたのは真心の大切さを知っていたからに違いありません。

「人面桃花」というこの表現を、ぜひ覚えておいてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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