コロナ禍の日々
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
コロナ鬱になっていませんか。
毎日ステイホームを連発されて、ぼくもいささかまいっています。
来週からは職場復帰のメドも見えてきましたが、在宅ワークを含めてまだ未定の部分も多いです。
元々家にいるのは好きなのですが、ここまで続くといささか神経がくたびれます。
若い頃から家事は万端こなしてきました。
奥様が忙しいので、そうそう暢気に暮らしているというワケにはいきません。
今もだいたいのルーティンワークは決まっています。
ただし不得意なこともあるので、まず自分にできることを選択したという方が正しいのかもしれません。
起床の後、洗濯機を回す。
お風呂のお湯を抜いて浴槽の掃除。
洗濯が終わったら、物干しに干す。
ここまでが朝のお仕事ですかね。
掃除機もたまにはかけますが、どうも四角い部屋を丸く掃くというパターンのようで不評です。
お昼の食事の支度も家にいればだいたいやります。
麺類はほとんどぼくの領域ですかね。
パスタ、おそば、うどん、ラーメンはすべてやります。
アルデンテを意識していますので、結構うるさいです。
在宅日はだいたい麺類です。
つまりぼくの出番というワケです。
食器の片付けはほぼ全てぼくのテリトリーです。
夕食後もやります。
家にいる時は必ず食器を洗い、生ゴミを片付けます。
時間がある時は夕飯の手伝いもします。
その他、新聞の片付け、段ボールの梱包でしょうか。
もちろん買い物にも行きます。
生協の品物が配達されれば受け取りもします。
家事はこんなもんじゃない
ここまで書いてみて、家事というのは際限がないということを感じますね。
実はこの作業の間に山ほどの仕事があるのです。
何を洗濯するのかを決めるというのも大切なことです。
シーツ、枕カバー、パジャマなどは毎日ではないものの、その日の天気と相談しながら予定を考えなくてはなりません。
1番厄介なのが食事の献立を決めることです。
だいたいが「なんでもいいよ」を男性は連発する生き物なのです。
「夕飯、何にする」と訊かれてあれが食べたい、これが食べたいと間髪入れず返事をする人はあまりいません。
献立を考えるという作業は想像以上にストレスになります。
これは実際にやってみると、よくわかります。
だんだん面倒くさくなるのです。
そこいらにあるものでお昼を食べたとよく主婦は発言しますが、あれこそが真実です。
誰も家族がいない時にわざわざ台所にたって何かしようなどという気にはどうしてもなれません。
あと何千回の食事の献立を考えなくてはならないのか。
それだけで気が滅入ってきます。
喜んでくれる子供の顔が浮かばない時には、パンをかじって終わりで十分なのです。
最近よく言われていることに、ある作業とある作業との間に予想以上の家事があるということです。
浴槽の掃除は誰でもしますが、排水栓のところにたまったゴミを掃除するのは結構大変です。
ぼくの家でもリフォーム以前は浴槽の底に土台との空間があり、そこに水垢がかなりたまりました。
正面の大きなパネルをはずしてホースで強く流しても、汚れが取り切れずに往生したものです。
カビの発生に悩んだ時は、鼻が痛くなるほど、塩素系のカビ取り剤を浴室に撒きました。
そこまでいかなくても、家事というのはとんでもないボリュームで存在するのです。
お茶を沸かすのも大変
ちょっとお茶を飲みたい時にすぐ入れてもらえたら嬉しいですね。
コーヒーも同じです。
以前ならインスタントですみました。
昨今は豆から挽いて、いれます。
だんだん贅沢になってきました。
これが結構な手間です。
ちょっと飲みたいなと思ってから実際テーブルに座って飲めるようになるまでに10分近くかかります。
あらかじめ作っておいたのをチンするのはイヤなんです。
香りがみんな飛んでしまう。
だから自分で淹れるしかありません。
うちではこの作業をほとんどぼくがやってます。
他にも名もなき家事は幾らでもあります。
布団カバーの取り換え。
夏物と冬物の衣類の入れ替え。
コタツの収納。
足のネジを全てはずして、きちんと整理し、天板を整理ダンスの後ろに入れます。
1つ1つ思い出していたら頭が痛くなるほどです。
ペットのいる家などはもっとすごい手間でしょう。
食事の世話から散歩。
排泄物の片付け。
具合が悪くなれば医者につれていくことまで考えなければなりません。
ペットならばある程度はイメージもわきますが、子供となったらもうあまりにも仕事量が膨大すぎて、収拾がつきません。
育児はもう修羅場です。
ワンオペなんていう悲惨なパターンはストレスとの戦いです。
ある意味、人間ですから愛玩動物以上に手間がかかります。
学校へ行くようになれば、また次々と仕事が舞い込んできます。
成績表などという物騒なものを持ち込むようになったら、もう目もあてられません。
これを家事と考えたら、やっていられないでしょうね。
1つの修行、あるいは楽しみと割り切るしかありません。
伴侶に期待すると
誰だって疲れた時は相方にやって欲しいと思うものです。
しかし期待はだいたいかないません。
結婚する当座は5分5分だと約束していたのに、次第に家事の割合は変化していくのです。
いつも不公平感を抱きながら、暮らしている女性も多いことでしょうね。
しかしそのまんまじゃいけません。
やはり鍛え上げないと。
それ以外にいい方法はありませんよ。
スキルアップです。
窓の拭き方も、洗濯物の畳み方も1つ1つクリアしたら褒めるのです。
座学と実地訓練の繰り返しです。
最初の3月とはよくいったものです。
なんでも最初の刷り込みが大切なのです。
さらに相手の想像力に訴えること。
どれほど名もなき家事が大変なのかということを、知らせることです。
もっとレベルをあげるとすれば徹底的なサボタージュですね。
つまりなんにもしない。
もう動けないから、やってよと呟くことです。
男子厨房に入るべからずなんて暢気なことを言ってたのは、大昔の話です。
今のこの時代を乗り切るためには、伴侶のヘルプがどうしても必要です。
DVやセクハラが怖いというのもありですかね。
そんな怖い思いをしてまで暮らしていかなくてはならないという環境には心から同情をします。
しかしとにかく相方を鍛えるしかないでしょう。
強くではなく、やさしくです。
その繰り返しの中で気づきが増していくものと思います。
家事をシェアするという基本中の基本を子供もじっと見ています。
子供たちに親の背中をみせて育てるという姿勢がますます大切になるのではないでしょうか。
在宅を余儀なくさせられるこの時期、考えなくてはならないことがたくさんありますね。
最後までお読みいただきありがとうございました。