【ほどほどに生きる】今までと180度違う価値観で暮らしていく勇気

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みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

コロナ禍の中、どのように過ごしていますか。

本当にもうどうにかしてくれという気分ですね。

鬱屈しているといえばいいのでしょうか。

ただ流されていくのも癪にさわりますが、他に道がないのです。

ちょっと人が集まるようなところへは行ってはいけない。

人流を減らせ。

そう言われれば、そうですかといって従うしかありません。

お店でお酒を飲む機会もめっきり減りました。

以前なら落語会をやった後は必ず打ち上げと称して、一杯飲んだものです。

qimono / Pixabay

それがとても楽しみでした。

しかし今はそれもかないません。

第一、落語会そのものも開けなくなりました。

今年に入ってやったのはたった1度だけ。

お正月やお盆恒例の行事だった落語会でのご披露もなくなりました。

自分自身の神経をどうコントロールしていくのかというのが、大変に難しいのです。

せっかくの夏休みも、ただひたすら自宅にこもっている始末です。

ニュースによればワクチン接種も3回目に入る予定があるとか。

まだ1度もしていない人だって大勢いるのです。

この落差をどう考えればいいのか。

ほとんどため息しか出ません。

今後の動きを注視する以外に方法はないのです。

それはわかっていますが、それだけでは解決しないモヤモヤ感がやるせないですね。

ほどほどに豊かな社会

精神科医・香山リカと社会学者・橘木俊詔との対談集『ほどほどに豊かな社会』を本屋でつい立ち読みしてしまいました。

タイトルが気になったからです。

ほどほどの豊かさだけを頼りにこれからは目指して生きていく以外に道はないと日頃感じていたからかもしれません。

内容にこれといった目新しさはありませんでした。

肩の力を抜いて喋りたいことをただしゃべり、それを本にしたという程度のものです。

しかし「中庸」という言葉の意味をもう少し考えなくてはいけないと実感しました。

津波や原発事故は自然や、科学の怖ろしさを甘くみていた故の惨事でした。

必ずいつかは起こりうることが、絶対にないと信じこまされていたからこそ、その衝撃も計り知れないものがあったのです。

毎年訪れる夏の豪雨も、信じられない規模のものです。

線状降水帯という表現を聞かない年はありません。

絶対などというものがこの世には存在しないという、ごくあたりまえのことが目の前で証明されました。

同時に人間のはかなさも感じました。

立ち上がるには、何を手にすればいいのでしょうか。

そのひとつが、「ほどほど」という言葉ではないかと感じます。

世界が富を追い求め、あくせくしています。

毎日株価が発表され、一喜一憂している人も多いのでしょう。

門外漢のぼくは暢気なもんですけど。

しかし取り残された感もまったくないワケではありません。

経済オンチだったからこそ、アクセクしなくて済んでいるのかもしれないのです。

幸せをどこに見いだすのかということもあらためて考えなくてはいけません。

ぼくたちに課せられた大きなテーマです。

ブータン

ブータンは世界で一番幸せを実感している国だという話を以前よく聞きました。

しかしそれも現実を知らないからこそという側面を持っています。

皆が車社会の恩恵を味わうようになったら、今の幸福感を保てるのかどうか。

先日チベットの少女へのインタビューをしている番組がありました。

聖地ラサと上海とどちらに行きたいかと訊ねたら、上海と胸をはって答えていました。

草原のはるか上空を毎日飛行機が飛んでいきます。

200人もの人が一時に乗れる乗り物があるということなど、信じられないのでしょう。

しかし少女の中にも既に大きな変化が訪れているのです。

もうこれ以上便利にならなくてもいいというところまで、人類が来ているのも事実です。

どれほど電子機器が人との距離を縮めたといっても、心の距離がそれに正比例して近くなったというわけではありません。

leovalente / Pixabay

ほどほどの社会を築いていくために自分がやれることはなにか。

そのことをあらためて考えて続けていかなくてはなりません。

では何がホドホドなのか。

ぼくたちは今、本当に難しい時代を生きています。

小学生のなりたい職業がユーチューバーと公務員と言われると、ちょっと言葉が出ません。

中学生の時にプログラミングの会社を起ち上げ、都心の高層マンションの最上階に住んでいるという高校生のニュースを読みました。

全て自分の収入から支払っているそうです。

高校も勉強したくない科目をとらなくていい、通信制にしたとか。

行きたい時だけ、スクーリングに出ればいいのです。

無理に厭なことをする必要はありません。

なるほど、これが現代の生き方かもしれませんね。

堀江貴文のマンガ版『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』を読んだ時と同じ感覚です。

結婚し子供を授かるものの、まもなく離婚します。

その後、罪に問われ刑務所に収監されるという生き様を見ていると、人の世を生きることの難しさを感じます。

心構え

しばらく前にボランティアの尾畠春夫さんという人が有名になりました。

2018年に山口県で2歳の子供の捜索に参加しついに発見したのです。

50年間働いたらあとは人のために働くということを人生の目標にしていたそうです。

今回も、大規模土石流の被害を受けた静岡県熱海市を訪れています。

人命救助への参加を希望したものの受け入れ態勢が整っていないとして、実現しなかったようです。

彼の言葉にはやはり感じるものがあります。

名言と言ってもいいでしょう。

朝は必ず来るよ
世間から貰った恩を万分の一でも返していく
困ったときはお互い様。明日は我が身かもしれないから
日本は資源のない国。だけど知恵が無限にある
お金はいるだけあったらいいです。余分にはいらないから
褒める褒められる褒め返す

どうでしょう。

特にお金にまつわる言葉はいいですね。

お金はあるだけでいい。余分にはいらない。

尾畠さんは81歳だそうです。

鮮魚商をずっとしてきたといいます。

現在は年金だけで暮らしているとか。

AbsolutVision / Pixabay

1度贅沢をすれば、際限はなくなります。

毎日マッサージをしてもらえる暮らしがいつまでも続くワケはありません。

何百足の靴も何十もの時計もいらないのです。

そう考えると、これからの生き方が見えてくるような気もします。

税金や社会保険料の重圧感はますます強いものになっていくでしょう。

決して減ることはありません。

このコロナ禍の中で支払われている補償金の原資は私たちの払う税金です。

オリンピックに数兆円使ったといわれても、実感がありません。

それだけ国債が印刷され、借金がふくらんでいくだけの話です。

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本当に新しい自分の生き方を探さないと苦しくなりますね。

これからの喫緊のテーマです。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。 

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