倫理と規範意識
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は少し道徳について書きます。
倫理というと堅苦しいですね。
もっとやさしくいえば、人として大切にしなければいけないことという意味です。
現在、中学校では道徳の授業を行っています。
とまどっている先生方も多いようです。
なんといっても成績をつけなくはいけないからです。
どこに落としどころがあるのか。
それを気にしながら授業をしなくてはいけません。
国語でいえば、太宰治の『走れメロス』のような内容が題材になります。
友人への信頼がこのストーリーの根幹にはあります。
しかし今の世の中で、どこまで人間を信頼すればいいのか。
かなりの難問です。
誰でもよかったといって、突然ナイフを振り回したりする人がいる時代です。
彼らに向かって何を語りかければいいのか。
それも含めて、現在道徳の授業はなされているのです。
先生方は成績をつけなくてはならないという環境の中で悩んでいることでしょう。
ぼくは道徳の授業をしたことがありません。
やってみろと言われれば、形だけは模倣したかもしれません。
しかし自分で納得しきってできたかと言われれば、疑問ですね。
勘のいい生徒は、教師がどの答えを要求しているのかを先回りして、感想文に書き、発言もするでしょう。
それがどこまで本人の腹の中からでたものかは、判別しがたいのです。
ルールブック
『あたりまえだけど、とても大切なこと』という本は子供のためのルールブックと題されて出版されました。
著者はロン・クラークという小学校の先生です。
教育困難学級をうけもった教師が、自分の祖母から教わった礼儀作法をルールにして生徒たちに教えた実話です。
その結果、教室が劇的に変わりました。
あたりまえのことを当たり前にいうことがどれほど難しいのか。
そういう時代になったんですね。
彼女は子供たちにどんなことを語ったのか。
かつて全米最優秀教師賞を受賞したということです。
その言葉には重みがあります。
しかし彼女が口にしたことはけっして特別なことではありません。
だからこそ、難しいのです。
なぜこのような内容の本が出版されたのか。
その背景をさぐっていくと、現代が抱えている病理が見え隠れしてきます。
日本には戦前、修身の時間というのがありました。
それが転じて現在は道徳の授業になっています。
もちろん、戦前の教育とは根本の考え方が違います。
しかし学校で教えていくことの難しさを同時に抱えていることは否定できません。
道徳は当然死生観にまで踏み込みます。
宗教を抜きにしてはどうしても語れないところがあります。
しかし日本の公教育は宗教教育を禁じています。
だから道徳を教える立場の教師も、どこかで腰がひけ、内容がおざなりになってしまいがちなところも出てくるのです。
死の授業
死の授業などというものを最近は取り入れている学校もあるようです。
あるいは動物を解体して、生命の尊さを学ぶという授業もあります。
しかしそれが残酷だということで、なかなか実施できないという話も聞きます。
最近起こった事件などをみていると、倫理規範の弱い生徒の存在もみえてきます。
親や教師の価値観を根本からみていかないと、動きの取れない社会になっているのかもしれません。
それだけに「あたりまえだけど、とても大切なこと」という言葉の重みがあるのです。
彼女は何をハーレムの底辺校で語ったのでしょうか。
内容があまりにも単純なので、読んでいるとちょっとめまいがしてきます。
親の世代も確かに変わりました。
家での躾も十分に行われていないのかもしれません。
だから逆にこのような事実が新鮮にうつるのだとも思います。
今日も書店で立ち読みをしていたら、そこには「育ちのいい人がしている」という言葉がいくつもちりばめられた本がありました。
育ちがいいというのは、つまりきちんとした躾がなされているということでしょう。
しつけという文字はまさにみごとといいうしかないですね。
身体の動きが美しいということです。
言葉の使い方も含めて、所作がきれいであるということは、まさに育ちの良さを感じさせます。
こういうタイトルの本が売れているのです。
ある意味、悲しい現実なのかもしれません。
他人はじっと見ています。
その人間が何気なくする行動の1つ1つが、価値判断の根拠になっているのです。
先生は何を語ったのか
本の内容をまとめてみます。
読んでみてください。
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大人の質問には礼儀正しく答えよう
相手の目を見て話そう
誰かがすばらしいことをしたら拍手しよう
勝っても自慢しない、負けても怒ったりしない
誰かとぶつかったらあやまろう
だれかに質問されたら、お返しの質問をしよう
口をふさいで咳やくしゃみをしよう
何かをもらったら3秒以内にお礼を言おう
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全てあたりまえのことばかりです。
子供たちの多くが誰からも教わっていなかったのです。
特にハーレムの子供たちは基本的な生活習慣を持っていません。
それだけになるべくわかりやすく具体的に語ったのでしょう。
日常のマナーが最終的に生きる指針にまでのぼりつめていくところが、この話の真骨頂かもしれません。
小論文で道徳がテーマになる時には、その問題点がどこにあるのかを説明しなさいというタイプの問題が多いです。
最近の刺殺事件などを題材にしながら、規範意識がなぜ少なくなったのかを論じなければなりません。
学校教育だけが前面に出て、地域のコミュニティが果たすべき役割が減少していること。
子供たちがSNSなどに代表される狭い社会の中に閉じこもりつつある現状。
親以外の周囲の大人の責任などについてもあわせて言及してください。
大人たちも人間関係で苦しんでいるのです。
その姿をみせることも大切なのだということを強調することが大切です。
規範意識は教育の最前線にいる教師にとっても重い課題なのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。