【宦官趙高・馬と鹿】秦が滅び漢が天下をとった理由は群臣の忖度にあり

学び

馬と鹿の違い

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『新語』という前漢の書を読みましょう。

儒家の立場からなぜ秦が滅び漢が天下をとったのかを考えようという試みです。

著者、陸賈(りくか)は仁の政治を主張し、『論語』における孔子の考え方を広めようとしました。

刑罰による統治を否定したのです。

漢の劉邦に仕えて、南越の王などに漢の臣下になるよう進言もしました。

内容はごく単純です。

秦の二世皇帝の時の話です。

宦官(かんがん)の趙高は始皇帝の死後、後継者であった扶蘇を殺し、その弟の胡亥を皇帝に立てました。

完全に自分の言うことをきく傀儡政権を樹立したのです。

政治は趙高の思うとおりになりました。

この文章は影の実力者となった宦官の権力がどのようなものだったのかを示す文章です。

誰もが趙高を怖れていました。

皇帝といえども、1人の宦官に逆らえなかったのです。

中国の宮廷政治がどのようなものであったのかを知りたい人は浅田次郎の『蒼穹の昴』を読めばよくわかると思います。

宦官になるために行う去勢手術の様子などが、実にリアルに描写されています。

自分の生殖能力を捨ててまで、宮廷政治に関わろうとした人たちにとって、権力奪取こそが最大の野望でした。

そのためには皇帝をうまく利用する以外に方法がなかったのです。

ここでは本来最高権力である皇帝の判断さえも変えてしまう、宦官の様子が実に生々しく描かれています。

全文をここに挙げましょう。

それほどに長い文章ではありません。

書き下し文

秦二世の時、趙高鹿に駕して従ひ行く。

王曰はく、「丞相何為れぞ鹿に駕する。」と。

高曰はく、「馬なり。」と。

王曰はく、「丞相誤れるか、鹿を以つて馬と為すなり。」と。

高曰はく、「乃馬なり。陛下臣の言を以つて然らずと為さば、願はくは群臣に問へ。」と。

是に於いて乃ち群臣に問ふ。

群臣半ば馬と言ひ、半ば鹿と言ふ。

此の時に当たり、秦王自づから其の直目を信ずる能はずして、邪臣の言に従ふ。

鹿と馬との形を異にするは、乃ち衆人の知る所なり、然れども其の是非を別かつ能はず。

況んや闇昧の事に於いてをや。

易に曰はく、「二人心を同じくすれば、其の義金を断つ。」と。

群党意を合はせて、以つて一君を傾くれば、孰か移らざらんや。

現代語訳

秦の二世皇帝の時、趙高は鹿をつれて参内し、皇帝に挨拶した。

王はこういった。

「丞相よ、どうして鹿をつれて来たのか?」

趙高は答えた。

「これは馬でございます」

王は言った。

「丞相も間違うのか,鹿のことを馬とするとは」

趙高は言った。

「ですから、これは馬でございます。陛下が私の言葉をそうではないとお考えでしたら,どうか群臣達にお聞きになるようお願い致します。」

こういう次第だったので、皇帝は群臣達に質問した。

群臣の半分は馬と答え、半分は鹿と答えた。

まさに此の時,秦王は自分が直接見た物を信じることが出来なくなり、邪臣の言葉に従ったのである。

鹿と馬の形が違うのは,もちろん多くの人が知っていることである,

それなのに、そんな単純な事の是非を判別することができなかったのだ。

まして政治の先行きといった蒙昧なことがらを判断できないのは尚更ではないか。

『易経』という書物には「二人が心を同じにすれば,その義心は金属も断ち切る」とある。

群臣が合意し,一人の君の地位を傾けるなら,どうして王位が移らないことがあるだろうか。

必ずうつってしまうものなのである。

趙高のしたたかさ

宦官、趙高にとって権力を維持することそのものが、究極の目標でした。

そのためには皇帝を弱体化させなければなりません。

二世皇帝を宮中で遊ばせ続けなくてはならないのです。

けっして外部の様子を知らせてはなりません。

これは現代も同じですね。

最高権力者の耳にはいい情報しか集まらないとよく聞きます。

いわゆる忖度政治です。

その究極の形が宮廷政治と言ってもいいでしょう。

しかし都には項羽の軍隊が迫ってきていました。

最悪の場合、二世皇帝を殺すことも考えなくてはなりません。

項羽将軍に取り入るためには、それくらいのことをする必要もあります。

しかし部下の閣僚のなかには、皇帝に忠誠を誓っている者もいるのです。

趙高としては敵と味方を分けなくてはなりません。

そこで鹿が登場したワケです。

趙高は鹿を引いて、皇帝の前に差し出しました。

「名馬が手に入ったので、皇帝に献上します。」と告げました。

さすがの皇帝でも馬と鹿の区別はできます。

最初は冗談と受け止めました。

しかし趙高は本気だったのです。

これがまさに忖度政治の世界です。

部下には馬ですというものもでてくる始末なのです。

どちらを向いているのかが、これではっきりとしますね。

かつての踏み絵そのものだといってもいいでしょう。

黒いものでも白と言わなければならない場面も人間にはあります。

その結果、趙高はどうしたか。

当然、彼の意図に反して、それは鹿です、馬ではありませんといった部下たちを皆殺しにしてしまいました。

権力というのはそこまでやりきってしまうものなのです。

まさに権謀術策の世界です。

逆に言えば、彼の意図を見抜いて馬だと答えた人たちは、その後重用されたのです。

仁政の終焉がありました。

やがて趙高は胡亥の後継として、子嬰を秦王として即位させます。

ところが趙高は彼を憎悪する子嬰らによって殺害され、一族も皆殺しにされてしまうのです。

彼の死で秦が再び隆盛に向かうとみられたものの、劉邦軍が既に咸陽の目前に迫っていました。

子嬰はついに観念して降伏し、秦は滅亡したのです。

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権力というものは無常そのものです。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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