【枕草子・かたはらいたきもの】清少納言の鋭い観察力がひたすら怖い

随筆の宝

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は満を持して『枕草子』にチャレンジしましょう。

高校では1年生の時からこの教材を取り上げます。

最初は比較的に理解しやすい章段から始めるのです。

1つ1つの話はそれほど長くはありません。

授業でも扱いやすいです。

しかしいったん内側に入っていくと、実に鋭い観察眼の持ち主だったということがよくわかります。

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ある意味、怖ろしい人です。

清少納言が生きていた時代は藤原摂関政治の絶頂期でした。

しかし彼女が使えた一条天皇の中宮定子はやがて没落していきます。

その反対に紫式部が使えた中宮彰子は日の出の勢いです。

この対比が清少納言に与えた影響は並々のものではなかっただろうと思われます。

このあたりは必ず古文の授業でていねいに説明されるところです。

関白であった定子の父、道隆、叔父、道兼が急死すると、彰子の父、道長と定子の兄、伊周が権力争いをします。

定子の弟、隆家もやがて捕らえられ、中関白家は没落していくのです。

兄弟喧嘩といってしまえばそれまでですが、権力闘争における兄弟の関係の難しさはその

後の時代にもずっとついてまわります。

頼朝、義経などをみてもよくわかりますね。

道長、頼通親子の栄華がこの後続くのです。

『源氏物語』を書いた紫式部と日本を代表する随筆『枕草子』をかいた2人の女性が同じ時代に生きていたのです。

歴史の偶然を感じますね。

漢文の素養

この2人の女性に共通しているのは、ともに漢文ができたということです。

当時、漢字は男性の文字でした。

「真名」(まな)と読んでいたのです。

これは本当の文字という意味です。

それに対して「仮名」は読んで字の通り仮の文字です。

和歌などに女性が使うものと相場が決まっていました。

2人ともよほど頭脳明晰だったのでしょうね。

兄弟の勉強に混じって漢文を教えてもらいました。

清少納言は父親が歌人だったので、その薫陶もあわせてうけました。

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他の女房たちとは全く違う環境にいたワケです。

その2人が一条天皇の中宮にそれぞれ仕えたのです。

いわば、サロンにおける家庭教師のような立場でした。

相談相手にもなり、他の女房たちとは違う漢文のわかる女性でもあったのです。

他の人がわからない漢文の一節をちょっと試してみる定子の様子なども『枕草子』には登場します。

それを清少納言は得意げに書きました。

「香炉峰の雪」の段がそれです。

高校で習いましたね。

白楽天の詩です。

覚えていますか。

近いうちに記事にしましょう。

紫式部は絶対にそういうことはしませんでした。

数字の「1」がどんな形なのかを知らないふりをして過ごしたのです。

2人の性格の違いがよくわかる挿話です。

今回は清少納言の観察眼が鋭く出ている章段「かたはらいたきもの」をとりあげます。

短いので全文載せましょう。

本文

よくも音ひきとどめぬ琴を、よくも調べで、心のかぎりひきたてたる。

客人などに会ひて物言ふに、奥のかたにうち解けごとなど言ふを、えは制せで聞く心地。

思ふ人のいたく酔ひて、同じことしたる。

聞きゐたりけるを知らで、人の上言ひたる。

それは、何ばかりの人ならねど、使ふ人などだに、かたはらいたし。

旅立ちたる所にて、下衆どものざれゐたる。

憎げなるちごを、おのが心地のかなしきままに、うつくしみ、かなしがり、これが声のま

まに、言ひたることなど語りたる。

才ある人の前にて、才なき人の、物覚え声に人の名など言ひたる。

よしとも覚えぬわが歌を、人に語りて、人のほめなどしたる由言ふも、かたはらいたし。

現代語訳

いたたまれない気分になるもの。

うまく弾きこなせない琴を、十分に調律もしないで、自分の思うままに弾いている様子。

お客などと会って話をしている時に、家族などが家の奥の方で遠慮のない話などをするの

を、制止することができないで聞いている気持ち。

愛しいと思う人がひどく酔って、同じことを繰り返ししている様子。

噂の張本人が聞いていたことを知らず、その人の噂をしている様子。

噂される人がどれほどの高い身分の人でなくても、使用人などでさえ、たいそういたたまれない。

自宅から離れて宿泊滞在している場所で、身分の低い者たちががふざけている様子。

かわいげのない赤ん坊を、自分の気持ちでかわいいと思うのにまかせて、

かわいがり、愛おしく思い、その子の口調や声色などをまねて、その子に言ったことなど

を人に話している様子。

学識ある人の前で、学識のない人が、物知りぶった口調で、有名な人の名前などを言っている様子。

特に優れているとも思われない自分の歌を、人に語って、その歌を人が褒めなどしたとい

言うのも、いたたまれない。

全部あるある

思わず唸ってしまいますね。

1000年も前の本です。

今と何もかわっていません。

人間は進歩してませんね。

清少納言は学識がないということをひどく嫌いました。

というより知ったかぶりをするのがイヤだったのです。

いかにも知っているような調子で声高に語ったりするのが耐えられなかったのです。

その記述があちこちに出てきています。

自分だけが1人で納得し、満足しているのも嫌いでした。

ヘタな楽器の演奏など最悪だったのでしょう。

無駄な噂話とか、子供の自慢話なども嫌いでした。

本人がよければそれでいいじゃないかという人もいると思います。

しかしそれは彼女のプライドが許しませんでした。

ある程度の学識をもった人間が、それに応じた行動をとるべきだというのが清少納言の基本的なスタンスです。

だから酔っ払いがおんなじことをくどくどと繰り返すなどは最低の所作です。

知性のかけらも感じられません。

この章段を読んでいると、本当にこれが1000年前の本なのかと不思議な感じすらします。

少しも古びていません。

そこに今と同じ人間がいて、暮らしていたことを実感するのです。

「かたはらいたい」というのはやってられないということです。

片一方の腹だけではありませんね。

お腹中が痛いのです。

こうした類いの観察力は古今東西、彼女が1番ではないでしょうか。

舌鋒が鋭いわりに嫌味がありません。

カラッとしています。

そこが清少納言の特徴でしょう。

紫式部の方がむしろ粘液質だったと思います。

どうぞ暇をみつけてお読みください。

とても面白いですよ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

【権力争いの象徴・無名草子】衰亡していく家の姿に世の無常を知る
『無名草子』にはさまざまな話が載っています。中でも中宮定子が亡くなった時の様子がしみじみと書かれています。一条天皇と相思相愛だった中に、道長の権力欲が滑り込んできます。新たな攻防が始まるのです。愛情だけでは生きてはいけない時代の哀しみです。

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