【葉山嘉樹】セメント樽の中の手紙は過去の作り話ではない【事故】

相次ぐ事故

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は相次ぐ事故の話を書きます。

直近は一昨日の昼に起きた東京府中市での工場での惨事です。

9日午後2時ごろ、東京都府中市のアスファルト製造会社の工場で起こったのです。

「ミキサーの機械の中に2人が閉じ込められた」というのが事故の概要です。

救助活動を行いましたが、男性2人の死亡が確認されました。

ミキサーはアスファルトの材料を混ぜるためのもので、2人はミキサーのメンテナンス作業中だったといいます。

なんらかの原因でミキサーが突然稼働し、2人が巻き込まれたのです。

亡くなったのはいずれも群馬県安中市の会社員です。

メンテナンス専門の会社の人なのでしょうか。

あるいは下請けでこの時期だけ来ていたということも考えられます。

アスファルトの材料を混ぜる機械の中に閉じ込められてしまったのです。

機械に体を挟まれていて、およそ2時間半後に救助されましたが、いずれの方も亡くなったそうです。

似たような事故は日本中のあちこちで起こっています。

昨年の12月14日には奈良県生駒市の生コンクリート製造会社の工場内で作業員2人が生き埋めになりました。

発生から約7時間後に救助されたものの現場で死亡が確認されたということです。

奈良県警によれば、2人はともに70代の男性です。

サイロ内ではしごを取り付ける作業中に、転落したといいます。

サイロは高さ約10メートル、直径約5メートルの円筒状で、直径5ミリ程度の細かい砂利が5メートルの高さまで入っていたとのこと。

難航する確認作業

70代の男性というところが気がかりです。

かなりの高齢になって、危険な現場で働いていたということは、十分な年金などを受領できなかった境遇の人のように思えます。

転落防止のための装置は身につけていたことでしょう。

それでも事故は起きるものなのです。

細かい砂利が5メートルも入れてあれば、その中に埋もれてしまったと考えられます。

数年前には愛媛県でも似たような事件がありました。

松山市のコンクリート工場で作業中の従業員4人が生き埋めになりました。

消防局によれば砂のサイロに20~50代の従業員4人が埋まったとのことです。

2人は夜に救出されましたが、残りの2人は死亡が確認されたそうです。

壊れたサイロを修繕するため中に入り、砂を掘る作業をしていました。

サイロはコンクリート製で、縦6メートル、横6メートル、高さ9メートルの大きさだったそうです。

事故の時には約50トンの砂が入っていて、約6メートルの高さの砂が崩れたとか。

この会社は生コンクリートの製造や建設用石材の卸売業を専門としています。

同じようなタイプの工場で事故が起こっているのは、これでお分かりでしょうか。

危険と隣り合わせの職場であることがよくわかります。

その時に指摘されたこととして、サイロ内の視界が不良であったことがあげられています。

サイロには、内部の照明として500Wのハロゲンランプが設置されていたそうです。

セメントの粉じんがサイロ内に立ち込めてしまうと、作業者が互いによく確認できない状態になる可能性もあります。

被災者がセメントに巻き込まれたと言っても、すぐに事故の確認もできません。

当然、事故後の確認も遅れてしまいます。

昨日のブログ

なぜこの記事を書く気になったのかといえば、それは朝、自分のブログを見たからです。

毎朝、その日の人気記事を見ます。

これが日課のようなものなのです。

それから前日に書いた内容をチェックしてサーバーに上げます。

人気記事は毎日の読者数でわかるように設定してあります。

日々変化していくだけに関心をもって見ています。

そこに突然あらわれたのが葉山嘉樹の書いた『セメント樽の中の手紙』についてまとめた記事だったのです。

これには驚きました。

すぐに府中市の事故との関係に気づきました。

この工場のある場所には何度か行ったことがあります。

住宅地ではありません。

倉庫と工場が並んでいる地域です。

その一画でこのような事故が起こるとは。

まさにプロレタリア文学でかなり以前に書かれた内容と同じです。

なぜ、この小説をブログに取り上げたのか。

それは高校の国語の教科書に載っているからなのです。

ただし今まではという注を入れておいた方がいいかもしれません。

来年度から始まる新学習指導要領では小説の比重がかなり軽くなります。

いつまで教科書に所収されるかどうかは疑問です。

しかしここに示された内容は、永遠に続くのでしょうね。

そう考えると何とも切ない気持ちになります。

セメント樽の中の手紙

この小説をぜひ読んでみて下さい。

現在では青空文庫で読めます。

どのような時代になっても仕事にはさまざまな種類があります。

だれもがパソコンに向かって座ってできる仕事をしているワケではありません。

とんでもなく高い場所、逆に地底での危険な仕事。

かつては炭鉱の落盤事故などがよくありました。

現在では安全装置などの開発が進んでいます。

それでもやはり生活のためには危ないところで働かなければなりません。

原発の廃棄物処理や解体工事などを想像してみてください。

階層化社会が隅々にまで広がっています。

格差と一口に言われますが、その実態はなかなか外からは見えません。

日本人は恥の観念を持っています。

社会福祉に頼るということをすぐに受け入れられない人も多いようです。

最後のセーフティネットに辿り着く前に、力尽きてしまう人もいるのでしょう。

1度、この小説を読んでください。

けっして遠い世界の話ではありません。

すぐ隣の人々の暮らしをそのまま書きとめたものなのです。

そう考えながら読んでいると、労働の本質は何もかわっていないとしみじみ感じます。

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今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

【葉山嘉樹】セメント樽の中の手紙はワーキングプア・トラウマ小説
非正規雇用やワーキングプアの問題をきっかけとしてプロレタリア文学が注目を集めています。小林多喜二の『蟹工船』は新しい読者を獲得しました。なぜ今なのか。教科書所収の作品『セメント樽の中の手紙』を題材にして、現代の持つ側面を考察してみましょう。

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