ポストモダンの時代
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は2021年度入試で最もねらわれるテーマ、AIについて深掘りしましょう。
何の略かわかりますか。
AIとはartificial intelligenceの頭文字をとった表現です。
日本語では人工知能を意味します。
計算機科学(computer science)の1分野を指す言葉です。
得意とするのは言語の理解や推論そのもの。
問題解決などの知的行動を人間に代わってコンピュータに行わせることも可能です。
知的な情報処理システムの設計や実現に関する研究までを含みこんでAIと呼んでいます。
なぜここまで大きく議論されるようになったのでしょうか。
それは想像を絶するレベルのコンピュータを人間が開発したからです。
以前では考えられないスピードを誇る中央演算装置を手にしました。
さらにデータの送信技術も飛躍的に伸び、クラウドと呼ばれる記憶システムも同時に開発しました。
つまり思考頭脳と記憶装置をともに手にしたワケです。
手仕事的であった計算が瞬時に行えるようになりました。
ある専門家は、今後10年の間に現在ある仕事の半分がAIロボットに奪われるという、衝撃的な事実を述べています。
さらに別の学者は完全にAIが人間の能力を超えるシンギュラリティーが確実に起こると予想しています。
私たち人間はこれから先、どのように生きていけばいいのでしょうか。
本当に多くの人が怖れているようなロボット万能時代がやってくるのか。
その時、人間はどういう行動をとればいいのでしょう。
少し先の未来には、想像することさえ怖ろしい風景が広がっているのかもしれません。
シンギュラリティー到来
アメリカの未来学者カーツワイルが唱えた「シンギュラリティ(技術的特異点)」という表現は多くの人に驚きをもって迎えられました。
一般に2045年問題と呼ばれています。
彼はこの年までに人工知能が人間を確実に超えると予言しています。
かつてキューブリック監督作品「2001年宇宙の旅」という映画がありました。
今から考えると、随分と牧歌的な楽観主義に満ちたものでした。
科学技術はどこまでも発展し、人間に明るい未来を予感させました。
その頃はコンピュータに素早い計算をさせることが夢でした。
技術の進歩は無前提に良いことだったのです。
しかし今、コンピュータは人の指令によって動く装置ではありません。
自分でプログラムを開発していくのです。
人間は自動生成していくポストグラムを作り出しました。
機械が全ての判断を自動で行い、少しでも有効な方向に内部から変えていくのです。
判断材料となる膨大なクラウド型のデータを監査、診断、調査し記録します。
そして瞬時に実行するのです。
今日株の売買などは全てAIが自動で行っています。
人間が判断するよりも早く正しい解答に辿り着くのです。
この技術はあらゆる場面に応用されています。
医療、会計、税務処理などの分野にもどんどん進出しているのです。
今後AIは人間の職業を本当に奪っていくのでしょうか。
駅の通過システムを見てみましょう。
改札口でキップにパンチを入れる駅員の姿をもう見ることはありません。
運賃の計算が瞬時に行われます。
同様にあらゆる職種でAI化が進んでいます。
しかしAI自身が自分の奪った仕事にかわる職業をあなたに紹介してくれる可能性はありません。
ある意味で大変に冷酷なシステムなのです。
人類の未来
AIが人間の仕事や雇用を奪い、大量の失業が生まれるといった話題は繰り返し論じられてきました。
病気の診断もすべてAIが行うようになるので医者はいらないという話もよく聞きます。
いずれにしてもAIは個人の未来の可能性までを考えてはくれないのです。
AIのする判断は過去に起こった事実をデータ化し、未来時間にまで引き伸ばすことです。
現在の延長上で次々と必要な判断を繰り返しているのです。
本来なら未来の図式は人間が考えるはずのものでした。
しかしAIに任せておけば、それほどの失敗もないとした時点で、人間の持つ主体性は消えてなくなってしまったことになります。
後は全て自動化という口当たりのいい言葉の洪水になるのです。
オーバーな表現でいえば、人間が理想とした社会の構図は全て人工知能のものになります。
その時点での判断をもう人間はしようともしません。
ある意味で、AIが私たちを導いてくれるからとても楽なのです。
夥しいデータの解析を瞬時に行うことは人間にはもう不可能です。
ビッグデータから引き出した最も有益で効率的な解決法をAIが示してくれる限り、人はもう何も考えなくていいのです。
まさに無機質で淡白な時間がやってくる前兆なのかもしれません。
実際、株の売買に人間が直感で関わるのには無理がありすぎます。
データを瞬時に理解するのさえ放棄してしまえば、あとは全て機械任せでいいのです。
人は歴史の表舞台から静かに消え去るだけです。
持続可能性
それでは日本や世界の未来像はどうなるのでしょう。
なんにも考えなくなった人間がただフワフワと浮遊しているだけの世界が果てしなく広がるだけなのでしょうか。
近年「持続可能性」という表現をよく目にするようになりました。
確かに日本も危機的と言わざるをえない状況を迎えているともいえます。
その幾つかを考えてみましょう。
基本的には3つのファクターが考えられます。
財政、人口、コミュニティがそれです。
2050年をイメージしてください。
日本は「持続可能シナリオ」よりも「破局シナリオ」に至る可能性の方が高いのではないでしょうか。
日々こうしたことをAI研究の最前線では繰り返し予測しています。
人間が媒介することのない時代はもうそこまで来ています。
実際に機械相互だけの関係が成立するとどうなるのか。
ネットを伝わってくる情報が、人間の声であるのか、AIの表示であるのかさえ、区別がつかなくなってくるのです。
人々は、間違いなくAIの判断を尊重するようになります。
今はまだなんとなくおかしいと判断できる人々が存在しています。
しかしこれから数10年の間に、何も考えようとしない人たちが増大することでしょう。
ネットに流れるニュースを話題にする人の数は増える一方です。
ロボットが全て自動でニュースを流す時代もまもなくやってきます。
危機に対処しようとする人間の数は確実に減るでしょう。
AIが極度に進化した社会の姿は、妙に白々としたものになるに違いないのです。
まさに近代の後の図式です。
ポストモダンそのものです。
まさになるべくしてなったということなのでしょう。
その時、人間は何を願いながら生きていくのか。
いずれにしても大変に重要なテーマです。
AIは来年度のテーマとして最も出題される可能性のある問題の1つです。
じっくりと取り組んでください。
いくつもの論点があります。
自分で勉強を続けてください。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。