【自調自考論文・渋谷教育学園】研究の課題を自分で探せるレベルに

学び

課題を探す

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今朝の新聞に「合格者を出す学校の教育法とは」という興味あるインタビュー記事が載っていました。

渋谷教育学園、通称、渋渋の校長への取材を元に構成した記事です。

ポイントは学校推薦型選抜の合格者をどのようにして出すのかというものでした。

渋渋の取り組みの1つに「自調自考論文」があります。

これは高校2年の段階で1万字の論文を書き上げるという取り組みです。

1万字というと、原稿用紙にして25枚です。

どうでしょうか、あなたにできそうですか。

大切なポイントは課題を示さないことだそうです。

つまり自分で問題意識を持ち、課題を探すという作業が必要です。

全く白紙の状態で「問いを立てる」というところから始めます。

少し想像してみてください。

今まで、いつも問題を与えられ、それに対して答えを書き、模範解答にそって、点数化されることの繰り返しではありませんでしたか。

こういった一連の流れが身についてしまっているのではないでしょうか。

つまり問題も答えもつねに存在していたのです。

正解からどれくらい外れたかで、マルがついたりバツになったりしていたワケです。

そのシステムをこれは完全に突き崩す試みです。

「自分から課題を見つける」ということがいかに難しいか。

やってみればよくわかります。

なんとなく知っているようなことでも、少し深掘りしてみると、よくわからなくなってきます。

文理を問わず

渋渋では文系、理系を問わず、あらゆる分野にわたってのテーマを許容しているとか。

ある意味、生徒の論文を読む先生も勉強しなくてはなりません。

それぞれの専門領域を超えて、学際的な分野にまでわたる場合、よほどの知識がなければついていけなくなる可能性すらあります。

そういう厳しい試練をあえて課す理由はなんでしょうか。

学びの多様性です。

生徒同士で当然話し合う機会が増えるでしょうね。

その途中で、緊密なコミュニケーションが必要になります。

すなわち、多様性を認め合うというより広い地平に飛び出す契機を孕んでいるのです。

自分がつねに疑問に思っていることをさらに追及する。

その過程の中で、今まで知らなかった事実に突き当たるということもあるでしょう。

それが大学での学びをさらに深める契機にもなります。

今日の記事には日比谷高校の例も載っていました。

高校1年の時に英語の授業で教育格差についてディスカッションをしたことがあったそうです。

そこから関心を深め、近隣の小学校で放課後の学習支援の取り組みにも参加した生徒がいました。

保護者の経済格差が子供の教育にどう影響するのかという観点で自ら研究に取り組んだそうです。

その論文を書き上げ、希望の大学へ推薦で入学を果したそうです。

研究というと、すぐに理系のイメージが浮かびますが、今は先端的なことを学ぼうとすると、必ず学際的な領域に達するのです。

文理どちらの要素もないと、なかなか独創的な研究はできません。

その意味で他者の持つ関心に対して、鋭い観察眼をもつことは非常に重要でしょう。

それなしに、大学での学びが先に伸びるということはありません。

進学する意味

大学に合格することが最終の目標である時代は去りました。

そこで伸びきったゴムが終わってしまうという人生のドラマも、過去にはたくさんあったのです。

それではせっかくの努力が水の泡になります。

ポイントはそこから先の伸びしろです。

大学は必死になってこの伸びしろのある人を探しているのです。

どうすれば見つけられるのか。

そのための1つの試みが学校推薦型選抜と総合型選抜(旧AO入試)です。

知識偏重だけではない、広がりのある学生を早くから発掘したいのです。

それではどういう生徒が伸びるのでしょうか。

見分け方は簡単です。

自分で問題を探し、それに対して真剣に取り組める生徒。

SEVENHEADS / Pixabay

さらにそこから最善の方法論をみつけ、目的に向かって突き進める生徒。

最後にそこで見つけた糸口を実践できる生徒。

この3つに集約されるのです。

象牙の塔の中にこもって、ひたすら研究する人間も確かに過去には必要でした。

しかし現在はそんな時代ではありません。

全ての知を人類のために投げ打てるだけの体力と知力を必要とするのです。

そのためには、とにかく自分で問題を考え出せる人間でなくてはなりません。

ここにあげた高校で行われているのは、まさにそのための取り組みです。

1万字の文章を書くというのは、内容さえ、きちんと決まっていれば、それほどに難しいことではありません。

そこに目的と実践例を綴っていけばいいのです。

最後の結論までが真っすぐにみえるでしょう。

しかしそうでない人にとっては苦痛以外の何物でもありません。

論理的な整合性を

論文で必要なのは、どこまでいっても論理性です。

最後まで真っすぐに文章を組み立てる。

その力があれば、800字程度の小論文など苦しくはありません。

しかし自分で問題を探すというのは口にするほど容易なことではありません。

問題意識をつねに視点の奥に潜ませていなければならないのです。

これは大変なことです。

今、1万字の論文に挑んでみろといわれて、何を書きますか。

どの問題があなたの中にありますか。

400字詰めの原稿用紙を25枚書き切るだけの問題意識があなたにありますか。

それこそが最大のテーマなのです。

1人1人が全く違う興味や関心を抱いて生きています。

しかし普段はそのことを意識化するチャンスがないのです。

それを完全に自分のものにし、研究を深め、文章にする。

これができたら鬼に金棒ですね。

自ら探究する力を養うことが、問題を作り出す能力に直結しています。

ぜひ、自分の技量で今できる範囲の探究を試みてください。

提出された問題に対して、解答を繰り返しているだけでは、真の力は得られません。

そこに文章の持つ、不思議なエネルギーが秘められているのです。

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まだ時間はあります。

試みてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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