落語の面白さ
こんにちは、アマチュア落語家、すい喬です。
久しぶりに落語のネタを書かせてください。
今、寄席でもホールでもお客さんを満足させ堪能させる落語家といったら、柳家喬太郎でしょう。
笑点に出てこないから知らないという人もいるに違いありません。
この噺家はたくさんの複雑な資質を持っています。
だから元来はあまりテレビに向いていないのかもしれません。
しかし彼の登場するCMを見たことはありませんか。
居酒屋の大将の役です。
キリン・ストロング。
その他には次のような番組にも出演。
柳家喬太郎のイレブン寄席(BS11)2016年4月11日 – 2018年3月21日
超入門!落語 THE MOVIE(NHK) 死神 井戸の茶碗 そば清
その他、舞台や映画にも進出しています。
こまつ座第121回公演「たいこどんどん」(2018年5月5日-5月20日、紀伊國屋サザンシアター)。
スプリング、ハズ、カム(吉野竜平監督、2017年)主演。
柳家喬太郎は今、一番忙しい落語家ではないでしょうか。
その活躍ぶりはみごとなものです。
今回はそのあたりのことを含め、少しまとめてみました。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
落語の面白さというのはいろいろあります。
ただ滑稽だというのもあれば、人情に通じ、聞いた後、人間というのはいいものだとしみじみ感動するものもあります。
しかし柳家喬太郎が作り上げたニューウェーブの新作落語の系統の噺をきくと、これもまた落語の世界なのだなと感心させられてしまいます。
たとえば「いし」とか「赤いへや」などを聞くと、これはひょっとしてカフカの世界かと思うことさえあります。
あるいは「擬宝珠」はもしかしたらカミュの世界かもしれません。
アルジェリアの海岸で人を意味なく撃ち殺した主人公ムルソーの世界に通じる不条理を孕んでいます。
柳家喬太郎は日大経商法落語研究会に入り、「砧家駄楽」を名乗ったのは有名な話です。
4年生の時には関東大学対抗落語選手権で優勝した経験もあります。
その頃、同じ落研にいた友人の証言によれば、だれも後を追うレベルではなかったといいます。
しかし日大卒業後は福家書店に入社。
彼は就職する時のことについて落語で食べていくのは怖かったと述懐しています。
こわいという感覚が先だったのです。
このまま芸人になったら必ず普通には死ねない。好きなだけに怖れが先行したということでしょう。
誰もが経験するであろう普通の人生。
それが喬太郎こと小原正也の胸にあったのです。
書店員としては非常に真面目に働いたようです。
これもテレビなどで何度も周囲にいた人が証言しています。
しかしやはり落語への情熱は冷めやらず、ついに落語家になることを決意して約1年半で退職しました。
落語家入門
これからはもう普通の暮らしはできない。
言わば、どこで朽ち果てても仕方がないという覚悟をもたなくてはならないと何度も自分に言い聞かせました。
五代目柳家小さん一門の中でも、噺のうまさでは他にひけをとりません。
しかし年齢が15才しか違わない。
喬太郎は平成元年、ついにさん喬に入門しました。
あれだけ新作落語の好きな彼が当時ものすごい人気噺家だった三遊亭圓丈を師匠に選ばなかったのか。
ここに喬太郎の手堅さが仄見えます。
必ず新作はやる。
それも圓丈の影響をまともに受けたニューウェーブの落語を…。
しかしその前にもう一度基礎基本から正統派の落語を学ぶ。
そのために選んだのが柳家さん喬だったのです。
以前から知り合いでもありました。
こういう若いのがいて、自分のところに来たがっているという話もさん喬は小耳にはさんでいました。
入門したいと言ってきた時は、ついに来たかという心境だったと語っています。
初高座は1989年12月。
新宿末広亭で「道灌」を演じました。
五代目小さん一門は、みなこの「道潅」を最初に稽古します。
彼の前座時代はどうだったのか。
昨年の8月に出版された本、『なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか』の中にその頃の様子が詳しく書かれています。
さらに全く違う味わいを持った師匠と弟子の出会いから、今日までの様子もあわせて綴ってあります。
15歳しか年の差がないというところから、師匠さん喬はかなり胸中複雑なものがあったようです。
嫉妬に近いものもあったとか。
しかしここで弟子を潰してはいけないと自戒し、沈黙を続けます。
師匠の悩み
さん喬は苦しかったに相違ない。
それでも余計なことは言いませんでした。
喬太郎が新作に傾き過ぎた時も、席亭がよく寄席に使ってくれた時も、師匠はほんのわずかのこと以外は口にしなかったそうです。
しかし喬太郎はその心中を見抜き、すばやく行動していったのです。
そこがこの2人のすごいところでしょうか。
大師匠、小さんならばどのように演じたのか。
さん喬にはそれがいつもついて回りました。
さん喬の願いは「うどん屋」を小さんのように完成させたい。
余計なことは一言も付け加えたくない。
初天神に出てくる子供も、現在他の噺家がやるようなこまっしゃくれたのにはしたくない。
どこまでも父と子の風景にとどめる。
さん喬の意志はつねに師匠小さんに通じます。
それに比べれば喬太郎は自由でした。
それが時に師匠の心につきささります。
そのあたりの葛藤がみごとに描かれています。
言葉にしてそれを言ってしまうと、喬太郎は萎縮してしまうだろう。
まだ芸は未熟だ。
しかし新作が次々とヒットします。
それに比べるとさん喬は地味な人情話が中心です。
弟子に感じる嫉妬もありました。
このあたりは芸人ならば誰もが理解できる感情です。
さん喬は今でこそ、新作もやりますが、元々古典落語だけをやる噺家です。
その弟子が新作でどんどん売れていく。
しかし芸はまだ未熟です。
師匠は揺れました。
喬太郎は「夜の慣用句」や「ほんとのこというと」「午後の保健室」などをはじめとする数々の新作落語で知られるようになります。
しかし彼の特筆すべきところは師匠譲りの古典落語も手を抜かないところです。
師匠が黙って見ていてくれるというのが、どれほど励みになったかわかりません。
平成10年、NHK新人演芸大賞の落語部門で新作落語「午後の保健室」を演じ大賞を受賞し、一躍名を知られることとなりました。
平成12年に林家たい平とともに12人抜きで真打に昇進します。
平成15年、春風亭昇太らとともに「SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げし、圓丈が作り上げたニューウェーブ落語をさらに広げる活動をしています。
喬太郎を総領弟子にとったことで、師匠さん喬の世界も広がりました。
昨今は彼も人情噺ばかりを要求されて、少し食傷気味になっているようです。
「棒鱈」「徳ちゃん」のさん喬は実にのびのびとしていていい味わいです。
逆にいえば、喬太郎が「棒鱈」や「徳ちゃん」をやり始めた時が、一つの転回点になるのかもしれません。
現代の狂気
喬太郎の味わいは「狂気」につきると思います。
この人の噺には想像以上に暗いものがあります。
普段は滅多にやることがない、「宮戸川」の下などを聞くと、人間の持っている狂気の怖さを感じます。
私淑した三遊亭圓丈にも確かに狂気はあります。
しかし彼のはつくったものです。
生まれつきのものではありません。
「東京足立伝説」「悲しみは埼玉に向けて」など、ぼくも大好きですが、そこに不条理の悲しみは感じられません。
その意味で喬太郎の持つ底深い孤独感に触れると、怖さが先行してしまいます。
もっともそれを彼は見破られまいと、ひたすら笑いのオブラートに包もうとします。
しかしそれが時に顔をみせる。
その時の表情の寂しさが気になるのです。
ある意味三遊亭遊雀などにもそうしたものを時に感じます。
しかし喬太郎のそれとは本質的に異なります。
これから定評のある「怪談牡丹燈籠・お札はがし」をはじめとしたたくさんの怪談噺やその他、人間のもっとも人に見せたくない欲望の渦を描いた噺などをいろいろな脚色で演じてくれるに違いありません。
ヨーロッパなどへの落語公演、落語協会理事としての活動、など、今の落語協会が本当に必要な頭脳の持ち主だと言えます。
非常に冷静で、コュニケーション能力を備えた喬太郎を協会が放っておくわけはありません。
いずれ組織を束ねる役どころにつかざるを得ないでしょう。
近い将来、損な役回りもまわってくるに違いない。
それも含めての活躍を期待したいところです。
柳家喬太郎の持っている時代感覚は、つねに研ぎ澄まされています。
彼が喋ると、同じネタでも全く違った表情を見せます。
そこにこの噺家の真骨頂があるのではないでしょうか。
これだけ時代にくっついていると、疲れも覚えるにちがいありません。
そこからどこへ飛び出すのか。
それもふくめて、喬太郎ワールドへの期待がやむことはないと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
落語はけっして古いだけのものではありません。
だから怖いし、すばらしいのです。