【昔は本当によかったのか?】情報がない時代の幸不幸は紙一重

暮らし

オリンピックでよくわかった

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

オリンピックが終わり、ホッとしています。

アスリートの皆さん、早く母国へ帰りましょう。

いつまでいても愉快じゃありません。

今や人間そのものがウィルスになってしまった時代です。

あちこちをウロウロしているだけで、病原菌扱いです。

お盆になっても帰省もできない。

田舎に帰ってきたなどという情報がご近所に知れ渡るだけで大変です。

本当に地方で暮らしをした人にしか、この感覚はわかりません。

とにかく世間が狭いのです。

どこの誰がどこへ行って何をしたなどいった情報がすぐにご近所を歩き回ります。

みんな知ってるの世界です。

実に息苦しい。

それがイヤで、みんな都会へ逃げて来るのです。

お互いに誰もなんにも知ろうとしないのでゆっくりします。

しかしそのうち寂しくもなる。

勝ち組と負け組が気になる。

誰でもいいから勝った人間を殺したくなる気分でしょうか。

全く身勝手な生き物です。

たまには帰ってゆっくりご近所の噂話がしたい。

しかし帰れば、ご近所の目が怖い。

この繰り返しです。

この国はそんなに簡単には変わりません。

今度のオリンピックでよくわかりました。

こうやって戦争に突き進んでいくのでしょうね。

誰が反対しても責任をとるという構図が全く見られません。

内向きの論理以外には何もないのです。

昔はよかったのか

昔はよかったというのは、年齢を重ねた人の決まり文句です。

しかし本当にそうでしょうか。

昔はそんなによかったか。

そう訊かれると、ちょっと不安になります。

インフラの整備は遅れ、街は汚かったです。

雷が落ちればすぐに停電し、川は氾濫しました。

道路はでこぼこで、舗装も満足にしてないところがたくさんありました。

デパートも薄暗かったし、商品の数も少なかったです。

宅配便もありませんでした。

TeroVesalainen / Pixabay

チッキと呼ばれる駅留めの荷物を取りに行くしかなかったのです。

今の時代、この面倒な手間はちょっと想像がつきませんね。

車の値段も法外に高かったです。

誰も自分が将来自家用車に乗るなんて考えもしませんでした。

自動車はお金持ちの所有物だったのです。

地下鉄は未整備で、どこへ行くのも大変でした。

東京では都電とトロリーバスが走っていました。

今でも荒川線に名残りがあります。

たくさんの車の間を身を縮めて走っています。

連絡

大阪までの出張などといわれれば、泊まりがけの大仕事でした。

電話回線は少なく、連絡をとるのも容易ではありませんでした。

電車の中から電話ができるなどいうのは、夢物語でしたね。

お風呂のある家も少なく、銭湯に通わなければなりませんでした。

geralt / Pixabay

とにかく何もかもが不便だったのです。

これでも昔はよかったと言えるのでしょうか。

現代はすべてこの裏返しです。

今では町中で公衆電話を探すのは諦めた方がいいくらいです。

スイッチひとつでお風呂が沸きます。

自動車は下駄代わりになりました。

何もかもがかわったのです。

しかし人情は昔の方があった、という人もいるでしょう。

確かにかつては人の関係が濃密だったのかもしれません。

社会のシステムが、今より対面のコミュニケーションを必要としていたからです。

スーパーがない時代、誰もが個人商店へものを買いにいきました。

店先で少しは世間話もしたことでしょう。

時にはまけてもらうこともあったに違いありません。

現代のようにすべてカードやスマホで決済できたら、話がはずんだでしょうか。

学歴社会の構図も今よりも強くはっきりしていました。

貧しかったですからね。

中学へ行くということすら、考えられない家もありました。

生まれた家の状況で、ほとんど未来が決まっていたのです。

無理に学校へ行きたいといえば、それは親不孝になりました。

高校へ行かずに集団で都会へ就職していた頃の映像をみると、これが同じ国かと思うほどです。

想像力

自足するというより、親も子も想像力に欠けていたのです。

というより、それだけの情報量しかありませんでした。

人はほとんど生涯に移動をせず、生まれた場所で生活し、そのまま死にました。

それでも昔はよかったと言えるのでしょうか。

新しいシステムについていけない人間は、過去を振り返る以外に方法を持ちません。

持てないのです。

老いるということはまさにその事実を意味します。

もし昔はよかったと言い始めたら、社会の状況に適応できなくなった兆候とみていいかもしれませんね。

そんなに昔だって楽ではなかったのです。

お風呂に入るのだって薪をくべ、石炭に火をつけるのは大変でした。

煙突掃除は厄介な仕事だったのです。

ただ1つだけ言えるのは、情報が少ないだけに人々は自足することを知っていました

親や親族を代表とする地域コミュニティが世界のすべてだったということです。

それをよかったというのなら、確かにそれは一つの価値の体系ではありました。

親や村の長老は今よりもずっと信頼に足る存在でした。

それに空気も今よりはずっとずっときれいでした。

これだけは確かです。

情報が瞬時に世界を飛び回る現在、私たちは本当に幸せになったのでしょうか。

短時間で移動が可能になったことで、何を得たのか。

東京と名古屋間が30分だと言われて、その次に何をすればいいのか。

メールやSNSは大変に便利です。

しかし同時に陰湿な犯罪やいじめが増えているという情報もあります。

何も知らなかった時代に戻ることはできません。

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としたら、これから未来へどうしていけばいいのか。

あなたはこのスピードに疲れていませんか。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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